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人生設計なんぼのもんじゃい人生舐めてた32歳独身女の末路②

「人を好きになることは不幸のはじまり」
というのは私の格言なんだけど
この頃からかなと思う。

人生設計としては”結婚”や”出産”も関わってくるので恋愛の話も。

19~23歳まで付き合っていた彼氏は上京してきてすぐに尻軽と化した私を”清純”引き戻してくれた人だった。
他の奴とシないか見極めたいから付き合えないと言われてセフレ状態のまま1年半
その頃にはすっかり彼の方が周りに女の子を多く抱えて私はかなり強めに束縛されていた。
それでも彼を手に入れたくて必死にアピールをつづけた。
彼は「男は旅に出るものだお前は大きい港としてどっしり構えて待っていろ」と教えてくれて
私はその通り、自分の行動は逐一伝え彼の行動には目をつぶっていた。
セフレ1年半ごろに迎えた私の誕生日に晴れて彼氏になってくれる事になった。
舞い上がる程うれしくて嬉しく嬉しくて泣いた。

でも、その後の3年はどんどん苦しくなっていった。
私に対する束縛は増し、彼はどんどん浮気するようになった。
「昨日ナンパした子が着てた服が可愛くてね、ショップ教えてもらったから今度一緒に買い物にいこう!」
「メイク頑張ってるギャルが好きだから女友達を紹介するから教えてもらって!」
こういう事は多かった。
どんなに追いかけても自己肯定感がどんどん下がっていく
あの当時まだ自己肯定感という言葉は知らなかった

セフレ期間に一度だけセックスを断った事があった。
「やりたいときにやれない女と付き合っても意味ねぇわ」
そう言われてどんなにしんどい時も対応していた
しかし2年後には彼から求められることが減っていき
月に1回、半年に1回と気づくと最後は1年していなかった

こちらが仕掛けてみても
「家族みたいになっちゃたから、そういうんじゃない」
そう言われて断られ続けた。
【ダサい】と言われて彼の好みの服しか買えず(もちろん私のお金)
【音痴】と言われ彼の友人と行くカラオケでは歌ってはいけなかった
彼の浮気が分かっても責める事はできない
「お前みたいなちょっと可愛いだけのダメなやつ。俺が居なくなったら誰も拾ってくれないぞ」
どんなに『俺にとって大切な存在だ』と言われても
私は私自身を失っていった
彼は私を抱かず知らない誰かを抱いている

そのおかしな関係に目が覚めたのはバイト先を変えた頃だった。
男女問わず「君の彼氏はおかしなことを言っている」と指摘された。
ある友達は「こんないい友達を舐められて悔しい」と言ってくれた
目が覚めてしまってからは早かった。
何度か別れ話をして別れられなかった末に私が浮気をした。
と、言ってもそれまでに彼氏以外の男性に近寄る事に恐怖みたいなもの(彼に怒られる、捨てられるといったもの)を感じるようになっていたから
意を決して仲良くなった男友達の家に行ったけど、いざそういう感じになったら身体が震えて涙がでてきてただただ眠れない夜を過ごしただけだった。

それでも”男の家に行った”という事実は重要でLINEで罵倒を浴びせられて
それをきっかけに別れられる事になった
「俺は浮気してもお前は待っていろ。お前が浮気したらその時は終わり」
そういう一貫したところはあった訳だ。

その後その男性とも気まずくなってすべての連絡を無視し続け関係をたった。

半年ほど経ってまた別の男性といい関係になりお付き合いが始まりそう。と家に行った時には
終電がなくなってから、遠距離恋愛の彼女がいる。と打ち明けられた。
彼は彼女からの電話を取り、電話し始めた
私は部屋の隅で息をひそめ小さくなって座って電話が終わるのをまった。

”こっち側に来たんだ”

最初の彼と付き合っている時、何度も電話の向こうに「女が居そうだ」と女の勘が働いた
話し方とか雰囲気が違ったしその奥で音、声がしないか耳を澄ませて電話をしてた。

”あの時の女達もこうして息を潜めて座ってたんだ”

だれも、私を一番には選ばない

25歳になって、彼氏も居ない、仕事もフリーター状態。
いま日本に居なくてもいいんだと思い立って母親に借金して
バリ島に行ってみた。

バリ島では月に3万円ほどの御給料をいただきながら(現地の相場)
新設されたホテルのフロントで仕事をしていた

月3万円というのは現地の人達と変わらない御給料でバリ島の物価で言えば平均位の金額で
働くホテルに住み込みだったので家賃と3食賄いつき。
そうは言ってもホテルの賄いは現地の人達も美味しくないというケータリングで
外に出ればワルン(食堂)でも”日本人価格”で高くて、楽しいだけじゃない生活だった。

それに今考えれば25歳にもなって費用を払うのではなくて”仕事”で海外に行く方法なんてもっとたくさんあったのに何も考えてなかったし
”経験”それだけで、その後何に活かすのか、どんな経験や知識を持って帰るのか。
何も考えて居なかったのは我ながらこれが人間の人生1回目なんだろうなと
思わされる。

現地のホテルには日本人スタッフが多くいて
そのうちの1人と 恋人関係になった。

しかし、彼は日本に妻がいた。そしてまた別の彼女が別の島にいた。
私は、3番目だった。
半年。ものすごく長い半年のうちに私たちは惹かれ合って求めあって
島の彼女への腹いせに日本で結婚をした事、
日本の妻から離れたくてバリに来た事を聞いた
私と一緒になるためにそれぞれと別れると言い
私はこの人を信じた。

島から彼女が訪れた。
3泊4日の間、彼は有休を取ってホテルを休み私ともほとんど連絡を取らなかった。
長い4日間だった。
長い彼女だったから大揉めしたというが別れる方向で話せたといっていた。

その少し後、同じく3泊4日で日本から妻が訪れた。
彼は休みを取らず働いていたけど彼の住む社宅に妻が来ていた。
そのうち1日が結婚記念日だという事がわかり
従業員達がサプライズを敢行した。
別れ話をするかもしれないと思ったけどそんなことは言わない
彼からの考えたサプライズは、社宅に潜入しホテルの装飾を施すことだった。
ベッドにタオルアート、シャワールームの浴槽にバラの花びらをちりばめた
その、装飾を行う係に私も選ばれた。
本当は通いなれている彼の部屋に初めてみたいなふりをして入室して
他のスタッフと一緒に支度をした。
「これは嬉しいね!」「喜んでくれるかな!」「今夜は燃えちゃうよね!」とはしゃぐスタッフと一緒に
最後に手書きで”HAPPY WEDDING”とメッセージカードを置いた


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