見出し画像

港町へ

おいでませ。玻璃です。

ばあちゃんとの悲しい別れから少し経って、母からまたあの言葉が。

「玻璃ちゃん、また引っ越しするんやけど。」

この武家屋敷を出て、ばあちゃんの家に引っ越すという。
亡くなったじいちゃんの兄である”まぁま兄”と呼ばれるおじいさんと家を相続する話ではかなり揉めたらしいが、結局父、洋平が家を相続することになったらしい。

ばあちゃんの家は、城下町の武家屋敷からすると市内でも反対側の漁業の街だ。国道を挟んだ向こう側には港があり、たくさんの漁船が並んでいる。
ばあちゃんの家に住むのはいいが、問題なのは明倫小学校の学区外ということ。別の小学校の学区だ。
でも、残された小学生生活もあと1年とちょっとということで、学校から許可をもらってバス通学をすることになった。

家からバス停は近く徒歩3分くらい。
市内中心のアーケード商店街のバス停で降りて小学校まで徒歩5分弱。
こうして私のバス通学生活が始まった。
私の嫌いだった集団下校も、バス通学ということで免除されて堂々と先に帰ることができた。

ばあちゃんの家は、じいちゃんが生きていたころ建て替えたので武家屋敷に比べると比較的新しかった。
それでも引っ越した当初は五右衛門風呂だったし、トイレも汲み取りだった。

間取りは3DK。
ばあちゃんが居間として使っていた部屋が私の部屋となった。

漁港近くのこの一帯はやはり漁師さんの家が多く、お隣の家からよく新鮮な獲れたての魚をもらった。
父も母も魚をさばけるので、刺身にしたり、萩の少し甘みがあるお醤油で煮付けてくれた。これが魚特有の生臭さが一切なく旨すぎる。

休日の朝は、ちょくちょく漁協から放送が入る。
「釜揚げあがったよ~」
この声でみんな漁協前へ行き、しらすの釜揚げを買う。
釜から出したばかりのしらすはまだホカホカで絶品だ。
死ぬまでにもう一度あのしらすを食べてみたい。

そして、この家の最大の特徴は、家の前の狭い道の向かい側が墓地だという事。小さなお寺さんがあるのでそこの大きくもなく小さくもない墓地。
ばあちゃんの家に来る度に見慣れていた光景だが、改めて見ると「お墓だよね。」と思う。

でも、小さな頃から不思議と怖いと思ったことがない。
ばあちゃんと一緒にじいちゃんのお墓参りに行っていたし、別のお寺のトメおばあちゃんのお墓もそうだが、一人でお墓に行っても全然平気だった。

その頃はその理由がはっきりとわからなかったが、自分の大切な人が眠っている場所なのだから、他の眠っている人たちもきっと誰かの家族なんだよねと自然と感じていたと思う。
お盆やお彼岸にお墓参りに行くと、他のお参りに来た人とたくさんすれ違った。
その時に、お墓に眠る大切な人に語りかける様子を見ることが多かったからかもしれない。

お盆の夜に玄関を出ると、墓地のお墓の灯籠に蝋燭の火が灯り、幻想的な光景だったことを思い出す。
あの灯りは、大切な人が迷わず帰ってこれるようにとの思いが込められていたんだなと思うとなんとも切なく美しい灯りだった。

こうして今までばあちゃんの家だった家が、この時から私の家になった。
ここから高校生までこの家に住むことになる。

ではまたお会いしましょう。




この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?