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最終ラウンドでまさかのダウン

たばこの煙
ある朝私は布団の上であぐらをかくと、たばこに火をつけました。口いっぱいに煙を含んで一気にプハーッと吐き出す…
「いや別に私はたばこを吸いたいわけじゃないのよ。
でも吸わなきゃさ、やってられないんだよ、ホントごめんねアキオさん」
と夫に謝ったところで目が覚めました。
夢でした。
今から20年程前まではどこでもたばこが吸えました。私が仕事をしているテレビ局の報道フロアやVTRの編集室、生放送中のサブコントロール室でも、放送機材があるのに普通にたばこを吸っていました。
私も徹夜で編集をするとセブンスターが3箱もカラになったものです。
それから時は流れ…いまや路上でさえも喫煙できる場所を探すのは大変です。
3年前に足首を骨折してから禁煙を始めて、がんの手術をした今は完全にたばこをやめました。夫は20年前に大病をした時にすでにやめています。
がん治療中にイライラしてたばこを吸いたいと思うことも無いのでニコチン中毒はほぼ解消されているのだと思います。
たばことストレスの関係性には諸説ありますが、「たばこの煙は重力に反して上って行くから他にはない解放感を感じるのだ」という話をどこかで読んだ記憶があります。
残念ながらこの名言がだれの言葉なのか覚えていないのですが
「吸わなきゃやってられない」と吐露した夢の中の私へ
「もうじき抗がん剤の苦しみから解放されるよ」と声をかけてやりたい。
ゴールはすぐそこに見えているから。

二人三脚ゴール目前で夫が倒れる

2020年8月26日(水)
抗がん剤治療6クール最後の点滴を打ち終わりました。
どんなに苦しくても3週間をなんとか逃げ切れば終わりです。
その夜の午後9時過ぎ。
夫のアキオさんがトイレから戻ってすぐベッドに倒れこみました。呼吸が荒くびっしょり冷や汗をかいています。
これは命に危険が及ぶかもしれないと思い、119番に電話をかけました。
「救急車お願いします。夫が胸が痛いって。
血圧測れないんです低すぎて、脈拍も。意識はあってなんとかしゃべれますけど」
救急車のサイレンが近づいてきたので私はドアを開けて車を誘導しに行きました。
救急隊員は私の顔を見て一瞬驚いた顔をしました。頭はスキンヘッド、眉毛もない顔を真っ赤に腫らして、立ち上がるのもやっとの状態でしたから。
「いえ急患は私じゃなくて夫です。私きょう抗がん剤打ったばっかりでこんな姿ですが私は大丈夫なんです」
新型コロナウイルス感染対策で病院はどこも厳戒態勢です。しかし私がきょう抗がん剤を打ったばかりの大学病院ですぐに受け入れてくれることになりました。私は常に準備してある入院セットを担いで一緒に救急車に乗り込みました。 
夫もここで何度か手術を受けていて、信頼している医師と看護師がいます。
夫は心筋梗塞と診断され、すぐにカテーテル手術をすることになりました。

私は待合室の長椅子に体を横たえて手術が終わるのを待っていると、看護師が何度か様子を見に来て「痛み止めとか何か必要だったら言ってね」と付き添いの私の体調まで気にかけてくれました。
手術が終わったのはすでに午前3時。
夫と短い時間ですが会うことも出来ました。
「ごめんねアキオさん 私の看病でストレスがたまってたんだよね」
「こっちこそ最後までがんばれなくてヘタレでごめん」夫は力なく笑いました。
「本当に。よりによって抗がん剤の最終回を狙ってもう…交代で入院してるよね私達」

夫は心臓の血管の狭窄部分にバルーンを入れて広げる処置をしたのでひとまず症状は安定しましたが、検査や経過観察で入院することになりました。
早朝6時。私は病院から自宅まで600メートルの距離を寝不足と疲労とたくさんの不安を背負ってふらふら歩いて帰りました。布団に倒れ込むと一人眠りにつきました。

【抗がん剤memo】
2020年8月28日(金)
きたきた骨の髄からの痛み。副作用との最後の闘い。アキオさん入院なのでなんとか1人寝技で乗り切る。
そんな日に安倍辞任表明。こんな日に仕事をしていない不思議
8月30日(日)
アキオさんは火曜には退院出来そう。きのうスマホ届けたけど途中で倒れるかと思った。光りが眩しくて目がハレーション起こして見えない。これも抗がん剤の副作用か。骨の髄がズキズキ痛む。
1人の夜は不安で灯りをつけたまま寝た。
8月31日(月)
36.7℃とびみょうな熱。脚がズキズキ体がむくみしんどい。起き上がるのも辛い。きのうコンビニ行くのもやっとだった。最終回の副作用重い。
1人でもしっかり食べないと。生きる。
9月1日(火)
抗がん剤七日目。疼痛。皮膚がピリピリ。苦しい。しんどい。副作用抜けるのか本当に。見えてるはずなのにこんなにゴールが遠いとは。アキオさんはきょう退院。早く帰ってきてほしい。これほど自信がないのは1人だからだ。誰かが支えてくれないと頑張れない。

心筋梗塞で7日間入院していたアキオさんはすっかり回復し一人歩いて帰ってきました。病院食でちょっとやせたようです。
この7か月の間、夫は新型コロナウイルスの感染防止対策のおかげで誰かを頼ることもできず、人との交流を遮断してたった一人で愚痴も言わずに私の看病をしてきたのです。
本当にごめんね、ありがとう。それしか言えませんでした。そして再び二人三脚で歩み始めました。

【抗がん剤memo】
9月3日(木)
低血糖。コントロールうまく行かない。運動出来ないインスリン打つの怖い。最後になぜこんな試練が押し寄せるのか。体に何が起きているのか。
こんな時は音楽を聴いて気を紛らせる。
昭和のポップス、カルロス・サンタナのエロチックなギター、矢野顕子さんのピアノ。
9月9日(水)
血液検査で白血球がまだ基準値より少し低いが副作用は改善されつつあるようだ。
今後は血液検査を月一回、細胞診、CTなども定期的にやりながら再発していないか確認するそう。罹患していた付近の再発率は高い。
女性診療科はこの先10年の付き合いになる。
9月13日(日)
指先の3本親人中がまだ痺れているが、少し抜けつつある。
足は膝下のしぴれで力入らず最終回で難儀している。
霞目、視力低下はどう関係するのか回復するのか不明だ。
血糖値はようやく安定。抗がん剤で350超える数値連発だったから少しほっとした。
9月18日(金)
整体の綾子先生に診てもらう。足の指が痺れてつま先立ちが出来ない。
「浮き指」状態で足首ひざ股関節も固い。
ゆっくりリハビリしよう。
ここから先は良くなるだけ。

2020年9月23日(水) 
雨の日に、私は職場復帰しました。
傘を差して、でこぼこ道を自分の足でゆっくり歩きながら。

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