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こちら(相手)にベクトルが向いていない人との会話は、とても長く苦痛なものに感じる。貨物列車が通り過ぎるのを待っている時みたいな。思ったより長いな、早く通り過ぎてくれないかな…みたいな

    • 薬で胃がやられてメンタルも同時にやられてる。体調もなかなか良くならない😃🖕 こういう時、ずっと良くならなかったらどうしようってすぐ不安になる。

      • コロナマジしんどすぎ。喉ちぎれるかと。てか喉焼かれたかと思うぐらいつらくてわろた、いや笑うこともできん😃

        • 「こうした方がいい」みたいな世間一般的な常識は一旦置いといて、自分の意欲が湧くことをやる🙃

        こちら(相手)にベクトルが向いていない人との会話は、とても長く苦痛なものに感じる。貨物列車が通り過ぎるのを待っている時みたいな。思ったより長いな、早く通り過ぎてくれないかな…みたいな

        • 薬で胃がやられてメンタルも同時にやられてる。体調もなかなか良くならない😃🖕 こういう時、ずっと良くならなかったらどうしようってすぐ不安になる。

        • コロナマジしんどすぎ。喉ちぎれるかと。てか喉焼かれたかと思うぐらいつらくてわろた、いや笑うこともできん😃

        • 「こうした方がいい」みたいな世間一般的な常識は一旦置いといて、自分の意欲が湧くことをやる🙃

          人の顕在的なニーズを満たすのではなく、潜在的な望みを汲み取る

          精神面に色々アプローチしても上手くいかない時、自分の潜在的に望んていることってなんだろう、ということをずっと考えていた。 顕在的な欲求は手段、潜在的な欲求は目的 「人ともう関わりたくない」と思っているとき、潜在的な望みは「人と関わらない」ということではない。それは顕在的に思っていること(顕在的な望み)である。本当の望みは「自分の意図を伝えた上で、その人と仲良くしたかった」ということである。 「本当は仲良くしたかった」ということが叶えられなかったため、人と関わること自体を

          人の顕在的なニーズを満たすのではなく、潜在的な望みを汲み取る

          精神の不調はこれまでの自分の崩壊と再生

          壮大な内容(?)であるが、こういう内容を好きに書けるのがnoteのいいところだ。昨今、いろんなプラットホームがあるけど、noteは比較的優しいと思う(嫌なコメントも来るけど・・・)。 破壊と再生は必ずセット。新たな自分になっていく過程 物事の崩壊とは、これまでの自分の概念が壊れることである。今まで自分の物の捉え方、考え方、大切にしていたことが壊れていく。それは、現実世界(自分の意識)そのものの崩壊である。そして崩壊とともに訪れるのが再生である。(あまりにダメージが強すぎた

          精神の不調はこれまでの自分の崩壊と再生

          なぜ人は無意識のうちに手段が目的にすり替わるのか

          どんな人も結局は「心地いい精神状態」とか「達成感や幸福感を得ること」を目的にして生きていると思う。 そして日常の細やかな出来事は、結局それらを叶えるための手段でしかないはずなのに、気づけばすぐその手段を目的にしてしまう。 重要度が高いものほど手段が目的になりやすい 例としてすぐ思い浮かぶのが、恋愛とか結婚とか仕事とか、友達とか住むところだ。 それら全て、幸福感や充足感を得るための手段に過ぎない。幸福感や充足感を得たいから恋愛とか結婚をしたり、友達と会って話したり、仕事

          なぜ人は無意識のうちに手段が目的にすり替わるのか

          集団で期待される役割

          今回は、ちょっと倫理的にこんな考え方はどうなんだという内容になっているかもしれない。 ただ私が言いたいのは、被害者にも非があるとかそういった旨のことではなく、人と人との間で何かしらのトラブルが起きる時、こういう仕組みになっているのではないか?という推測である。 人間関係=物理的情報場+非言語情報場 人間関係は、物理的な情報を共有する場(その人間関係が集まる会社、友人グループ・サークルなどの団体、組織)と非言語的情報を共有する場(集団内で期待される役割、目的や信念などを共

          集団で期待される役割

          私には目的がある。ただおかしな話、その目的が言語化できない。でもそれっぽい形にはしてみせようと思っている。

          私には目的がある。ただおかしな話、その目的が言語化できない。でもそれっぽい形にはしてみせようと思っている。

          「幸せは誰かの犠牲によって成り立っている」は本当なのか

          「幸せは誰かの犠牲で成り立っている」と言う人がいる。確かに私が今生きているのは親が自己犠牲して私を育てたからだと思うし、私が今まで食べてきた肉とか魚とか野菜の命とか、そういうものを犠牲にしてきたといえばしてきた。 精神的なことを言えば、未熟だったからこそ傷つけてきた人とか、いないとは言わない。いる。それを勝手に私の中で学びにしてしまって、今私が社会的な生活を送れるようになるまで回復したとしたら、確かに犠牲にしているとも言える。 幸せになる時は、自分も周りも幸せ(ベストな関

          「幸せは誰かの犠牲によって成り立っている」は本当なのか

          「ありのままの自分」でいていいのか、ダメなのか?結局ありのままの自分とは何なのか

          人生に迷って右にも左にもいけなくなった時、いろんな情報を漁る。結局のところ「自分らしくいよう」「ありのままの自分を認めよう」「取り繕った状態で人から好かれても、自分が苦しいだけ。いつか限界がくる。だから最初から素を出して人と接していこう」みたいなところにいきつきがちである。 ありのままの自分というのは、傍若無人に振る舞うことではない。それはきっと皆わかっているだろう。かといって自分を取り繕って、別の人格を演じながら人と接すると、素を出した時に引かれたり頑張った割に嫌われたり

          「ありのままの自分」でいていいのか、ダメなのか?結局ありのままの自分とは何なのか

          こだわっている過程を一旦捨てる

          「やりたくないことをやる」というと、大抵は気が乗らないため、上手くいかないことが多い。 「今までの自分のやり方がまずいんなら、今までの自分がやってこなかったことをやってみよう」と、苦手なことに挑戦してみた人も多いかもしれない。 いわゆる「やりたくないこと」の中に「やったほうがいいこと」があり、それを見極めて「今の自分にはこの行動が必要なのかもしれない」と腑に落とす作業が必要である。しかし、これが非常に難しい。 なぜなら、この作業とは自己受容そのものだからだ。自分がずっと

          こだわっている過程を一旦捨てる

          無気力の原因は、男性性・女性性のバランスの崩壊と自己執着である

          私は鬱状態が酷い時期に、何もかもやる気がなく人生そのものに絶望していた。とはいえ何とかして抜け出したいがため、色々情報を漁っては試してみる。 「自分の好きなことをしよう」「ずっとやってみたかったことをしよう」「もし何もお金の心配がないとしたら、何の制限もないとしたら何をしたいか」「嫌なことはしない、どんどんやめていこう」などといろんな情報があった。とにかくたくさんの情報に触れ、片っ端から試してきた。 しかし、一向に精神状態が良くならない。参考にして、いわゆる私が思う「自分

          無気力の原因は、男性性・女性性のバランスの崩壊と自己執着である

          「潜在意識で特定の人間と復縁(恋愛成就)する」はありえない

          よくスピリチュアルとか心理学とか恋愛論を掛け合わせた系のインフルエンサーが、「潜在意識を使って特定の人物と復縁」と言っている。 潜在意識のメカニズムというか本質を理解している人にとっては、これがいかにおかしな理論だと感じるだろう。 この手のインフルエンサーは、利益のために復縁や浮気や不倫・見込みのない恋愛に縋りついている人間をカモにしているか、そのインフルエンサー自体が潜在意識のメカニズムをそもそも間違えて捉えており、理解しているつもりになっているかどちらかだろう。 ど

          「潜在意識で特定の人間と復縁(恋愛成就)する」はありえない

          得があるならやる、ないならやらない、そんな動機でやることは無気力になってしまう。ただ自分が打ち込める物事に出会えたというだけで、それはかなり幸運なことだ。

          得があるならやる、ないならやらない、そんな動機でやることは無気力になってしまう。ただ自分が打ち込める物事に出会えたというだけで、それはかなり幸運なことだ。

          相手をわかった気になることの危うさ、純粋に相手に興味を持ち続けることの大切さ

          大人になると、経験から無意識に「この場合は大体こんな感じになって、こんな結果になるだろう」みたいな独自の法則のようなものを生み出してしまう。 職場やプライベートなどでも新しい人間関係に関わると、「あー、こういうタイプって学生時代にいたわ」「前の職場にこんな人いたわー」といった具合に、「真新しい人間関係」のはずがどこか「過去の人間関係」を投影してしまう。 そこそこ大人になってくると過去の失敗から人間関係のパターンを分析する。これから起こるであろうトラブルを予測し、なるべく回

          相手をわかった気になることの危うさ、純粋に相手に興味を持ち続けることの大切さ