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私なりのライティングに対する考え。

この週末はライターの講義を受けに東京へ行きます。
これです。
今回は田中泰延さんが講師を務める回で、泰延さんのトークイベントには行ったことがありますが、講義ははじめて。楽しみで仕方がありません。
この講義の内容については規約上、お話することができないのですが、今回田中泰延さんからは事前課題があり、これに随分と苦労しました。
ここから感じ取った最近の気づきについて。


課題の内容も具体的には書きませんが、「物書きは調べることが9割9分5厘6毛」の講義のお題に関連した、狂ったように調べないと成立しない課題でした。
私自身は、一つのことを詳しく掘り下げて調査することが比較的得意だと思っているけど、それでも課題は大変だと感じました。
なんとか提出はしましたが、課題を通して自分の未熟さというか、まだまだまだ目指す先は遥か遠く先にあるのだなぁということを感じました。

仕事で受ける内容も取材や調査を細かく行った上で書いているけど、でも毎回このくらいの調査をやっているか?と問われたら、できていませんから。
情報発信するのは随分簡単になってしまったけど、ライティングって本来それくらいの覚悟と責任があることだよなぁってことをひしひしと感じました。


これ、尊敬しているライターの古賀さんの大好きなnoteです。
本当にこの通りで、ライティングって1つの物事でも、どこに光を当てるかで全く話が変わってしまうんだと思う。
ライターは光に当たらない全ての部分までをも調査し、事実関係を把握して整理し、適切なところに光を当てて書く。それ以上でもそれ以下でもない。

全てを把握した上でじゃないとどこに光を当てればいいのか、判断できないし、また光をまっすぐ当てて照らされたこと以上を書かかない。事実関係の把握もできていない状態で、一部分を誇張して光を当てれば、真実すら歪めて書くこともできてしまいますもんね。


これライターはもちろんだけど、情報発信する人全てにとって大事なことなんじゃないかな。だって誰でも気軽に発信できる世の中になりましたが、全てを調べ上げて、事実関係を把握し、その上で光を当てて書く。
これができている人が、果たしていかほどいるのでしょうかね。
そういう公平さと公正さが担保されているものと、そうでないものの差が大きいから、ネットの記事は玉石混交なわけですしね。
ライターって看板をあげて仕事をしている以上、この覚悟と責任だけは背負える自分でいたいなと気付かされた課題でした。


ここ2日脱力系のnoteが続きましたが、今日はちょっと真面目に思っていることを書いてみました。週末が今から待ち遠しいです。

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浜田 綾(コトバノ):ライター
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