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きっかけは、ワインと割烹料理。

こんにちは、こやまです。

ここしばらく、自分の思いを文字にするということから離れていました。
意図的に離れていたというよりも、もともと、書くことよりも話すことのほうが得意なので、自然と時間がたっていた感じです。

そんな、私が改めて文字にすることっていいなと感じる機会が、食事を通じてあったので、ブログに残したいと思います。


ボルドーワインの気付き

行きつけのお店の一つに、こじんまりとしたお料理屋さんがあります。

このお店は、着物の上から割烹着を着た女将さんが、一人で切り盛りされるワインと割烹料理が楽しめるお店。

季節に合わせた生花が飾ってあったり、京野菜が籠に盛っておいてあったり、カウンターに座った時にみえる景色はいつも生命力を感じさせてくれる私のパワースポット。

そんなパワースポットへ、先週末の土曜日21時15分ごろに到着した。

暖簾をくぐり、閉店前に訪れたことを詫びながら店内へ入ると、60代の男性が一人、女将さんとワインのことを楽しそうに語りながらお食事を召し上がっていました。

いかにもワインに詳しそうな方で、ソムリエ資格を持つ女将さんとの会話が弾んでいたところに水を差してしまったように感じて、すこし申し訳ないなと感じましたが、来たからには美味しいワインを楽しみたい!という思いが勝り、今の気分と好みをお伝えしてワインを一杯いただきました。

この日に頂いたワインは、仏ボルドー地区のメルローというブドウ品種から作った赤ワイン。

すこし濁りのあるような暗い赤色で、丸くて、ふくよかな甘みがあって一口飲んだ瞬間に「はぁ~」とお風呂に浸かった時のように力を抜いてくれるなお味で、一口飲むごとに自分自身が力んでいたことに気づかせてくれる。

そして、理由もなく「時間に追われている」ことや、心のどこかで「焦っている」にことにも気づけた時間となりました。

この瞬間に、ブログを久しぶりに書いてみようと決意して、同時にこれまでなぜブログを書かなかったのかを振り返ってみた。

ブログを書かなくなった理由の中で大きいのは、書くよりも話すほうが「早い」という効率を考えての結果だった。

そして、なぜ効率化を求めるのかを自らに問うてみると、利益追求や損得勘定という言葉がはじめに脳裏に浮かびました。

・ブログを書くくらいだったら思っていることを言葉にして、PodcastやYouTubeで発信したほうが早い。

・ブログを書くよりもマイクに向かって話すほうが、作業も少なくて手間がかからないし継続できる。

美味しいワインを飲みながら、そんな自分の考え方に気が付いた。


早いもん勝ち

今では家庭でも企業でも教育現場でも、AIを導入し効率を上げるため、スピードアップできることには資金を投じて、時間を生み出そうと躍起になっている。

他にも医療や化学の現場では、遺伝子分析の技術が発展し年々、自分の遺伝子を解明することが安価で行えるようになってきた。

市販の遺伝子キッドを使って遺伝子分析を行い、その解析情報をもとに遺伝的強みを伸ばせそうな、習い事を子どもにさせたり、進学先を決める人もいるという情報に触れたこともある。

この流れから感じることは、無駄を省き効率よく強みを伸ばすためだと言えるし、失敗を恐れるが故の行動とも言えます。

なにはともあれ、ここでもやはり早いことに価値が置かれている。

これらが悪いと否定する気持ちは一切ない。だけど、効率化とスピードアップすることへの評価が高すぎないか?と感じるのです。

ここで、もう一度ワインにお話を戻します。

ワインの原材料は、ブドウのみです。水を加えずにブドウの皮、実、種をつぶした果汁を発酵させて作るのがワインです。

なぜ、ブドウだけで発酵するのかというと、ブドウそのものに酵母菌がくっついているため、果実をつぶして安定した温度が保たれている環境においておくだけで糖分がアルコールに変化していきます。

日本酒のように、炊きあがったお米に酵母菌を振りかけて混ぜ合わせる手間の必要もなく、ブドウだけでできるお酒がワインなのです。そのため、紀元前からワインは製造し飲まれてきました。(現代は製品安定化のため培養した酵母菌を使用する)

伝統的なワイン造りには「時間」が必要になります。だけど、資本主義社会では、利益追求が重要視されるので、生産量を増やすことが生き残るためには重要。

そのため効率化とスピードアップを狙うために、過熱をして発酵過程を短縮化することは当たり前になっている。

そのおかげで安価で安定したおいしいワインが飲めることも確かなのですが、ワイン以外の商品にもこのような完成までの時間短縮は当たり前に行われていて、資本主義社会の中で生きていると、やはり、効率化とスピードアップに対してポジティブな評価をすることは自然なことなんだと感じてしまう。


わからない人

2025年には大阪万博が開かれて、世界中の最新技術を目の当たりにすると思います。

やがてその影響は一般家庭にも普及するようになり、私たちの暮らしは更に楽をすることが可能になり、今以上に豊かな暮らしが可能になると予想しています。

そして更に、ベーシックインカム制度が導入されたとしたら、私たちは時間が余るのではないかと予測を立てています。

今はまだ想像ができないですが、もし、働く時間も今の半分以下、行う家事の手間も半分以下になったとしたら、私たちはどのように暮らし始めるのでしょう?

はじめは、嬉しいかもしれません。

しかし、忙しい毎日が習慣となっている現代人に急に自由な時間ができたとしても、ほとんどの方は困ると思います。

なぜなら、自由な時間の過ごし方、楽しみ方を知らないからです。
もうすこし、リアルな表現をすると、、

どう過ごせばよいのかが「わからない」のです。
そして、自分の興味のあることさえ「わからない」のです。

なぜ、そのような状況になってしまうのかを考えてみると「無駄な時間を過ごす時間が少なかったから」という結論にいつもたどり着く。

日々の暮らしの中でも効率を考えて、無駄に過ごすことや、無目的な時間を過ごすことが少なくなってしまっているのではないかと思うのです。

何をやるにも仕事(お金)のことが脳裏にあり、ゆっくりしていても家庭のことを考えてしまう。ゆっくり過ごしていると言えてもスマホを片手に持ちながらでは、数多の情報が飛び込んでくるため本当にリラックスしている時間は少ないかもしれない。

そんな、常に頭が働いている状態では、自分の中から湧き上がってくる声に気づくことはないのだと思います。

ラーメンが食べたいのはラーメンに関するSNSを見ているからではないでしょうか?

あの資格が欲しいのは、将来に備えたほうがいいという情報を見たからではないでしょうか?

あの服が欲しいのは、巷で流行っていると知ったからではないでしょうか?

もしかすると、私たちは外的な刺激を受けて、その刺激に反応しているだけのことを「好きなこと」とか「やりたいこと」と思い込んでいるのではないでしょうか。

もしかすると、自分のことをずっと勘違いしているのかもしれません。


無駄の価値

ただ、そこで静かに過ごしてみる。

ただ、そこでのんびり過ごしてみる。

これをやってみればわかりますが、「何もしない」という行動をできる方は少ないと思います。

だから、無意識のうちにスマホを持ち出して、特に好きでもない情報を確認し、どーでもいいSNS配信をスクロールする。

たまには、ぐっと耐えて何もせずに座ってみるといい。

それが難しいならば、スマホの電源をオフにして散歩をすればいい。

それさえも難しいのならば、テレビもスマホも見ないでまったりお酒を飲めばいい。

そうすることで、時間がゆっくり流れ思いもよらぬ発想が飛び出てくることもあるし、脳が休まりその後の行動がテキパキできたりする。

結局、私もスピードや効率を上げることを大切に考えていることが、このブログを書くことで明らかになったが、無駄な時間過ごすことほど、そのあとの効率的な時間を過ごせる気がする。

例えていうならば、高くジャンプがしたいならしっかりしゃがみ込め!というような感じ。

久しぶりに時間をかけてブログを書いてみたが、この一記事を書くだけでも今、自分が考えていることがわかったり、これから大切にしたいことが見えてきた。

時間をかけることってやはり大切だと思える時間でした。

この記事を読んでくださったあなたも、無駄な時間の価値を見直してみませんか?

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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