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短読15 ほかのひと愛すあなたも好きだろう私の好きを伝えたあとも

はじめに

15首目は、広里ふかささんの歌です。ご投稿ありがとうございました。省略されていることから歌を掘り下げました。どうぞよろしくお願いします。

ほかのひと愛すあなたも好きだろう私の好きを伝えたあとも

広里ふかさ「かりん」2022年9月号 掲載

まず読んで思ったこと

 この歌を読んだときに、省略が多い歌だなって思いました。例えば助詞であったりとか、誰に何をっていったところが書かれてないなーって思って読んでいます。省かれた部分を私なりに補って読んだとき、「他の人を愛するあなたのことも好きでいるだろう。あなたに私の好きだという気持ちを伝えた後でも」という復元の仕方(補い方)をしました。
 この歌を読んで、なんかすごい器の広い人だなっていうことをまず思いました。自分が好きだって思ってる人に好きって伝えるんだけど、それを受け取ってもらえない、その相手には別に愛する好きな人がいるってなったとき、結構普通にショックだろうなーって思ったんですよね。それで何回か読んでいったときに、そうか、この歌って倒置法なんだなーって思いました。倒置法っていうのは、例えば「速いな、犬は」みたいに文の順番が逆になってるやつですけど、この歌も倒置法なので「私の好きを伝えた後も、ほかのひと愛すあなたも好きだろう」ってなるんです。そうするとこの文の終わりって〈だろう〉になるんですよね。〈だろう〉ってことは、いわゆる推量、何かまだ起こってないことに対して思いをはせている感じっていうのが出てくるから、そうかまだ思いは伝わってないのか、伝えてないのかということを思いました。そうなってくると、結構この〈だろう〉って確定的なものじゃないから、やっぱり相手のことを好きでいなくなる(かもしれない)自分みたいなことをちょっと思ってるのかなーっていう思いましたね。そうなると、この〈ほかのひと〉っていう、ひらがなで書かれているところも、ちょっとすんなりいかない感じみたいなのが立ち上がってくるなーって思っています。
 最終的に、何か元から叶わない恋なのかもねっていうことを思っていて。要は私の好きを伝えた後も、あなたのことを思い続けることで成り立っているような恋の関係みたいなのがあって、だからこの恋っていうのは、元々成就することが目的じゃないのかもなあということを考えています。

さらに読む

 叶わない恋というのを考えたとき、推しへの恋愛感情もこういうものなのかもしれないなと思いました。推しが別の人を愛したとしても応援し続けるみたいな感じ。でも、好きな人の幸福を応援することがすなわち自分の別の幸福(例えば自分が好きな人と結ばれる)につながらないとき、すっきりはしない、なんとなく心残りがある感じがあるように思いました。でもそれをあからさまに出すことは、この歌の人にとっては美しくない態度でもあるような気がします。
 言いたいけど言い難い、というとき、省略の効果って出やすいのかもしれません。単純に定型(57577)の音に合わせるため、なのかもしれないのですが、助詞を抜くとどこかたどたどしさのようなものも出てくるし、「誰に何を」といった部分も明確に言わないことで、読者に想像させて余韻を残すことができる。やりすぎると、逆に何がどうなっているのかわからないことになるので、その塩梅も作る側の腕の見せ所になるんだなと思いました。
 恋の歌って、言葉にすればするほど野暮になるというか、情緒とか余韻で感じていくものだと思うので、じわーっと歌に身を浸していくことが一番良い読み方なのかもしれません。

企画趣旨はこちらから

https://note.com/harecono/n/n744d4c605855


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