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我が子の体験格差を親の努力で埋めた物語の、第二部

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5.学習塾は何の役に立つのか。大学院という名の奴隷農場が成り立つ理由。

 息子の1人は塾に行きたいとねだったけれども、もう1人の子は、心の底から自由が好きで、塾など絶対に行きたくない子だった。

 塾に行きたくない方の子は、成績がいいだけではなく、何につけても優等生で、親に逆らいたくない子だった。強制されて逆らえないのが怖いのか、「塾に行かせる」と匂わせるたびに、恐怖のあまりに引きつって激怒していた。「本当には行かされないだろ」とナメてかかるとか「上手くバックレよう」とか考えられる、世間ずれしたところが全然なくて、どんな話でも真に受けるのだ。塾の話題のカケラでも振ると、「お母さん、僕が塾に行ってしまったら家の仕事ができないんだよ。それでもいいの」と、凄い形相で抗議するのだ。脅しを毎回、真に受けて、恐怖に震えて、親を断念させようと説得してくる様子は爆笑モノで、私はたびたび、「塾に行かせようと思いついた」ふりをして、引きつる息子の様子を楽しんでいた。

 塾に行かせてとねだってきた子も、塾がイヤだと引きつった子も、結局は、ブックオフで買った問題集だけが教育課金のすべてみたいな受験対策で、大学院まで官立だった。しかも、この子らときたら、東大も東工大もイヤだと目を吊り上げて親を説得してきたということは、東大や東工大には行けないから違う大学院に入ったわけでもないのだ。つまり、塾にも私立にも行かず、天然のままで、行きたい学歴の上限に行けたというわけだ。

 息子たちは、最上位の国立大学の奴隷労働の話を、ずいぶん詳しく知っていた。その世界のことを知らない人は、「授業料を払うからには客として授業を受けるのだろう」と思うだろうけど、違うのだ。無給どころか授業料まで払っているのに、心臓を捧げた24時間の奴隷労働をさせられるのだ。日本の理工系の大学院は、卒業しなければ中退になる学生の立場の弱さにつけこんで、奴隷労働をさせる場所なのだ。そして、奴隷労働が上位校ほどキツい理由は、私が思うに、上位校に行くのは「仕事ができて言うことをきく」学生ばかりなので、奴隷農場の維持をするには、働きたがらない奴を締め上げるだけで良いからだろう。下位に行くほど、指示通りのことができない学生やサボる学生が多数派になっていき、奴隷管理が難しくなっていくのに違いない。能力が低いか、やる気がないか、その両方かの学生しかいなければ、1人1人の全員を締め上げるのは不可能だし、締め上げるたびに大学や院を辞められたのでは先生の立場がまずくなるからだ。

 理不尽な政府に従う者が多ければ収奪が厳しくなるという、社会主義の縮図みたいな話だ。

 学歴なんて就職試験の足切りに使えるだけだし、官立なら下位でなければ入社試験での扱いは同じだ。理工系の大学や大学院は、家から通える範囲の奴隷使いが緩いところを狙うのが、コスパとしては最強なのだ。けれども、そんな下らないコスパを追求しても、奴隷労働のすべてから逃れられるわけではなくて、やっぱり奴隷にはさせられるのだ。そんな仕組みを、私は、心の底から、馬鹿らしいとしか思えない。

 学問を授かるために授業料を払っているはずなのに、24時間勤務の奴隷にならずに卒業したければコスパが良い大学院を狙うしかないって、なんなのだ。卒業資格を脅しに使って学生をタダで使える、奴隷制度を許しているから成り立っている制度だけれども、学生という名の奴隷が反抗の手段を持たない弱い者たちである限り、制度が変わる見込みはない。助けても見返りがなさそうな弱者でしかない、奴隷にされる学生を、助けようという話など出てくるわけがないからだ。

 正義に反するという単純な理由で、弱者への虐待を止めさせようとする。そんな美しい話は、この世には、存在しないものらしいのだ。昭和から現在までに私が見かけた、「どこかの誰かを助けよう」とかいう話は、ほとんどすべてが、他人から吸血できる利権を持つ政府に寄生の巣を作るための、寄生サヨクの活動だった。奴隷にされる学生を助けるというネタで新たな寄生の巣が作れる見込みが立たない限り、学歴を餌にされての授業料を払ってのタダ働きの奴隷労働は、未来永劫、批判されることすらないのだろうと、私は思う。

 就職という形態も就職活動もなくなって、すべての労働が自由化して、学歴になど何の意味もなくなって、奴隷主も奴隷もいない社会になるのが、いちばんいいと私は思う。けれども、そんな、社会の上層部に居座って寄生している連中に都合の悪い変化を、彼ら寄生サヨクが許すわけがない。そんな変化が来る時があるならば、それは、寄生の重さに耐え兼ねて経済が崩壊した後なのだろうと、私は思う。

 生産に資する能力を持っていても、生産のための設備を使えなければ、生産労働をすることはできない。生産設備を持っているのは企業なので、現在の社会においては、生産に資する労働で収入を得るには就職するしかないし、そのためには、理工系なら大学院を出ておくしかない。大学院に行けば奴隷労働をタダでさせられるとわかっていても、行くしかないのだ。いつの時代でも、どんな場所でも、そこに生まれた人間にできるのは、その時と場所の中で可能な限り、精一杯うまく生きることだけなのだ。

 大学院に通っていた頃に、下の子は、何かというと、「僕が何も画策しないで深夜残業せずに出てこれると思ってるの? 他の子はみんな深夜も休日もなく働かされているんだよ」と、私を詰めてきた。精一杯の画策をすれば、企業の普通の終業時刻に出られるのが「ゆるい大学院」だということなのだ。最上位校あたりでは、画策などまず絶対に通用しなくて、深夜も休日も、もちろん冬休みや夏休みも、絶対に、働かされるものらしかった。ほとんど、奴隷農場だ。

 アメリカの黒人奴隷の女性の自伝物語の中に、「反抗はできないもののマイルドな牽制ならできる周囲の奴隷たちの助けを借り続け、強姦しようと常時狙っている奴隷主から逃れ続けた」顛末を書いたものがある。現在の日本の理工系、たぶん医科の大学や大学院も、強姦したい奴隷主に狙われ続ける奴隷女と似たような状況なのだ。強姦されるか、膨大な労力を使って逃げ切るかの選択を迫られるわけだ。息子は厳しい教育を受けて育った子だから、かなり逃げ抜けたけれど、自分の意思など踏みつぶしてくる状況から逃げられない子が大半だろう。若い人たちが自殺したくなるのは当然だろうと、私は思う。

 奴隷を常に見張っている、24時間心臓を捧げていなければ、労働量が少ない、忠誠心が足りない、と、睨んでくる教授の目をかいくぐり、卒業までこぎつけるのは、本当に大変なことだったらしい。よくもまあ、理工系高学歴の人たちは、こんな腐った世の中で生きていられるものだと感心するしかない話だ。けれども、アメリカ黒人だって元々はみんな奴隷で、それでも生きて命をつないできた結果、たくさんの子孫が残って今では自由に生きているのだ。人間は、状況はどうでも、生き残るしかないんじゃないかと、私は思う。

 しかし、まあ、「僕が何も画策しないで深夜残業せずに出てこれると思ってるの?」と詰めてくる、息子の言葉の、その先は、「僕が家事をしなくていいの。晩御飯は誰が作るの?」と、続くのだから、極悪非道は教授も私も同じだという気がしないでもない。けれども、私は一応、息子の身内ではある。「卒業できずに学歴が消えてもいいか」と暗に脅迫しては、学生たちの生き血を吸って生きる教授とかいう奴らは、赤の他人だ。同じ寄生なら、赤の他人に寄生されるより、身内に寄生される方が、まだ筋が通ってはいないだろうか。

 寄生サヨクは、「家族の面倒など見なくていい、やっかいな家族はみんな捨てろ」と、まるで面倒から逃げ切れるかのような美味しそうなことを言うけれど、その先に待っているのは、荷物を捨てた自由でない。寄生サヨクの甘い言葉に釣られた先には、「親の面倒をみる代わりに赤の他人の面倒をみろ。親を養う代わりに俺たち寄生サヨクを養え。強制徴収で他人を養う栄誉を与えてやるから感謝しろ」とかいう話が待っているのだ。「甘い言葉を信じて船に乗り、港に着いたら奴隷に売られた」みたいな話だ。

 親や親戚を捨てて身軽になれるとかいうサヨクの話を信用したら、結局は、身内だけを負えば良かった時より、多くの他人を負わされるのだ。赤の他人が生んで育てた子供の生き血を吸って生きている、腐った寄生虫どもに群がられ吸い尽くされるくらいなら、自分を生んで育てた親に吸われる方が、まだ、マシなのではなかろうか。

6.みんながみんなドラッグを飲んでどうするのか

 息子が小さい頃からどころか、息子を生むよりはるか前から、私は、勉強を頑張ることと学業成績の間には、たいした相関関係はないと思っていた。自分を見ればわかることだし、どうなるかと思いつつ育てた息子も、やっぱりそういうことだった。目を吊り上げて雨の日も風の日も夜中に子供を塾に通わせ何百万円も課金しようと、家事をさせ、特売卵の列に並ばせて、「親を介護させられている」と文句を言われながら育てても、結果には何の関係もない。生まれつき学業に向いている子ならば、どんな暮らしをしていようとも、努力があろうとなかろうと、問答無用で、成績がいい。何を祈ろうと、どんな神様を信じようと、それで現実が変わるわけじゃない。

 他の子たちが、人生において何の役にも立たない塾に通っていた時間に、私の息子は、家事をしていた。おかげで私の息子2人は、成人するよりかなり前に、明日にでもレストランを開けるレベルの調理技術を身に着けていた。大量に学費を使って大学を出た挙句に、いい年こいて「料理の道に進むことにした」とか言い出して料理修行を始める馬鹿が、自分の時間と親のカネを浪費して塾に通っていた同じ時間に、私の息子は、料理修行をしていたわけだ。中卒で料理の世界に行った息子の友人は、大金と時間を浪費して無駄に大学まで行った馬鹿が料理修行を始める年には、経験8年のベテランになっているのだ。

 寄生サヨクが撒く最新の餌に、「俺たちのパシリの日本政府に赤の他人から奪わせたカネで、塾にも大学にも行かせてやるよ」というやつがある。「他人から奪ってもらえるなら何でもいい」親には好評なのかもだけれど、その「カネの流れ」に寄生できる者以外には、何のいいことがあるのかと思う。他人が払うなら使いまくった方が得だという老人医療の原理にも似た、そのカネと、そのカネで「行かなきゃ損損」と強制されたに等しい塾通いで消える子供の時間は、何の未来にもつながらないと思うからだ。子供が群れて犯罪をする時間の余地がなくなる代わりに、学校と塾で朝から晩まで拘束されて従わされた成果で奴隷根性が染みついてくれれば、儲けものだというくらいのものだ。

 根性だけが使いやすい奴隷になってくれても、働ける能力が育たなければ仕方ないのではなかろうか。

 国家やサヨクの権力がすることなら良いことに違いない。弱者らしい名前がついていれば、さらに良いことに違いない。子供の福祉のためなのにカネを取られるのがイヤだとは思いたくない。そう思うのは勝手だけれども、代数も理解できない頭で大きなことを考えないでほしい。代数も理解できない者がカネを取られて商品が来ない時には、それはまず、必ず詐欺にかかっているのだ。「いずれはあなたに恩恵が来るよ」と詐欺師は言うけど、真っ赤な嘘だ。老人の延命に巣食う寄生サヨクも、子ども真ん中の寄生サヨクも、まったく同じ連中なのだ。老人の延命にならギャーつく人らが、ネタのアイテムが子供に換われば騙されるのはどうしたことか。自分には老後は来ない、使い潰されて終わりだとわかっているのに、自分には子供を持てない現実もわからないのか。わかっているけど犠牲になってみせて「ボクって高潔」と自惚れたいのか。

 憑りつく相手が子供であれば、寄生虫が宿主に情けをかけると思っているなら、どこまで甘い考えなのか。あいつら寄生サヨクに人間の心があるとでも思っているのか。寄生サヨクに人間の心があるなら、医療や福祉が現在みたいなものになっているはずがないのがわからないのか。寄生サヨクが、延命されて苦しむ老人を食いつぶしてきたように、子供たちをも食いつぶすのがわからないのか。

 国家権力に巣食えるだけの力と頭脳を持った寄生サヨクが語る甘言に、三角関数も理解できない自分が騙されないわけないではないか。

 寄生サヨクが巣を張っている教育関係の商売は、教育のためにあるわけではない。教育関係の商売が、教育そのもののためではなくて他の子供との競争のためにあるのは、すでに周知の事実だろうが。いわゆる塾が、他の子との競争に勝つためのドラックだとしたら、みんながみんなドラックを飲んでどうするのか。みんながみんなドラック中毒になった挙句に、順位は変わらないではないか。

 オリンピックの選手がドラックを禁止されているのは、不当競争だからではない。ドラックを使っていいなら、競争に参加したい全員が使うしかなくなるからだ。メダルを取れる人数は3人のままで他の全員が負けるのは同じなのに、選手全員が、数年後には、無駄に廃人になることになるからだ。選手たちのみんながみんな、一緒に不幸になるだけで何もいいことがないだからだ。

 それだけじゃない。F大学を出て何のいいことがあるのか、ちょっと考えてみてほしい。他人から強制徴収させたカネを食いものにする寄生虫と組んで、言っちゃ悪いけど正常な知性がある人間の行く場所じゃないと思われているF大学を出て、何の良いことがあるのだろうか。「高卒よりも良い待遇を」と卒業後に右往左往することになる馬鹿が、言っちゃ悪いけど笑い物にされる卒業証書を得た年齢には、息子も、息子の中卒の友人も、料理の技術で自立できる力がついていたのだ。

 東大だったか京大だったかは忘れたけれど、その手の大学卒を詐称していた情報商材屋が、卒業生ではないとバレて「実は中卒だ」と告白したことがあった。けれども、彼は、本当のところはF大卒で、中卒の方がF大卒より上だと思ったらしかった。中卒より劣って見える大卒になってどうするのか。分数ができない中卒を欲しい会社はたくさんあるけど、分数もできない大卒を入社させたい会社など、日本のブラック企業以外には、世界のどこにも存在しない。

 教育とかいう建前のおもしろくもない遊園地で、大切な若い時間を潰した馬鹿の就職先は、最低賃金すら払わずに済ませようとするブラック企業だけだろう。大卒になってしまったせいでホワイトカラー以外には就職できないと追い込まれた、足元を見られて使い倒されるのだ。

 自分たちが寄生する暖かい巣を他人のカネで設営するサヨクの誘いに乗った子供を、役にも立たない学歴を抱いて最低賃金も出さないブラック企業にしがみつくか、非正規雇用になるしかなくなる立場に追いやる「教育」は、もはや国家の敵ではないか。日本国家と寄生サヨクが推進してきたその「教育」と、職業としていつでもどこでも需要があるスキルを身につけさせ、どんな状況に陥っても安い生活費で十分な栄養が取れて健康が保てる大人にしてきた私の「教育」の、どちらが教育といえるものなのか。子供を政府に丸投げすれば何とかしてもらえるつもりの人たちに、少しは考えてほしいものだと思う。

 政府の奴らは奴隷船の船長みたいなもので、奴らの仕事は、売り物の奴隷の数を揃えるだけだ。乗せた子供がどうなるかまでは、仕事に入っていないのだ。奴らが先を思いやる子供は、せいぜい自分の子供くらいだ。寄生サヨクにとっての「子ども」は、唱えるだけで自分の寄生の巣が充実する、魔術の呪文みたいなものだ。

7.子供のよりよい人生のために必要な体験をさせるために親に必要だった努力とは

 頭脳労働に向かない者の大学卒業証書と違って、料理のスキルは役に立つ。どんな国でもすぐに仕事ができるスキルだけれど、それだけじゃない。料理を職業として選ばなくても、料理ができれば、生活するのも健康を維持するのも、料理ができない者とは段違いにラクなのだ。料理ができない、できても労力や時間や費用がかかるとなると、出来合いのものを食べるしかないので、カネもかかるし、健康の維持も難しい。外食や中食で生きながら健康なままで50歳まで生きられる人は、私にとってはエリートで、畏怖の気持ちを抱いているくらいだ。身体の弱い私が、そんな食生活をしていたら、とっくに死んでいるはずだからだ。身体が丈夫な人たちは知らないらしいけれども、健康は、タダで得られるものでもなければ、医療ごときでどうにかなるものでもない。

 息子たちは、料理ができるだけじゃない。1人の1食分に100円の予算で十分な栄養が取れるし、200円あれば御馳走を作れる。料理が特別得意な方の子は、家族4人分の予算が500円あれば旅館の夕食みたいな御馳走を出せる私を超えて、さらに上まで行っている。安い包丁を研いで魚を下ろして刺身にできるし、肉の見かけで美味しさのレベルがわかるし、スライスの角度で味が違うのも知っている。食えるかどうかは自分で見分けられるので、賞味期限を気にすることもない。

 食材を安く買えて無駄なく使えれば、食費は劇的に安くなる。国家権力に強盗させたカネを役人と組んで自分のNPOに引っ張る寄生サヨクが、他人から強盗したカネでワインを傾ける、高級レストランの食品廃棄率は30%を超えるのに、私の家の食品廃棄率は0.003%くらいだ。賞味期限は関係ないし、野菜の皮も茎も料理するし、煮物の汁も再利用するので、廃棄するものが出ないのだ。

 環境がどうのとわめいて政府に強制徴収させたカネを食い物にしてきた寄生サヨクと、廃棄は出さず、電力使用量は昭和の家庭並みで、水道料金が生活保護の規定量を超えたことがない、私の家族を比べてほしい。環境に優しい生活をしているのはどちらなのかを、考えてほしい。

 口先だけなら、何でも言える。寄生サヨクは、詐欺師と同じで口先だけだ。その口先で議員や役人と組んで、私たち奴隷の労働を強盗するのだ。

 人殺し犯だろうが、強盗犯だろうが、詐欺師だろうが、口先だけなら、優しいことなどいくらでも言える。騙した少女を公衆便所に連れ込む強姦魔でさえ、優しいことなら、言っているのだ。どういう人かを判断するのに、重要なことはただ一つ、その口先の持ち主が現実にやっているのが何なのかだ。カネを引っ張るスキームのために環境がどうのとわめき、儲けのために山林をハゲ山にして自然を壊し、子供を守ると言いながら当の子供を強姦しまくるような奴らが、普通にいるのが、サヨクの世界だ。

 人類はなぜ、腐ったことしかしない奴らの口先だけの言葉を、毎回、信じてしまうのだろうか。

 人類の長い歴史の中で、サヨクが主導した国はすべてボロボロに貧しくなって、例外はひとつたりともないというのに、どうしてサヨクを支持し続けるのか。寄生虫が増え続けるのも、議員がサヨクばかりになるのも、選挙でサヨクが勝つからだ。自民党ならサヨクじゃないだの、維新ならサヨクじゃないだの、宗教団体ならサヨクじゃないだの、なんの冗談かと思う。誰がどう見ても、やってきたことを見れば、あいつらは、サヨクそのものではないか。労働者を奴隷に見立てて強制徴収しまくったカネを、自分らが組む特殊法人だのNPOだのに注ぎこんでは悦に入る、ホス狂まがいのクズどもは、どういう看板がついていようと、サヨクに決まっているではないか。

 塾に通って大学は出たけれど家事が何もできない大人になった子たちと、生活費を安く抑えられ余剰資金を投資に回せる私の子とは、例え収入が同じであっても、人生のラクさがぜんぜん違う。そんな彼らに生まれる違いは、教育格差だの体験格差だのと言っていいものだろうけれども、どんな特別なアドバンテージが私の子たちにあったのだろうか。我が子を食事やカネに困らない大人にさせるためには、塾に行かせずに家事をさせれば良いだけだったのだ。

 家事と節約を習得できた私の子との体験格差を埋めるためには、カネなど1円もかからなかったのだ。食材それぞれの相場価格を身に着けて何でも安く買えるようになるには、安い時にだけ買えと指示して、買い物させればよかっただけだ。料理の技術の習得のためには、役にも立たない塾代をかけずに、夜には子供を家にいさせて、「手伝ってくれ」と言えば良かっただけなのだ。年がら年じゅう寝っ転がって、「オムレツが食べたいな~」だの「豚丼が食べたいな~」だのと、言っていればいいだけだったのだ。

8.差別がなくて困るほどの学校で息子が差別を体験できた顛末

 息子たちの意見によると、彼らの通っていた小学校は、かなり厳しい野生の世界だったそうだ。そうは言われても、私の目には、息子たちの小学校生活は、とてもユルそうに見えていた。世の中の小学生の壮絶なイジメ体験を、いろいろと聞いていたからだ。

 余談だけれど、子供のイジメの多い地域は、サヨクの支配が強い地域と重なっている。政府もマスコミも寄生サヨクに占拠されているせいで、公的な発表があったことはないし、この先もないに決まっているけれど、同じ国に長年いれば、わかることなんてたくさんある。軽自動車に4人で乗って山道を走れば高確率で死ぬらしい、みたいなことは、公式の研究発表がなくても、同じパターンを何度も聞けばわかってくるのだ。昔のソ連の人たちだって、政府に都合の悪い話の報道はなくても、皆さん現実を知っていたから、国を潰そうと動いたわけだ。

 息子の小学校の地域で、明らかにサヨクという人を、私は、一組の夫婦しか知らない。ママもパパも「サヨクにもこんないい人がいるんだなあ」と思えるような人たちなのに、彼らの息子は、クラスを仕切って派手にイジメを展開していた。しかも、標的は私の子だった。標的になった息子はやたらと強い子で、たいして気にしていなかったけれど、「あんなにいい人たちでも親がサヨクだと子供はイジメをするのだなあ」と、びっくりだった。両親ともに心の底からいい人そうだし、子も爽やかな優等生だし、イジメの事実を知る前には、「サヨクにもマトモな人もいるんだなあ」と思っていたのだ。とにかく、私たちが住んでいたのは、1組の夫婦サヨクが珍しいほどサヨクフリーの地域だったので、たいしたイジメがなかったわけだ。

 小学校の息子のクラスは、上のも下のも、どちらのクラスも、半ば学級崩壊していた感じだ。そのせいなのかもしれないけれど、世間によくあるらしい血も凍るようなイジメはなかった。そもそも差別が、全然なかった。学校での人種差別がどうたらという世間の話を聞いた息子が、「他の学校では人種の違う子がそんなに珍しいのか?」と、真顔で訊いてきたくらいだ。たかだか肌の色が黒かったり茶色かったりという程度のことで、特別に思えと言われても無理なくらいのものだったのだ。そういうわけで、息子の小学校の世界には、とにかく差別が全然なかった。

 肌の色が明らかに大多数とは違っても、それが差別のネタになるとは誰も思わないくらいなのだから、いったい何が差別のネタになれるのかという状況だった。上の子なんて、他の子がみんな持っていた自転車を持っていなくても、他の子がみんなやっていた万引きをしなくても、普通に仲間の中にいられた。「この子はこういう子」ということで、納得されていたようだった。

 余談だけれど、上の子の時には男子のほぼ全員がやっていたという万引きを、下の子の時にはする子がほとんどいなかった。数年違えば世代が変わって別の世界になっているのが、子供の世界というものなのだ。

 息子が小学生だった頃の私は、ママの中でいちばんなのはもちろんのこと、担任の先生よりも、子供たちの様子をつかんでいた。どちらの息子の友達とも付き合いがあったし、上の子の時には、どの男子グループにも端っこにくっついていた息子が、あったことの何もかもを私にしゃべっていたからだ。年齢相応に知恵が発達している他の子たちは、8歳にもなると親に話していいことと悪いことを寄り分けるけれど、上の息子は私と同じで、発育があまり普通じゃなかった。

 実は、私は、上の子については、自分が普通じゃない以上、自分と生き写しみたいな彼が普通なわけがないことは、小学校に入る前からわかっていた。なので、私は、学校の授業がどうでもほとんど何の興味もなかった。授業を聞こうが聞くまいが、学校がどうあれ周囲がどうあれ、塾も私立も必要ないし、すべて官立で、理工系の大学院まで行くのだろうと予測していた。そして、実際、その通りだった。

 学校という場所に対して私が気にしていたことは、「いじめられないか」の一点のみだ。学級が崩壊してようが、授業が成り立たなかろうが、イジメがなければ何でもよかった。そして、子供を産む気などさらさらなかった頃に賃料で選んだ地域の息子の学校は、私の理想を超えていた。イジメも少しはあったけれども、サヨクだの意識が高そうな人だのの居住地とは比べようもない程度のものでしかなかった。人権とかいう強請タカリで生きるサヨクも、既得権益に巣食って生きる意識の高い人たちもいない、真っ当な労働者の街だから、子供もおおむね真っ当だったのだ。

 息子が通う小学校の様子には、学級崩壊していようが授業が成り立たなかろうが、大満足してはいたけれど、子供時代があまりに無風にすぎるのには「いいのかなあ」とは思っていた。世の中には普通に差別というものがあるのに、子供時代に何の経験もないのはどうなのかなあ、と思っていたのだ。

 無風だった場所に風を感じたのは、上の子が小学校の中学年くらいの時だ。

 ある日、息子が、「おかあさん、びんぼうにんってなに?」と言ってきたのだ。話を聞くと、どうも、何の脈絡もなく、彼に「貧乏人」と言ってきた奴がいるらしい。

 「ほお」と、私は思った。「そう来たか」という感じだった。少しは驚いたものの、その背景はわかっていた。

 その小学校では、先生が親に、勤務先や職業、つまりは経済状態がわかるようなことを訊いてはいけないらしかったのだ。なので、先生には、子供の経済状態がわからないし、先生でさえそうなのだから、ママも子供もなんとなくしかわからない。先生が子供を経済状態で差別してはいけない、先生の口から伝わって馬鹿にされる子が出てはいけない、みたいな配慮でそうなったのではないかと思う。

 息子はやたらと薄着だし、ゲーム機も自転車も持っていないし、塾にも行っていない。貧乏だと思われる要素においては、役満だった。息子が言うには、クラスの中で塾に行っていないのは息子の他には1人だけ、教室に座っているのも厳しいレベルの子だそうで、ゲーム機は全員がたぶん持っていた。生活保護の家の子よりも、息子の方が、外観は、はるかに貧乏だったのだ。

 上の子が小学校の半ばまで自転車を持っていなかったことについて弁解すると、学業以外の知能の発達が遅れまくっている息子が自転車に乗ると考えるだけで、私が、平静ではいられなかったからだ。現実に事故が起こるかどうかの前に、事故の心配で自分の神経がもちそうになかったので、息子に我慢してもらった。息子の方も、正気ではない私の溺愛ぶりは理解していて、「心配しないのは確かに無理だな」とはわかったらしく、あっさり諦めてくれた。

 そういうわけで、息子の行っていた小学校では、先生方すら、子供の家庭の経済状況について子供や親の外観から推測するしかない状況だった。担任になった代々の先生にも、カネに困っているかもと疑われたり、心配されている気配があった。面談の時に、はっきりとは言わずに、さりげなく、「最近は何だか自治体とかの色々な補助がありますねえ」なんて方向に、妙に話を振ってくるのだ。「貧乏ですか」と、はっきり訊かれたわけでもないのに、まさか自分から「このクラスの親の中では上位の収入層です」なんて言えないし、「なんか騙しているみたいで申し訳ないなあ」と思っていたのだ。

 先生までが「貧乏だろう」と思っていたらしい状況で、クラスの子たちが息子を貧乏人だと思うのは、当然すぎることだった。問題は、どのようなリアクションを息子に指導するかだった。

 その時、私は、昔の自分を考えた。「貧乏人」なんて言われたら、どれだけ辛かっただろうと思った。

 小学校のクラスの女子が、「親と喧嘩してベッドで泣いた」と言った時のことを、私はいまだに覚えているのだ。その話を聞いた男子が、反射的に、「親と喧嘩したら便所で泣くんだろ」と、私に話を振ってきたのだ。そして、それは、本当のことだったのだ。

 同級生が親と喧嘩してベッドで泣いている時に、その彼女と同じように親とモメた私は、排泄物の臭いが充満している汲み取り便所で泣いていた。見下ろすとどろどろ溜まった汚物の中に蛆虫がいる、息ができないくらいに臭い、汲み取り便所で泣いていた。

 親との諍いという同じ状況にいて、マンガのヒロインみたいに自分のベッドで泣く同級生と、汚物の中で蛆虫が蠢く臭い便所で泣く私は、同じ人間だといえるのだろうか。それが、その時に、私が感じたことだった。その状況にあった救いは、その男子は冗談で言っただけで、本当に私が汲み取り便所で泣いていたのを知っていたわけではないことだった。その男子が本当に知ってて言ったのならば、その時の私は、なんかもう、その場で首を吊りたいくらいにミジメだったと思うのだ。

 そんな子供時代を過ごしていた頃には、私は、自分の人生が辛いのは貧乏な親のせいだと信じ切っていた。けれども、いまの私は違う。実例を見て、知識を積み上げ、幸福とカネの間にはそこまで大きな相関関係がないとわかったからだ。「二間に台所と汲み取り便所がついている掘っ建て長屋」に住んでいるから不幸なのだと、子供の頃の私は思い込んでいたけれど、世の中には、「4畳半一間しかない掘っ建て長屋に家族全員が住んでいたのに毎日が楽しくて仕方なかった」という人だって、いくらでもいる。そういう人は、自分のことを特別だと思っていないので、「4畳半に家族全員が住んでいたけど幸せだった」とわめいて回ったりしない。その逆に、「貧乏のせいで不幸だった」という人は、幸せだった人の1万倍はわめきちらすので、現実の1万倍の人数がいるように見えるのだ。そうやって、世の中には恨みがましい話ばかりが充満して、恨みがましくわめく人たちが「社会のせいで不幸だ」との言いがかりを寄生の巣の形にまで昇華させては、他の人たちにタカって生きることになるのだ。

 大人どころか控えめに言って年配になった、現在の私の理解では、カネと幸福の間の相関はかなり弱いものでしかない。学習努力と学習能力の間の相関の弱さほどではないにしろ、「カネの量と幸せの量の間の相関はほとんどないんじゃなかろうか」とまで思っている。いまの私は、未成年の頃の私の不幸の半分以上は、日本のマスコミを占拠して親と私の両方を洗脳していた、サヨクカルトが原因だろうと考えている。

 「貧乏人と言われた」と言ってきた息子に、昔の自分を思い出した私は、「社会に貢献できる時が来た」と思った。そして、息子に対処を指令した。

 「本物の貧乏人が、貧乏人と言われたら、すごく傷つく。けれども、おまえは貧乏人じゃないから、傷つかずに済む。おまえが貧乏人と言われなかったら、他の、本当に貧乏な子が言われるのだから、そのままオマエが言われておけ。おまえが言われていれば、貧乏な子が言われずに済むからだ」と、私は、息子に言い聞かせた。

 なぜなら、息子は、現実に、ぜんぜん貧乏じゃないのだ。そもそも、私は、その話を聞いて、反射的に「おもしろい」と思ったのだ。貧乏でなければ、貧乏人と言われた時に「おもしろい」と思うというのは、発見だった。

 傷つく言葉があるわけではない。引け目を持っていることを指摘されるから傷つくのだ。その傷は、もともと心の中にあるのであって、言葉の中にあるわけではない。子供の頃に「貧乏人」と言われたら再起不能になりそうだった私の心は、息子が貧乏人と言われたと聞いた時には、「おもしろい」としか思わなかったのだ。

 上の子は、親が貧乏ではないことを知っていた。両親の会話を少しでも聞いているなら当然のことだ。けれども、その時の上の子と同じ年頃になって、同じように、「貧乏人」と言われた下の子は、そのまま「うちは貧乏なんだな」と思ったそうだ。けれども、彼には、貧乏で何が悪いのか全然わからなかったので、気にならなかったということだ。

 小学生だとは言っても、まさか、下の子が、家の経済状況を何も知らないとは思わなかった。「いくら何でも、毎日、国際経済がどうの日銀がどうの通貨がどうの地価の動向がどうの、どこの会社がどう動くかみたいな話をしている親が、貧乏なわけがないでしょうよ」と言うと、「聞いてなかった」とあっさり答えた。自分の興味のないことは知ろうとしない子ではあるけれど、そこまでだとは思わなかった。

 貧乏でなければ貧乏人と言われても傷つかないだけではなくて、本当に自分を貧乏だと思っていても、貧乏を気にしてなければ傷つかないものらしかった。

 ならば、貧乏な子を傷つけるのは、貧乏そのものではなく、「子供の相対的貧困ガー」だの何だのと、四六時中プロパガンダを流しては、貧乏な子の家庭や親を貶めるサヨクなのではないだろうか。貧乏な親を軽蔑しろと指令をかけて、親が育ててくれた身体をジジイにレンタルして稼げと娘たちをそそのかすのは、貶めている当の貧乏人から国権で強盗したカネにタカって生きる、サヨクの寄生虫ではないか。「子供の相対的貧困ガー」とわめいて子ども真ん中だの何だのと寄生の巣を作る奴らにミジメさを植え付けられて、身体が熟したところで売春を始めたら、今度は「女性の貧困」とやらで、また寄生の巣の設営に使われる。二毛作とは、このことだ。

 収入が少ないだけの人を、我が子にまで軽蔑されるように貶めるサヨクが、現実にやっていることときたら、パシリの国家権力を使って、馬鹿にしている当の貧乏人から強盗させたカネへの寄生だ。よくもまあ、馬鹿にしている相手にタカったカネで生きるなどという、蛆虫にも劣る生き方ができるものだ。蛆虫は、いらないからこそ出した排泄物にタカるだけなのに、サヨクときたら、国家権力を使って労働者から追い剥ぎをしてタカるのだ。

 日本の国家権力は、いまや、寄生サヨクを養う寄生の巣を維持する生き血の供給のためにある。「税金がなくなれば道路に穴があく」などと真っ赤な嘘を、小学校でほざいては、子供を騙しているようだけれども、よくもまあ、私たちから強盗したカネで私たちの子供を騙せるものだと感動できる。

 日本の税金も社会保険費も、サヨク寄生虫たちの生活のためにある。道路の穴との関係などない。税金が、道路の補修や警察や軍隊の維持のため、つまりは公共のためのものだった時代も大昔にはあったのだろうけれども、それがどれだけ昔のことかは、すでに私にはわからない。わかるのは、現在、国家権力に強盗されているカネが誰の財布に流れるのかは、こども家庭庁の予算を見ればわかるということだ。堂々と、寄生虫たちのため「だけ」に特別に作られた庁「だけ」の予算が、それなのだ。

 「他の学校では人種の違う子がそんなに珍しいのか?」と、真顔で息子に尋ねられるまで、私は、「世間の学校には人種差別がある」のを、「息子の学校には人種差別がない」のと同じくらいに、自然なことのように思っていた。「息子の学校にはないのに、どうして他の学校にはあるんだろう」と考えると、「世間の学校の子供たちは人種差別をしたくなるようなことを吹き込まれた」からに、違いなかった。どこからも吹き込まれなかったら、息子の学校の子たちのように、そういう差別がありえることすら思いつかないはずなのだ。それは、そのまま、国家権力に強盗させたカネに自分たちが吸いつく理由を作るために、現在サヨクがガンガンやっている、「貧乏人の子はミジメだ」キャンペーンにも当てはまる。支配下にあるマスコミの力で、年がら年じゅう、四六時中、「ディズニーランドに行けない子にはマトモな体験がない」などとやっているのだから、子供たちは、差別したくなるに決まっているのだ。自分を食い物にする敵に徴税されている、日本の貧乏人は、「黒人は人間じゃない」という白人の呪文を聞かされ続けた、昔のアメリカ南部の黒人奴隷と同じ立場だ。寄生サヨクという奴隷主に生きていただくために働き、自分たちを差別し貶める奴隷主の戯言を毎日聞かされ、自分たちの労働を搾取してどっぷり肥えた奴隷主に、「このブランドバックを持てば差別されないよ」と吹き込まれた娘を強姦されるのだ。

 収入の少ない家の子供たちをミジメな立場に追い込んでいるのは、国家権力をパシリに使い、税金とか社会保険とかいう名前で強盗させたカネを自分の高給に変換している、寄生サヨクの奴らなのだ。

 息子への「貧乏人」差別は、結局、大きくなることはなかった。その頃には、「ディズニーランドに行けない子はワンランク劣る」みたいな、いまは盛んな寄生サヨクのプロパガンダがなかったせいではないかと思う。「貧乏」というフレーズ自体が、当時の子供にはなじみが薄くて、イジメに使うフレーズとして、いまいち魅力に欠けていたのだ。

 貧乏な家庭を貶めて、貧乏な家の子を利用しようとする、寄生サヨクの活動が活発になったのは、奴らが、国税をNPOに流す仕組みを作らせた後のことだと思う。息子が小学生だったのはそれより前だったので、差別したい子でも「貧乏」への食いつきが弱かったのだ。貧乏な子を差別させ、そこから利益をむさぼろうとする、サヨクのプロパガンダが日本に蔓延したのは、NPOを作って役人を抱き込んでカネが引っ張れるようになった後のことなのだ。

 サヨクが貧乏を寄生の手段にする手法が限られてい、当時には、貧乏という言葉はそんなに出回っていなかった。なので、「貧乏人」と息子に言った子自身も「貧乏人で何が悪いのか」「どうしてそれが悪口になるのか」を、わかっていなかっただろうと思う。言われた状況を息子から聞いた感じでは、「差別語らしい言葉を言ってみたかった」のではないかと思われた。その子が、もし、貧乏人差別を広げようとして他の子を誘っても、誘われた方も「貧乏人で何が悪いのか」「どうしてそれが悪口になるのか」がわからないから、いまいち乗れなかっただろうと思う。肌がほとんど真っ黒で髪の毛がチリチリの子がいても、その違いにさえ何も感じないのだから、よくわからない言葉で差別したい情熱など湧くわけがない。貧乏な子をネタにして、強大な政府の寄生の巣が他の子らの親から強盗できる流れを作って、カネの流れにどっぷりと寄生するつもりのサヨクのプロパガンダでもない限り、彼らには、貧乏人を敵視する理由がどこにもないからだ。

 そうは言っても、基本的に、子供というのは差別が好きだ。差別できれば、理由はいらない、何だっていいみたいなところがあるのだ。なので、「貧乏人と言われた」と息子が言ってきた時には、しばらく言われるのだろうと思っていた。けれども、私は、「仲間外れにされる」とか「暴力をふるわれる」とかの、はっきりとした害がない限りは、「貧乏人のままでいなさい」という指示を変えるつもりはなかった。「馬鹿にされるのがイヤだ」と、息子が泣きついてきてもだ。なぜならば、実は貧乏じゃない息子が「貧乏人」から逃れれば、息子の次に貧乏そうな子が言われることになからだ。そして、たぶん、その子は本当に貧乏だからだ。

 「言われてウザい」「馬鹿にされるのがイヤだ」くらいなら、我慢しろとしか思えない。傷つきもしないことを自分が言われているだけで、大きく傷つく他人を助けられるのだ。脳味噌がグズグズに溶解して少しの我慢もできなくなってコンビニでわめく老人ボケのジジイじゃあるまいし、その程度の我慢ができなくて何が人間だ、と思う。

 そんな私の予測に反して、その後には、貧乏人と言われた話を聞くことはなかった。息子が遭遇した貧乏人差別は、単発で終わったらしかった。軽く終わってしまったので意味があったかわからないけれど、とりあえず、嫌がらせのために貧乏人と呼ばれたのだから、一応の差別経験にはなった。人間が隙あらば差別してくるものだという事実を、子供のうちに体験できて良かった。肌の色が明らかに違っても誰も何も感じないのが普通だったので、差別が当たり前にある社会のウザさを経験せずに子供時代が終わるのかと、ちょっと心配だったのだ。息子を通じて社会貢献できたつもりの私も気分が良かったし、かなり幸運だったと言える。

 学校とは、本来、そういう体験をさせるために行かせるような場所なのだ。

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