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子どものアルバム作りやめます。

今朝決めたことがあるので、記録しておこうと思います。
私、子どもの写真のアルバム作りをやめます。


「子どもの写真のアルバム作成」って世間のお母さんにとって、大事な業務ですよね?
そうでもないのかな?
少なくとも私はそう思っていました。

それはたぶん、母が私の成長記録の写真を甲斐甲斐しくアルバムにまとめていてくれたのを知っているからだと思う。
私はそれがなんだか嬉しくて、大人になっても折に触れて見返すことがあるんです。別に「あの頃はよかったなぁ」とかそういうのじゃなくて、なんとなく懐かしくてついつい見ちゃう。
そして見れば見るほど、「たくさん愛されたんだなぁ」ってわかって嬉しくなる。


こういう気持ちがあるから「私もやらなきゃ!」そう思っていました。
最初の子が生まれた時、母は名前刺繍入りの昔からあるようなタイプのでっかいアルバムをプレゼントしてくれました。
この頃は私も仕事してなかったし、家事育児の合間でちょいちょい写真を貼っていた。でもね〜上の子のアルバムは1歳半からストップしています。

下の子?もちろん名前刺繍入りアルバムは母からプレゼントされましたが、
写真は1ページも貼れていません。


いつか時間があいたらやろう、やろう…って思っていたけど、たぶんそのいつかは当面訪れそうもない。というかずーっと来ない気がする。
だったらもういいわ、って思ったんです。

もちろん写真の現像はするし、学校や幼稚園からも写真は買うので、保存はします。時系列に軽く並べ替えくらいはしようかな。
だけどそれ以上はもうしない。



でもねぇ、ログはやっぱり残したいんですよ。
「愛されて育ったんだな」ってことはわかってほしいし伝えたい。
そんなもん、彼らにすれば興味がないのかもしれないけれど。
じゃあどうしよう?って考えたら、やっぱり私は書いて残したい。
私これまでも家族のことは、ブログにもnoteにもいーっぱい書いてる。
ブログ名なんて「はらぺこかぞく」ですからね。

ブログを書き始めた理由はいろいろあるけど、そのうちの一つは家族へのログなんです。ちょっと暗い言い方をすれば遺書を書いてる感じです。

だって私が明日生きている保証はないし、それはみんな等しく同じでしょ。
だったら大好きな人へ「大好きだ」って気持ちは、過剰なくらいにたくさん書いて残しておきたいって常々思っているんです。
仮に明日私がいなくなっても、悲しくないくらいにいーっぱい残しておきたい。

あ、なんかさも重病人で、余命いくばくもないみたいな書き方をしていますが私はいたって健康です。今なんて機嫌よく飲酒しながら書いています。
1日1に日を大事にしようっていう意識が強いってだけの話ですよ。念のため!

だからこれまで以上に家族の、子どもの記録をたくさん書こうと思う。
だたもちろんこうして公の電波に乗せてある程度の人が読んでくれる以上、ほんまの日記はつまらないので、読んで何かを伝えられる内容にできるよう書いて行くつもりです。


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浜田 綾(コトバノ):ライター
ブログ :「はらぺこかぞく」https://harapekokazoku.com/
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