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【占い師のエッセイ】第9話 恋人という沼にハマる占い師

サンスクリット語の先生が言っていたそうな。

「サンスクリット語は恋人のように毎日会いに行かないとそっぽ向かれる」

はい、毎日会いに行ってない(勉強してない)んで、完全にそっぽ向かれているはら匠です。

沼はサンスクリットだけでない。私にとってインド占星術も沼だ。
つまり二股している状態だ。浮気者ということになる。
タイトルで「恋人という沼」といっているが、必ずしも恋人は1つとは限らない。


さて、最近、大学時代の同じ建築学科の友人と本屋に行ったんだけど
本屋に行くと、たいてい、自分の興味があらわになる。

こんな立派な本屋ではない。あくまでイメージ

私は真っ先に「占い・風水」コーナーに直進したい気持ちを抑え、
友達の行きたいコーナーへ一緒に向かった。
そして、友人は建築士の資格試験の教材のコーナーへ直進。

せっかくなので私も一級建築士の資格の勉強本を開いてみた。

私も4年間の大学で、建築法規やら、構造計算やらをやったわけだから、出てくる単語になじみはある。「あ~見たことあるなぁ」って。
脆性(ぜいせい)とかδ(デルタ)とか、な~んのこっちゃ分からんけど見たことある。すべて丸暗記だったから、試験のたびに覚えて試験が終わったら全部忘れた。

はっきりわかったのは本当に過去の自分が勉強していたのか疑問に思うくらい、興味がない分野だということ
友達には頑張って一級建築士の資格を取ってもらって、いつか実家を立て直してほしい。

インド占星術だとどうだろう。
別に覚えようとかしていない。暗記しようとも思っていない。
でも、毎回毎回ホロスコープが手に入るたびに、本を開いて読み解いていくうちに覚えた。
アスペクトとかも覚えようとしなくても、毎回確認しながらやってたら嫌でも覚えた。

なぜか?
人様の人生をホロスコープで見ると、自分との違いや共通点が浮き彫りになってくる。同じホロスコープなんて一つもない。そうなってくるといかに人と自分を比べることや、誰か(世間)が言ってる価値観が馬鹿馬鹿しいかよくわかるからだ。
そして純粋に「なんで遠くにある星が私たちに影響してるんだろう」と不思議だからだ。

それが楽しい。鑑定が立て続けにあると
「あ~~だれか~~~~~私のこと鑑定して~~~」と思うときもあるけど、なんだかんだいって楽しい。

自分が本当に恵まれていると感じているのは、勉強したいことを勉強できることだ。そして何より一緒に勉強できる仲間がいることだ。

それがとても大きい。

前ほど「占い・風水」コーナーに魅力を感じなくなった。前はかなり、ときめきを感じていたが、今はインド占星術やらサンスクリット語の勉強やらでそれどころではないからだと思う。
あまり必死感もない。
とはいえ、今年はどんなもんかなーインド占星術で出した見立てとどう違うのかなーと一応見てしまう。

なにからでも学ぶことは多い。

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