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ハラマキ通信 2022年も苦難を乗り越え生き抜いた

幸せな食卓には海苔がある

2023年1月。まだ正月気分が抜けないある日の夕食、夫のアキオさんがカレーライスを目の前にして「海苔!」と言うとにんまり笑いました。
「きょうはカレーだから海苔はないよ」と言うのに、味を覚えたばかりの子どもみたいに海苔!海苔!と繰り返すのです。
まあ1回食べれば気が済むでしょう。カレーに海苔があうかあわないか。しぶしぶ一枚だけ軽くあぶって小皿に乗せました。すると。
アキオ「ええっ?おいしいこれ、海苔おいしいよ!カレーに合うすごく合う!」
海苔を出せ~!と要求した本人がカレーライスと海苔のおいしい組み合わせに驚いていました。
「ほらほら、食べてみてよ。おいしいよ!本当なんだから」
アキオさんが、カレーのかかったほかほかご飯に海苔を巻いてほおばっている。 アキオさんが、一人前のカレーライスを食べている。それだけで、もう胸がいっぱいでした。1年前のアキオさんはチキンラーメンを半分食べるのもやっとの状態だったのです。

大きなストレスの塊

2021年12月27日は私の母の納骨でした。翌日の夜からアキオさんの様子がおかしくなりました。 げっぷを繰り返して少量ではあるものの何度も嘔吐。どこが痛いのと聞くと。
「お腹が痛くて張っている 気持ち悪い」
これは前にも起きた症状、腸閉塞に違いないと思いました。何度もトイレに行くのですが「うんこ出た?」と聞いても「ほんの少しだけで超軟便」と返事には力がありません。 お腹を触ると痛がるのですが頑として病院には行きたくない、救急車を呼ぶのは嫌だと言い張ります。もし腸閉塞であるならば排便さえできれば痛みは治まるはず。しかし日付をまたいで29日深夜0時過ぎ、ついに痛みに耐えきれずに救急車の出動を要請しました。深夜の救急救命センターでいろいろ検査していただいた結果は、やはり腸閉塞でした。

ひとりぼっちで過ごす年末年始。新型コロナウイルス感染防止対策のため病院は面会も禁止です。
アキオさん、腸閉塞の詰まりが抜けるまで絶食だし、鼻からチューブ突っ込まれて苦しいだろうな。そんなことばかり考えていると私一人だけ雑煮を食べる気などしません。
私は元日が仕事始めだったので、会社のコンビニでサンドイッチを買って食べましたが味なんてわかりませんでした。

1月5日の夕方、入院中のアキオさんから電話がありました。
「昨日医者と話してね、肝臓のCT取りたいって言われたんだよね」
腸閉塞で入院したのになぜ肝臓のCT?これは何かあると思いました。すると
アキオ「MIRを撮ってみたら肝臓に腫瘍があるって3センチくらいのやつ」 ええっ…私が2年前に子宮体がんの手術をしたばっかりなのに、今度はアキオさんが肝臓がんかもしれない。いくら二人に一人はがんになるとはいっても、二人続けてがんの手術か。
私「ねえ、それ腫瘍は良性とか悪性とか細胞診したのっていうかどっちにしても手術して腫瘍を取るの?」
アキオ「そう。それで前に腸ねん転で小腸40㎝切ったよね、腸閉塞はそこが詰まるみたい。だからついでに腸の具合も見たいらしいから」
私「そんな一石二鳥って話なの?肝臓はがんなんだよね?アキオさん」
アキオ「まあはっきり3㎝くらいの大きいの見えているから取りやすいんじゃない?開けてみないとわからんけど」
アキオさんから肝臓がんかもしれないと聞かされた翌日は朝から雪模様。東京ではめずらしく雪はしんしんと降り積もりました。

夕方、アキオさんが入院している病院まで雪の中をただ歩きました。新型コロナウイルス感染防止対策のせいで面会も出来ないのに、私は雪の中をただ歩いて病室のある6階の窓を見上げました。
病室はあの辺りかな。窓から家の方角が見えると言っていたから。
中学生が好きな子の家までなんとなく行って窓を見上げるような、青春ごっこみたいな事をして、じっとしていられなくて、会えなくてもいいから、雪が降り積もる中で少しても近くにいたかった。還暦近い初老の女なのに青春真っ只中な私。

1月7日
アキオさんが一時帰宅しました。2022年初のお雑煮を二人で食べました。シンプルに具は少なめで薄味です。アキオさんの腸がまた詰まったら困りますから。食後においしい緑茶を入れて退院おめでとうの道明寺を食べました。

1月12日
私はアキオさんと一緒に病院へ行き医師の説明を受けました。
「それで本題ですが、肝臓がんで正式には肝細胞がんといいます」
おお、せっかちな説明だ。 イラストの体の右側を指し示すと。
「体の右側の部分にがんがあります。3センチくらいの大きさで、肝臓って部位が分割されていてSー5という部分にあたります」
なんだか焼き肉屋あるロースやハラミの部位を示すイラストみたいな図で説明する医師。
「問題があるのはレバーの Sー5 です。おそらく他への転移はない」
レバーって言い方、間違いじゃない。そして懸案事項は続く。
「肝臓のすぐそばに胆のうがあります。ここに結石が2個あるので、これも手術で取ります。肝臓の手術の邪魔にもなりますし近いのでね」
男性の親指の第一関節ほどもある大きな石が2個。石に圧迫されて肝臓がストレスを抱えておできができたのではないかと思うくらい巨大な胆石です。
今回入院したそもそもの理由は腸閉塞でしたが、腸閉塞も肝臓がんも胆石をはさむ形で両脇にできていました。
深刻な状況なのですが、ここまで重なると笑うしかありません。
私「先生、腸閉塞のおかげで肝臓がんも早く見つかって胆石2個も取り出せて、一石二鳥どころか二石三鳥?鳥はトリじゃなくて胃腸の腸か。お得な3点バリューセットですね」
アキオさんもつられて、腹をくくるしかないなと笑いました。
とはいっても、二石三腸の本人は検査が続いて疲れ果て、かなり神経質になっているはずだと思います。
帰宅してから二人ともやっぱり少しテンションが変でした。心がどこかカサカサトゲトゲして、疲れてすぐに眠りに落ちました。

その夜に私はこわい夢を見ました。自分の左の乳房に手のひらくらい大きな赤い痣があって、真ん中から黒い塊が盛り上がり、あれ一体いつこんなものできたのかと。私自身もがんの定期検査で病院に行っているのに気づかないなんて、急にできたのだろうな、左の乳房を全部きりおとすのかしら。赤い痣と黒い塊を眺めて、すぐ病院行かなくちゃ…と歩きだしたところで目が覚めました。 怖かった。アキオさんは何も言わないけれどいまとても怖いだろうな。

1月24日手術 
午前9時から手術開始。肝臓がん~胆石~腸閉塞。コロナ対策で私は病院に入れず自宅で医師からの電話を待つ。
17時41分、手術終了の電話が来る。成功の知らせにほっとする。

2月9日 退院の日。
病室のある六階までも行けず、私は一階のエレベーターホールで待っていると、のっそりカバンを持ってあらわれたアキオさんはすっかり痩せていました。
おみやげはフィルムケースに入った胆石2つ。ふたを開けると強烈に臭い。表面はイガイガしています。これはきっとアキオさんの苦渋の塊。 こんなものが肝臓や腸にイジワルをしていたのか。
一眠りした後でアキオさんをお風呂に入れると、ローズピンクの入浴剤があっという間に灰色に変色しました。アキオさんの背中をごしごし洗うと痩せたなと思いながらも、これまで何度も受けたどんな手術の時よりも回復力はあるなという感触が伝わってきました。
一石二鳥ならぬ〝二石三腸〟の手術で悪いものは全部取れた気がしました。これで安心して眠ることができます。

2月23日午前3時
アキオさんが震えていた。トイレから戻ってベッドに倒れ込む。立っていられない。脈はハッキリと確認出来る。熱を計ると37.9℃。きのう病院に長い時間いたから?
きのうは肝臓がんの病理診断の説明を受けました。がんの進行度はステージ2。転移はなくこれまでになく肝臓は調子がいいといわれて帰宅したのでした。それなのになぜ?
30分後の午前3時半、熱は40℃に上がりました。私は病院の救急外来に電話をかけると、病院の当直医師は。
「ベッドは満床で、祝日でPCR検査は出来ないので解熱剤を飲ませてまた2時間後に電話してください。必ず電話してくださいね」
発熱だけでは…むしろ熱がある状態ではコロナ禍という今のご時世、病院に入ることが難しいのです。救急車も呼んだってなかなか来られない状況なのです。
仕方が無いのでコロナワクチンの時にもらったアセトアミノフェンを1錠飲ませて眠ると、翌朝には熱は下がり、体調は落ち着きを取り戻しました。

真夏の天使

7月は気温34度を超える日々が珍しくもなく続いていました。
お昼ごはんのあとはアキオさんと二人この夏初のスイカで水分補給。
ようやく日差しが傾き始めた頃に、アキオさんが自転車でコンビニに行きました。私は小松菜でも茹でようかしらと夕飯の支度を始めましたがなかなか帰ってこない。もしや何かあったのではないか?スマホを見ると着信アリ。マナーモードになっていたから気付かなかった!
「もしもしアキオさん?」すぐに応答がありましたが…
アキオ「あのね、ちょっと具合悪い  迎えに来て」私「え?救急車呼ぶ?」
アキオ「大丈夫セブンイレブンの中に居る 待ってるよ」
私「いや、自転車で行って帰ってこられないのに、私が迎えに行ってどうにもならないんじゃないの? 」
家から走って5分の距離にあるコンビニへ駆け込むと、身長180センチを超える大男がしょんぼり小さな丸椅子に腰掛けていました。
「どうしたのアキオさん!また胸が苦しくなったの?」
コンビニの店員さんたちがいろいろ面倒をみてくださったお陰で少し体調は回復したようです。
「顔色は良くなってきたね 気をつけてお大事に」とコンビニの皆さんに見送っていただいて私たち二人はコンビニを出ました。

私「アキオさん自転車乗れるの?どうする漕げる?」
んー聞いているのかいないのか、自転車にまたがったアキオさんはよろよろ横断歩道を渡ろうとするものの、途中で歩行者信号が赤に変わりました。
早く道路を渡らなければ…気持ちが焦る一方でみるみる力が抜けてもう完全に自力走行はできません。
私「自転車に跨がったままではどうにも支えられないよ、降りてよアキオさん!倒れるよこれじゃ無理だ!危ない!」
なんとか横断歩道を渡りきったものの道路沿いにあるコンテナ倉庫の前で動きは完全に止まってしまいました。その時。
通りすがりの女性たちが何人も足を止めて助けてくれたのです。高齢の女性が自転車のスタンドを立て、他の数人の女性が大男を抱えるようにして自転車から下ろしそっと地面に寝かせます。そして手を取り脈を計る女性。
「もしや看護師さんですか?」
「そうです そこのクリニックでいま仕事帰りです」
天使だ。 私は思わす手を合わせました。
救急車が到着するまでたくさんの天使たちが見守ってくださいました。

病院の診断は不整脈による心不全でしたが、この日は入院することはなく帰宅できました。
猛暑が続く8月、9月をなんとか乗り切ったもののアキオさんの不整脈は予断を許さない状態で、何度も病院で検査をした結果、10月末に心臓のカテーテル・アブレーション手術を行いました。
アブレーションとは不整脈を引き起こす筋肉の電気信号を、電気メスで焼き切る手術らしい。じつは数年前にもこの手術を受けているのですが、再び状態は悪化していました。2回目のアブレーション手術で心不全を起こすリスクは減ったとはいえ、大男のガラスのハートはまたいつ何が起こるかわかりません。油断は禁物です。

園長先生への手紙

11月21日
仕事を終えた午後7時過ぎ。アキオさんからのラインメッセージが届いていました。
「大学病院に行く。帰りに、よって」
あわてて電話をかけると救急車のサイレンが少し遠くに聞こえます。
「アキオさん救急車?」「そう、来てくれる?」「いま、いま駅着いたからすぐ着く。待ってて!私が着くまで待っていてくれるよね?」
待ってて…の台詞は冗談半分、半分は本気です。
いつもの大学病院に駆けつけるとアキオさんは処置室のベッドで点滴を受けていました。
なんと心房細動でAED除細動を行ったというのです。一か月前にカテーテル・アブレーション手術を受けたばかりですが、またもや心臓発作を起こして危険な状態だったのです。
AEDの時に打った麻酔がまだ効いているのかアキオさんはまだふらふらしていましたが、なんとか自分の足で立ち上がったので、タクシーに乗って帰宅しました。
家に着いた途端、二人とも急にお腹がすいたので味噌汁を作っておにぎりを食べました。
ほっとしたところでアキオさんから事情聴取です。
自転車でスーパーに買い物に行ったら帰りに具合悪くなって動けなくなって、ちょうど保育園の前でうずくまっていたところを助けてもらったらしい。今回の救世主は保育園の園長先生。

3日後。アキオさんが保育園に電話をかけてから、わたしが代理でお礼に行きました。
私「園長先生に命を拾って頂きました。ありがとうございます。病院でAED2回やったので本当に命が危なかったんですよ」
と言ってアキオさんが書いたお礼の手紙を渡しました。
手紙に何を書いたのか、私は内容を知りません。
「こういうお手紙、うれしい」と園長先生はにっこり微笑みました。
「わたしも両親が高齢なのでいつも心配で心配で。お互い様ですから」

保育園の皆様、向かいのマンションの人、通りがかった人、たくさんの人が手を差し伸べて命を繋いでくれたのです。この町に住んでよかったと思いました。 お礼の菓子折りは若い保育士の皆さんが喜びそうなフルーツたっぷりのクッキーにしました。
それから一か月ほどたったある日、保育園の前を通りかかると「AED設置しています」の大きなステッカーが玄関と窓に貼ってありました。

またもや危機一髪!

AEDショックから一か月近くが過ぎた11月末の夕方、仕事帰りにスマートフォンを見るとアキオさんの主治医からメッセージが入っていました。 「きょう診察の時に心筋梗塞の所見があったので、そのまま緊急手術して入院することになりました。くわしくはまた後ほど」
あわてて病院に電話をかけると、通常の診察で検査をしたら心筋梗塞の兆候があったので、緊急措置でステントを入れましたというのです。

私は急いで病院へ…その前に駅と病院の間にある家に立ち寄って、いつも準備してある薬や着替えの入院セットを持って走りました。
医師からの説明で見せられたのは2枚の写真。1枚目の写真は心臓の冠動脈がキュッと1か所細くなっていました。仮に通常の太さが5ミリだとすると狭窄した場所は0.5ミリほど。ほぼ塞がれています。
2枚目の写真はステント処置のあとで狭窄していた血管は前後と同じ太さにまで拡張されていました。またもや命を拾っていただいたのです。この1年だけで何人の方々に何度命を救われたのでしょう。必ず復活してもらわなければなりません。

2022年のクリスマス。〝猫の首に鈴〟ではありませんがアキオさんにスマートウォッチをつけました。これで心拍数、血圧、血中酸素濃度を24時間管理することができます。
これからも何度だって危機を乗り越えて行くよ。アキオさんと二人で。

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