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オランダ デン・ハーグ④彼女を独り占めした日

どうしても見たい絵。
何度でも見たい絵。

私には、そんな絵がたくさんある。

今年は、アムステルダム国立美術館で、フェルメール展が開かれた。
37作中、28作が集められた大展覧会。
そんなきっかけがあり、今年は私にとってのフェルメールイヤーにする事にした。
念願のデルフトに足を運び、その足でデン・ハーグのマウリッツハイス美術館へ、ニ度目となる訪問をした。

一度目とニ度目。
この差は、とても大きかった。

初めてここを訪れた日のこと。
美術館は私の想像よりもこじんまりとしていて、建物正面には、真珠の耳飾りの少女の大きな広告が飾ってあった。

そして、今回のニ度目。
建物は変わらないものの、建物正面上部に、美術館名が金文字で入れられている。

また、地下入り口に変わり、だいぶモダンな造りだ。

階段の広間

一度目。
館内は静かで、展示室には私一人だけの時もあり、まるで美術館を貸切にした気分だった。

ニ度目。
どの展示室も、常に大勢の人でごった返していた。

ここからは、この美術館の宝とも言える作品の数々。

レンブラント

テュルプ博士の解剖学講義は、彼の出世作とも言える集団肖像画。
私は、あのような大きな絵だとは知らなかった。
本だけでは、分からない事は多い。
そして、その緻密な描写に驚いた。
献体を覗き込む多くの人の表情を、一人ひとり見ていく。
レンブラントらしく、まるでスポットライトを使ったかのように、その絵の中に光と影を生む。

年老いた男の肖像
Susanna
シメオンの讃歌

多くの自画像を残したレンブラントの、最後の自画像と言われている作品。
今回は館内をいくら探してもなく、係の人にお聞きしてようやく場所を見つけた。
この作品は、エキシビジョンコーナーに使われていたのだった。
そのお陰で、人生初のバーチャル体験ができた。

美術収集家ヒットラーの手を逃れるために、隠された数々の作品。
バーチャルの世界で、その倉庫に足を踏み入れる。

最後の自画像

ファブリティウス

五色ヒワ
さえずりが聴こえてきそうなほど、精密な描写。

ルーベンス

エデンの園

蝋燭を持つ老女と少年
この作品は、恋愛をテーマにしているものとは知らなかった。
マウリッツハイス美術館のアプリガイドは、なかなか面白い。

聖母被昇天(下絵)は、今回は修復中のため見ることは叶わなかった。

途中休憩。
私は、美術館内のカフェに行くのが好きだ。

フランス・ハルス

笑う少年

パウルス・ポッテル

動物画家として人気の彼の作品、牡牛。235.5cm × 339cmの大きな作品だ。
ガイドによると、一見写実的に見える動物達だが、色々なスケッチを合わせて描いたため、サイズ感等がおかしいのだとか。

牡牛の周りには蝿も飛び回っている

フェルメール

そして、この美術館を世界的に有名にしている一人の画家、フェルメール。

彼の描いた風景画は二枚しかなく、その一枚がここにあるデルフトの眺望。
デルフトは、フェルメールが暮らした街。

デルフトを訪れてその景色を見た翌日、私はこの美術館に足を運び、この絵と再会した。

絵の奥にあるデルフトの全ての景色を、私は思い浮かべる事ができる。
私も昨日ここに立ったのよ、とフェルメールに伝えたくなる。

ディアナとニンフたちは、一度目の訪問時は、貸出中で見ることができなかった。
今回は三枚のフェルメール作品は、きちんと同じ部屋に飾ってあった。

そして三枚目は、真珠の耳飾りの少女。
初めてその絵の前に立った時の事は、今でもはっきりと覚えている。
ルーブルのモナ・リザのような威厳を感じさせる事なく、ひっそりとこの絵はそこにあったのだ。

私は、たった一人で、彼女と向き合った。
ひっそりとした印象は、がらりと変わる。
目が離せなくなるのだ。

彼女が今、何を見ているのか、何を考えているのか、絵から知ろうと試みる。
今ではトローニー画と考えられているようだが、モデルがいた方が想像するのは面白い。

そして、フェルメール自身の人生についても、思いを巡らす。
フェルメール・ブルーとも言われるラピスラズリを原料とする絵具は大変高価だ。
裕福だったからこそ、そのような作品を残せたのだろうし、裕福だったからこそ、貪欲に絵を描く必要もなかったのかもしれない。
残っている作品は、わずか37点。

至福の時。

ただ、美術館の空気を吸い、自分一人との対話をする。
画家が伝えたかった思いを、絵から読み取ろうとしてみる。
そして、ああでもない、こうでもないと、答えのない考えを巡らすのが好きだ。

しかし、、、
今回の訪問時には、この絵の前には人だかりができており、絵と一緒に写真に収まろうとする行列が、なんと次の部屋に繋がるほど長くできていた。
この絵は、デン・ハーグ観光名所の一つのようだ。
そしてこの絵には今、新たな代名詞が付けられている。

オランダのモナ・リザ

モナ・リザのようではなく(この絵を批判するつもりは全く無い)、ひっそりした雰囲気が好きだと感じた私にとっては、この代名詞はまるで皮肉のようだ。

中には、写真だけを撮り、絵をほとんど見ない人すらいる。
写真が上手く撮れているかどうか『写真の中の』絵を見ている。
フェルメール作品はこの部屋に三枚あるが、行列ができるのはこの絵だけ。

オランダ国立美術館のフェルメール展では、ここまでカオスではなかった。
もちろん、この絵の前には多くの人が集まるが、他の作品にも同じように興味を持ち、見入る人が多いからだ。

残念だが、人気なのだから仕方ない。
誰がどんな気持ちで絵と向き合おうが、それは個人の自由。
ここに来た!というスタンプラリー気分の人も、SNSに載せるためだけの人も、絵に興味などないのに連れて来られた人も、大勢いるのだろう。
絵を好きな人だけが、美術館に来るわけではない。

この出来事は、有名で高価な絵画が、次々と投機目的で買い上げられ保税倉庫に眠ることを、私に思い起こさせた。
たとえ絵が好きでなくとも、お金さえあれば絵を所有できる。

ふと、可笑しな事を考え、フフッと笑ってしまう。
こんなにたくさんの人が押し寄せている、この一枚の絵。
私は大富豪ではないが、数時間だけとはいえ、この絵を独り占めしたことがあるのだ!
私はお金がなくとも、大富豪の気持ちを味わえたわけだ。
至福の感覚が蘇り、私はまた幸せに浸る。

そして私が独り占めしたその数時間も、彼女が描かれてから今までの時間、更には、この先もほぼ永遠に命を与え続けられる時間の長さに比べたら、ほんの一瞬。

でも、私にとっては、特別な時間。
何度でも、その喜びの時を思い出せるだろう。

初めてここを訪れた時、フェルメールはもちろん既に人気画家であったが、しかし、ここまでではなく、私の周囲でフェルメールを知っている人は、まだ僅かしかいなかった。
特に、日本人に人気となったフェルメールだが、この過熱したフェルメール人気は2011年以降だそうだ。

以前この絵は、青いターバンを巻く少女と呼ばれていたが、本や映画で真珠の耳飾りの少女という名前を与えられ、それが一般化した。
2003年公開の映画の中で、スカーレット・ヨハンソン演じる少女は、物憂げで美しかったのを思い出す。

真珠の首飾りの少女という絵もあるので、少し混乱する。何よりもこの絵は、青いターバンの方が印象的だと思う。

真珠の耳飾りの少女。
青いターバンを巻く少女。

彼女は、今の自分の人気をどのように受け止めているのだろうか。
どこから見ても私にじっと向けられるその瞳を見ながら、考えてみる。
彼女は今にも話を始めるかのように、その柔らかな唇を開くけれど、やはり何も言わない。

彼女を、圧倒的な美人だとは思わない。
ただ、何かを言いたげな瞳と唇が、私を惹きつけるのだ。

真珠の耳飾りの少女の周りには、以前は無かった囲いが作られていた。
ほんの少し、彼女との距離を感じた。

誰もがその顔を知っている彼女は、手の届かない孤高の人となっていた。
もう二度と、私が独り占めする事はできない。

*****

マウリッツハイス美術館チケットに含まれる、ウィリアム5世ギャラリー。
一室のみの展示だが、圧倒される。

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