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そこに阿波踊りがあるからだ。

「そこに山があるからだ」
有名な登山家が、山に登る理由をこう言った話を聞いたことがあります。(ただしこれは、誤訳のようですが。)私が阿波踊りを踊る理由も同じかもしれない。

「そこに阿波踊りがあるからだ」
徳島、特に徳島市内で生まれ育てば、むしろ阿波踊りを避けて通る方が難しいのです。

まず私が通っていた幼稚園に阿波踊りの連がありました。阿波踊り期間中は幼稚園の連で踊っていました。それから私は公文式に通っていたので、公文式にも連があります。そこでも踊っていました。それから父が当時勤めていた会社にも連があったから、参加させてもらっていました。それから小学校の高学年でも徳島は組体操ではなく、阿波踊りです。県外の人と会話するまでそれが普通だと思っていました。


ちなみに「連(れん)」とは、阿波踊りのチームのことをこう呼びます。
連の種類を大きく分けると、こんな感じ。

・阿波踊りのプロフェッショナルである「有名連」
有名連は、お稽古事をする感覚でみなさん会社や学校のかたわらで参加しています。子どもから大人まで。小学校のクラスメイトで阿波踊りを習っている子が結構いました。ちなみに私も憧れていた。

・企業が主催する「企業連」
今は違うのかもしれませんが、私が参加していたころは、徳島にゆかりのある企業が多い印象でした。有名人をゲストに招くこともあるようです。

・学校、学生が主催する「学生連」
地元徳島大学はもちろん、堀江貴文さんは母校の東大連で阿波踊りに参加されていることで有名です。学校ではないけど私の出身幼稚園も連がありました。


こんな風に、徳島を離れる13歳まで自然と阿波踊りに触れ合って生きてきました。家庭の事情で急に徳島を離れないといけなくなったのが、ちょうど25年前のこと。そこからは徳島を車で通過したり、徳島でご飯を食べたりすることはあっても阿波踊りにはなぜか行けなくて。心理的なつっかえが少なからずあったのでしょう。大好きなのに近づけない、躊躇してしまう、毎年夏が来るたびに後ろ髪ひかれる思いを抱えていました。


阿波踊りへの未練があったからでしょうか。規模は全く違うけど、今住んでいる地元の夏祭りの踊りにも3年前から息子と参加しています。

子どもはまだしも私が踊ることは、こちらのママ友からすれば少々不思議に見えるようです。「すごいね!」とか「ママも踊るの?踊りが好きなんだね」とか毎回言われるので。でも私からすれば、踊らない方が不思議です。だって「そこに踊りがあるから参加する」環境で生まれ育ってきたから。「見る阿呆」より「踊る阿呆」になる方が絶対楽しいことを肌身で知っているから。



いろんな人たちのご縁のおかげで、今日これから阿波踊りを踊ってきます。私が参加しているオンラインサロン「箕輪編集室」でのプロジェクトで阿波踊り企画が実現しました。私はただ見ているだけでしたが、プロジェクトの中心メンバーのみなさんの熱狂のおかげで今日を迎えました。オンラインサロンで連を作ってしまうってすごいことですよ。昔からある大きなお祭りですから、そこに新しいものが参入するってハードなはず。



徳島を離れたあの夏から25年。
さまよっていた25年前の私の未練を今日成仏してきます。




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