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ローテンブルク 中世の街へタイムトリップ

Frohe Weihnachten、メリークリスマス!

今日はクリスマス。
クリスマスと聞いて私が一番始めに思い浮かべるのは、ローテンブルクの街だ。
 
街の名前は、Rothenburg ob der Tauber。
タウバー川上方のローテンブルク。
 
私は、以前ここにあったドイツ政府運営の語学学校ゲーテ・インスティテュートGoethe Instituteで学んでいた。
この街を選んだのは、友達の家から近かったからだ。
友達は、この街をもちろん知っていたけれど、行った事がなかったそうで、是非街を見てみたいと言い、私を街まで送ってくれることになった。
城壁に囲まれた街を見て、この街を初めて訪れた私達はワクワクしてしまった。
まるで中世にタイムトリップしたようね、と友達が言った。
 
私は幸運にも、城壁内にお部屋を借りることができた。
毎朝、学校に行くために階段を降り玄関に向かうと、必ずそこで家主のおばあさまが待っていて下さった。
おばあさまは私の両肩に手を置き、こう言って下さった。
 
Ich wünsche dir einen schönen Tag!
 
素敵な一日を!という意味だ。
この単語を、一語ずつ、ゆっくり丁寧に発音する。
今でもこの文章を書く時はいつも、おばあさまのゆっくりとした口調を思い出してしまう。
 
お借りした部屋は、街で一番美しいと言われるプレーンラインのすぐ側で、いつも誰かがここで写真を撮っていた。

クリスマスデコのお気に入りは、この場所がモチーフ。

授業後は、学生のためのレクリエーションが頻繁に開催された。
街や博物館を案内して頂き、皆んなと一緒に食事を共にし、週末旅行もあった。

以下、ローテンブルクの街について。
 
ローテンブルクは、1274年に帝国自由都市となり、独自の自治権を持つ事で大変豊かに繁栄した。
 
街の中心にあるマルクト広場には、市庁舎と市参事会酒宴館がある。
市庁舎が左側、右側の三角屋根の建物が、市参事会酒宴館だ。
 
市参事会酒宴館の側面には仕掛け時計があり、ここに街の歴史が詰まっている。

1618年から1648年にかけて、30年戦争が勃発した。
30年戦争とは、カトリックとプロテスタントの宗教戦争で、プロテスタントだったローテンブルクの街は、カトリック軍に攻め込まれてしまう。
 
その際、カトリック軍を率いていたティリー将軍は、ある賭け事をした。
その場にあった3リットルのワイングラスを指し示し、こう言った。
 
この3リットルのワインを一気飲みできる者がいたら、この街を焼かずに返してやろう。
 
その申し出を受けて出たのは、当時のローテンブルク市長Georg Nusch。
彼はその3リットルのワインを、なんと一気に飲み干した。
そして街は、無事に市民の手に戻った。
 
その史実を伝えるため、時計の横にある窓から現れる男性が、大きなワイングラスをゆっくりと飲み干していく。
 
この仕掛け時計は、マイスター・トゥルンク Der Meistertrunk と呼ばれており、ワイングラスは博物館に保存されている。

帝国自由都市として自治が認められていた街は、市内の犯罪者を厳しく罰する必要があった。
その様子が分かるのが中世犯罪博物館で、滑稽なものや、恐ろしい刑罰の様子がうかがえる。
 
水攻めの刑

辱めのお面

他にも、残酷な刑罰を与えるための装置や設備がある。
剣山のように、尖った針がびっしりと備えられた拷問椅子。
手の爪を剥がす装置。
体を八つ裂きにする大掛かりな装置。
しかし、今日はクリスマスなので、そのような記述はこの辺で。。。

市庁舎の塔に登ると、街を見渡せる。
オレンジ色の屋根と木組みの家々が連なる景色は、いつ見ても美しい。

城壁の一部が見える。

市庁舎の隣には聖ヤコブス教会があり、二階の礼拝堂には、リーメンシュナイダーの作品『聖血祭壇』が残されている。

ここではオルガンコンサートが開催され、私達は連れ立ってコンサートを聞きに行った。

また、この街にはKäthe Wohlfahrt ケーテ・ヴォールファートというクリスマスショップがあり、一年中クリスマス用品を販売している。
店中は撮影禁止なので、そこへ行った者しか分からない夢の国だ。

そして、街一番の人気のお菓子がSchneenball 雪の玉。
以前は市内に一軒しかなかったが、久しぶりに訪れたら、あちこちで雪の玉を販売しており、種類も増えていた。

城壁内は、歩いて10分もあれば端から端まで行ける距離だ。
城壁は1周4kmで、破壊箇所も修復されており、ほぼ一周できる。
 
街の西側には、城壁からはみ出すように公園があり、実はこの場所がローテンブルクの街の一番最初、12世紀に存在したお城の跡地。
みんなで集まり、夕陽が沈むのを眺めたり、歌を歌ったり、おしゃべりをして過ごしたのを思い出す。
公園から見る谷、城壁に囲まれた街は、本当に美しい。

学校の先生が、こんなことを言っていた。
 
『ローテンブルクは、クリスマスの時が一番綺麗だから、今はトーテンブルクだ』
 
TotenburgとRothenburg。 
Totenとは死ぬを意味し、トーテンとローテンをかけたジョークだ。
 
春から秋までの間の街は、まるで死んだようだという。
先生からだけでなく、色々な場所やお店でも言われた。
そして、次は是非クリスマス時期に来なさいと、みなさんが言って下さった。

*****

それから数年経って、私はようやくクリスマス時期にここを訪れることができた。
 
その日のローテンブルクは、突き抜けるような青空で、さらに雪化粧までしていた。
街の隅々までよく知った街のはずなのに、まるで知らない人に会ったような気分になり、私をドキドキさせた。 

以前お世話になった家や、学校、公園、城壁をゆっくりと回ってみる。
誰もいない城壁の上を歩いてみた。

ローテンブルクがこんなに美しいとは、知らなかった。 

広場には、クリスマスマーケットが建ち並ぶ。

みなさんが言っていた通り、街はクリスマスの飾りつけをして、夏よりもずっと華やかで、艶やかで、美しかった。

市庁舎近くにあるのが、聖ゲオルグの泉。
昔は、飲料水として使っていたそうだ。
聖ゲオルグは、ドラゴンに捕らえられた王妃を助けるために、勇敢に戦った英雄。

グリム童話記事の錫飾りも、この時に購入した。

錫の飾りの経緯は、こちら。

雪とクリスマスの灯りに包まれた街は、活き活きとしていた。
この街にケーテ・ヴォールファートというクリスマスショップがある意味は、この美しさ故なのだ。
そして、冬の美しさに比べたら、夏はまるで死んようだという意味を、私はようやく理解できた。

遠い日の留学の思い出。
いつかドイツに住みたいと、ひたすら願っていたあの日。
私にとって憧れの国だったドイツ。
 
その夢をようやく実現できた喜びを、クリスマスの灯りに照らされ、一人じっと噛み締めた。
雪と外気ですっかり冷たくなった頬に、温かい涙が流れ落ちていった。

ローテンブルクは、中世へのタイムトリップだけでない。
ドイツへの熱い憧れを抱いていたあの頃へ、私をタイムトリップさせてくれる街なのだ。

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