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子供の頃は大人っぽく見られ大人になると子供っぽく見られる発達障害について

タイトルについて、発達障害人にとっては結構あるあるなのではないでしょうか?

発達障害の精神年齢3分の2説というものが巷で囁かれていますが、科学的根拠は無いようです。

しかしワタクシにも大いに当てはまる上記の件について、今回は考察と私の体験談、精神年齢18の27歳になった今、等をお話していきたいと思います。

発達障害人、精神年齢が低いと言われる理由

発達障害人の特性から考えられる理由を5つ考察。

1.「関心の偏り」のためひとつの事柄から学び取るものが少ない。視野が狭いと言われる所以。

2.「関心の偏り」のためそもそも経験の機会を逃している。通過儀礼のスルー。

3.「想像力が乏しい」ため応用が効かず、経験則から対応することが難しい。

4.「衝動性」により刺激を求めがちで行動力が高い。フットワークが軽く見られる。大胆な行動をとる。

5.自閉的かつ周囲からの目を気にしない傾向。もしくは見られ方を想像するのが難しい。

子供の頃は大人っぽく見られ、大人になると子供っぽく見られた

子供の頃よく「大人っぽいね」「しっかりしてるね」「大人しい子だね」という言葉を浴びせられていた。

言葉を鵜呑みにするASD民、例のごとく「私は大人っぽいんだ」と認識していた。

おそらく当時大人っぽく見られた要因としては
・口数が少なく落ち着いている
・自分の意見がないためワガママを言わない
・自己主張をしない
・言語優位のため言葉の知識が豊富、難しい言葉を日常的に使う
こんなところだと思う。

しかし、大学生になり社会人になり歳を重ねるにつれ、「なんか若いね」「むしろ若返ってない?」「お子ちゃまなんだからー」という言葉を浴びせられるようになった。

内心「はにゃ!?」である。

言葉を鵜呑みにするASD民、例のごとく混乱。

私って何なんだ・・・

新卒入社の会社ではよく上司から「大人になるとね・・・?」なんて枕詞を使われた。当時は「なんだかすごく子供だと思われているようだが何故だろう」と結構ショックを受けていたが、今思い返してみると大層な嫌味で、しかしそれによって私に何かを気付かせようとしてくれていたのだろうかとも思う。

27歳の今思う事

仮に私の精神年齢が3分の2だった場合、今私はやっと18歳、大事な進路を決める高校3年生の夏である。

そうだとすれば、定型発達の同級生たちは、それなりにアイデンティティを自覚し、なんとなく社会とはこういうものなんだと学校生活から読み取った上で一人暮らしデビューをし、大学に通っていたのか・・・そう思うと、妙に腑に落ちる。

ワタクシが大学生だった頃よく「生き方がわからない」「みんな生きるのが上手いな」「みんな生き方をどこで学んだんだろう」と感じていたからだ。あの時の違和感、周囲とのズレはそういう事だったんだろうか。

少し違う気もするが、周囲のブームがいつも遅れて自分に届くというのもあるあるである。映画やアニメ、コスメにガジェットまで。体感では大体2年遅れだ。

考察した原因から見るに、遅れを取り戻すには結局のところ経験を増やすしかないように思う。
しかし、気が向かないことは一切やる気になれないし外気は刺激だらけで疲れるしひとりの休息時間は絶対に削れないのだから正直現実的ではない。

調べたところに拠ると発達障害民は定型発達に比べ寿命が短いなんてデータも出てきたが、おそらく自殺率の高さに由来するもので、遺伝的要素はないように思われる。

であれば、我々発達障害民は定型発達より若者として生きられる期間が長いではないか。気持ちが若いうちしか出来ないことはたくさんある。大いに若々しく生きようじゃないか。

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