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バイクで転倒して小指の骨が見えた

私は毎年団体戦の時期には
碌に弓を引ける状態になかった
個人戦では何とか結果が出ている
それがなかったら救いようがない

大学3回生の春前(ギリ2回生)
ちょうどこれくらいの時期になると思いだす
バイクで転倒して指の骨が見えた

私は今も左手の小指が少し歪なカタチをしている
爪は綺麗に治らなかった
斜めになっている
あと少し感覚が鈍い
左手ではよく物を落としてしまう

10年経ってもこんなもんかと思う
最近よく思うのだ
再建手術って大切だと言うことと
親に隠し事をしないことは大切だと思う

飲食店の方のバイト帰りだった
深夜に中型バイクで派手に転倒した
フルフェイスを被っていたのになぜか前歯が折れた
バイクから投げ出されたあと
ハンドルで手を潰して
視界が白黒にチカチカしていた
口元に違和感を抱き触ると無くなっていた

幸運だったのは深夜だったため対向車もおらず
倒れていても轢かれる心配がなかった

しばらく地面を這いつくばり抜けた歯を回収した

そこでiPhoneのライトで
地面を照らして気がついた
私が歩いたところには血がポタポタを滴っていた

…アレ?全身痛いけどなんで?
歯だけじゃないの?
混乱していた

全体的に左半身が痛くダラリと垂れた腕
左手の小指の爪がめくれあがり
それが肉に刺さって
指が一部なくなっていた

アレ…?
初めて自分で自分の骨を見た
気を失いそうになる

こんなに痛いのに気絶出来ないのが不思議だった


転倒する10分前
バイト先の締め作業も済ませて、同棲先で飲もうと思ったお酒を買いにコンビニに寄った

コンビニでは同じ部の同期が深夜勤務していた
「年確お願いしまーす。笑」
「はい、同期でぇ〜す。」
なんて言っていたのが嘘みたいだった。

当時は無料で当たり前のように貰えていた
小さめのコンビニ袋
それをクラッチ側のハンドルにかける

短距離だからと思って手袋をしなかった
これが1番ダメだった
足はハイカットのスニーカーでくるぶしは守られた

卒業後はライダーブーツを必ず履いていた
手袋も夏でも革手袋

とりあえず帰宅せねばとバイクを起こして跨る
スピードも大して出ていなかったのに
ミラーが割れていたので仕方ないので降りた
押して帰った 重かった

自損事故だしとりあえず帰って寝たら治るだろうと小さな振動でも感じる痛みに耐えながら歩いた

なんで転倒したんだと考える
坂道の横断歩道で信号は青だった
歩行者が横切ろうとしていて急制動をかけた
その時にとっさに前輪の方に力を込めてしまったんだと思う
地面には運悪く砂があり滑り転げた
たぶんそうだったと思う

でも道路でうずくまってる時には
歩行者はいなかった
疲れていて見間違えたのだと思った

変な汗をかきながら家路を急ぐ


駐輪場にバイクを停めて
左手をシャツでくるんで滴る血で
アパートを汚さないように帰宅する
鍵を出すのもしんどくて
オートロックの部屋番号を押す

深夜にも関わらず同居人は起きていた
大学生の生活リズムなんてそんなもんだ

私「ごめん。開けて〜手ェ塞がってんの」

ほいほ〜い、と言ってガチャリと空きエレベーターに乗って部屋に向かう

部屋の鍵も開けてくれていた

彼「おかえり〜」
とパソコンで作業をしながら背中越しに言う

「た、ただいま〜…」
と出来るだけ平静で返事したがすぐに振り返って

ズタボロになった私を見て悲鳴を上げていた
暗がりでは気が付かなかったが
左半身の服は破れて血が滲んでいた

極め付けは後ろ手に隠した指

「びっくりしないでね?」と前振りしてから見せた

彼「ギャァァァァァア!!痛いィ!!」
なんでそっちが痛がるのよとちょっと笑えた

私「多分これ骨、肉は飛んだ」

彼「グロいグロい!やめてよぉ!怖い!
病院行こう、今すぐ行こう」

私「大丈夫だよ、洗えば自然に生えるよ」

彼「生えねぇよ!!」

とりあえず翌朝行くことにした
もう動きたくなかった

血まみれの服が張り付いて
上手く脱げない
脱ごうとすると皮膚まで持っていかれそうになる
不本意ながらハサミで切るのを手伝ってもらう

あと傷だらけで痛すぎて身動きが取れず
砂だらけの髪も洗ってもらった

彼「とりあえず傷口の水で砂流そう。そのあとお湯溜めるからジッとしてろ」

なすがままだった

着替えてフカフカのベッドに横になったら
急に指が痛み出した
気が緩んだ

冷蔵庫にある水を飲む

うう…と寝ていても唸っていたらしく
起こされて痛み止めと胃薬を飲んだ
全く効かない
冷や汗が止まらなかった

そういえば買ったお酒破裂してたな
明日からどうしよう
こんな時期に弓が握れないなんて
ぼんやり考えながらスッと落ちた
先輩に何て言おう

長い夜が明けた
起き上がる時、身体中が痛む
服を着るのも嫌だった

書き置きがあり
「ごめん。単位ヤバい授業行く。
ちゃんと病院行けよ
結果もメールして」

勝手に大きめのサイズの練習着を借りた

眠っている間にコンビニで大きめの絆創膏を買ってきてくれたらしい

肘と膝と腰に貼ってくれていた
しかもちょっといいやつ
アイツいい奴だな

徒歩で病院へ行った
総合病院の整形外科で医者に
何で救急車呼ばなかったの?と驚かれた
親にバレたくなかった

私「歩けたんで大丈夫だと思いました」

医「歯は?」

私「折れました。この後、歯医者行きます」
口元の風通しがいい
スースーする

医「半ヘルだった?フルフェイス?」

私「フルフェイスです」

医「よかったね。歯全部無くなってたかもしれへんで」

怖ぇぇ…

念のためCTとレントゲンを撮った
パシッとライトの付いた板に付ける

医「はい、ここ折れてまーす」
 「再建手術する方がいいかもしれないね」

私「あの…自然に生えます?トカゲみたいに」

医「多少はね。あんまりおすすめしないですよ」

かなり痛む処置をされた
感染症予防のために仕方ない
毎週消毒に通うことになる
途中で面倒になり自分でやっていた

大量の痛み止めをもらった
大袈裟に巻かれた固定具が恥ずかしい

トボトボと同棲先に帰る
「バイト先と部活のみんなに謝らないとな…」
バイトは水仕事出来ないしレジ固定になるな

気が重かった

問題は部活の方だ

特に春のリーグ戦には出られないことが確定したこの時点で自己ベストは部内でレギュラーだったのに
骨折痛が引くまでひと月はかかるそうだ
爪の再生はもっとかかる

溜め息が止まらない

主将と主務も来ているそうなので
事情を話しに部室に向かった

「だからバイクやめなさいって言ったでしょ!!」
「万が一があったらどうすんのよ!」
正座で無茶苦茶に怒られた
あとすごく心配された
とにかく申し訳なかった

今期のリーグ戦は私が出るはずだった立ち位置には後輩が入ってくれることになった
私と師弟を組んだ子だった

素直で真面目で可愛い子だった
ぐんぐん点数も伸びた
私はこの子を怒ったことが無かった
怒る部分が無かったし軽く指摘するだけで
10を理解してくれる子だった

新年度になってからは
私は力仕事も出来ないので後輩指導と
主将と主務の簡単な雑用係になった
あと的の補修など1年に混じって作業した

こんな大事な時期に怪我した
アホな先輩の言うことを聞いてくれるのだろうか

自己肯定感がド底辺になっていた

部室で会った後輩たちが心配してくれる
私「ごめんよぉ…」としか言えない

後輩たちが「仕方ないですよ、まぁお菓子でも食べてくださいよ」「来てくれるだけでいいですから」「たけのこの里あげますから」と慰めてくれる

どっちが先輩なのか分からない


この日はとりあえず帰宅した
お腹減ったな…座椅子に腰掛けてボーッとする

スマホを出して同居人に
「何か食べたいけど痛くて何食べたいか分からない」と我儘メールを送る

そしてウトウトと眠った

彼「ただいま〜」
 「買ってきたぞ、アボガドとサーモン。
 短冊だから切るから待ってろ」
 「あと米も炊くからな」

私「早炊きにして、お腹空いた」

彼「もぅ!我儘!」

「お前ッ口の中切れてたらと思って、なるべく沁みなくて好物のメニューにしたんだぞ!」

私「…うん、食べたい」

優しさに甘えて大人しく待っていた

そしてこの日も髪も洗ってもらった
身体の傷は防水の絆創膏のおかげでほぼ沁みなかった

しかし思ったよりも傷は深く化膿してしまった
5日間貼りっぱなしでいいはずの絆創膏は半日でダメになり普通のガーゼと消毒を繰り返した
すぐに膿んでしまうので処置が辛い
痛いしめんどくさい

少し熱が出た
痛み止めは解熱剤にもなるからとにかくそれを飲んで耐えた


2週間くらいして指以外はある程度傷が塞がった
部活にも徐々に復帰した
まともに歩けるまでかなりしんどかった

タイマー係や雑用をこなしていた
あとは後輩に頼まれた時に射形をビデオで撮り
一緒に確認してバランスの悪い箇所を指摘し
直るまで練習して何度も見る

的の真ん中の綺麗に当たるまで気になる箇所は伝えた

しっかり当たるようになって
後輩が嬉しそうにしている
私も嬉しかった

思ったよりもサポート側に向いているのかもしれない  

競技で参加できなくても全体の点数の底上げが出来ればいい

どんな状態になっても役割があった
有り難かった

理想は点数で全体の雰囲気を作れる主将になりたかった
そのつもりでずっと練習してきた

でももうそれは叶わないと思った

同期にもサイトの調整をするから見て欲しいと言われたりした
3本射ってもらって射形と刺さった位置をみて
「上に2メモリ、左に1だと思う」
もう一回やってもらい的の真ん中に刺さる
やった!すごいね!と喜ぶ


一応練習場には自分の弓も持ってきていて自主練の時間に少し射ってみようと思った

フィンガースリングを使えば弓を握れると思った
キツめに押し手に縛る
近射台の前に立ち弦を軽くはじく
矢をつがえて顎下まで引き込み射った
もう1000回以上やっている基本動作だ

バツン!!と矢が刺さり
ガシャン!!という弓を落とす音が響く

痛いのは指だけじゃなくて
左腕全体に激痛
腕をおさえて膝から地面に落ちた

こんなこと今までに一度もなかった

痛ってぇ…と息が止まる
先輩が弓を拾ってくれて矢も抜いてくれた
「まだ無理したらアカン、座り、気分悪いやろ、休み」

弦を外して大人しく皆の練習を見ていた


射てなくなったのがショックだった
練習が終わり同棲先に帰宅する
彼に近射台も射てなかったと話す

彼「当たり前やろ、骨でてんねんから」
 「焦るなって」

私「うん、もう塞がってるけどねぇ…」

 「辛い…プレミアムロールケーキ食べたい」

彼「は?俺、今帰ってきたんやけど?」

私「今、食べたくなった」

彼「はいはい。行ってきますよ。」

私「あとハッシュドポテト」

彼「いい加減にしろよ」

髪を梳かしてもらって洗う作業は
ほぼ毎日やってくれた
当時腰まであるロングだった
片手じゃ上手く泡立たなくて困っていた
まとめるのも一苦労だった

朝は彼がくくってくれて
学内では友達にお願いしていた
シンプルにくくってくれと頼んでるのに
みんなに遊ばれて編み込みしてもらったりした

あとできる範囲で家事はするようになった
単位はほとんど取れていたので授業は少なかった
そもそももうすぐ長い長い春休みだった

料理も片手でできるものを選んで作った
ワガママ放題やった分返さないといけない
男子部もリーグ戦に向けてピリついていた


春のリーグ戦が始まった
毎週末、遠征で試合だ
私はサポート役なのでスーツで参加
選手の応援とケアをする

審判資格もあったので
際どいところに刺さった矢の判定もした
それ専用のルーペがある

順当に行けば勝ち抜けたはずだった
やっぱり試合でしか積めない経験がある
練習よりも点数は下がることもよくある

去年は私も10点に入れたと思って「10点です!」と
掛け声を出すと「ドンマイ!」と言われて
え?なんで?と声が出る
後ろで射っていた先輩に

「おい、的間違えてる。私の方に刺さってる。落ち着いて射て」と言われたことがあった
緊張してたにしてもアホすぎる
もちろん0点だ

全部の試合が終わって先輩がいないところで
「来年は一緒に出よう、大丈夫。無理させてごめんね」と伝えた
残念ながら別の事件がありそれも叶わない

そして私たちは2部リーグ残留になった
1部に上がるギリギリのラインだった
先輩たちには悪いことをしてしまった
そして引退の日にお礼と花束を渡す

「ありがとう。楽しかった。
卒業までまた、たまに来る」
そう言って一度も来てくれなかった

震災の影響で就職活動が難航していると噂で聞いた


引退前に次の主将などの役職を決める
先輩が決めてくれる
それに従うだけだと思った

主将に選ばれたが辞退した
点数が取れないトップは害にしかならない
射てるようになってもリハビリがいる
サポートに回れるよう配慮してもらう

外部コーチとのやりとりは
私が中心となってやっていた

面倒な作業が学年が上がるごとに増える
事務や出納管理はほぼ請け負っていた

本格的に新入生が入ってきて可愛いなと思った
弓を持つまでの基礎練習を一緒にした
筋トレもできる限りやった

腕立て伏せが出来ない子が多かった
「膝ついていいからやってごらん」
「必ず出来るようになるよ」

私はまだ左手を地面につけれないので右腕だけで腕立てをしてながら回数のカウントをしていた

練習用の弓で素引きをする
軽い力で引ける
リハビリには良さそうだと思った

「構えて、持ち上げて、引き込んで、狙って、伸びて、降ろせ」
自分の弓が届くまで、ひたすらこれを繰り返す
ひたすらイメージトレーニング

こうしている間も同期や後輩はガンガン射って
上達してるのだろうなと羨ましい

私もこうして先輩から教えてもらったのだから
繋いでいかないといけない

年齢が離れていたら男女問わず可愛いから
つい世話を焼きたくなる

結局、まともに射てるようになったのは夏前だった
それまでは痛みがあって集中できなかった

心底バイク事故は気をつけようと思った


今はもうバイクも乗っていない
結婚する時に夫に乗らないで欲しいと頼まれた
分かったと言った

でもまた乗りたいと思っている
懲りてない

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