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部活やめるって誰から聞いたの?


いまとなっては引きこもりがちな自分も小さい頃は色々なスポーツを経験した。そんな話をしたら意外だと感じる人も少なくないだろう。それくらいインドア派になってしまった。最初は地元のクラブでサッカーをやっていた。それが自然消滅したあとは水泳に切り替わった。体を動かすことが好きだった自分はそれも引退してからミニバスを始めた。当時それだけが自分の生きがいだった。

中学に入ってからも当然のようにバスケ部に入ったけれどなんかイマイチ面白くない。期待していたものとは違うなと感じていたし、同学年のメンバーとも馬が合わず上手くやれる気がしなかったのが辞めた主な理由だった。中1の秋頃だったかと記憶している。適当な口実をつけて先生に辞めると宣言しに行った。事前に親も電話をしてくれたようだった。どうしても無理なら言わなくても大丈夫だと伝えてくれたが、ケジメだけはつけておかなくてはいけない。放課後に「おじいちゃんが亡くなりそうで面倒を見なくてはいけない」とありもしない話をした。顧問のおじいちゃん先生は嫌な顔もせずにすんなり了承してくれた。いま考えれば嘘だとバレバレなのだけれど、よほど逃げ出したかったのだろうと察するような理由だ。この頃はヤングケアラが問題になっているくらいだが当時は教員としてはどう感じるだろうか。そもそも人間関係がうまく行ってなさそうで雰囲気に馴染めてない自分を見てしんどそうだなと思っていたかもしれないし、特段何も考えていなかったのかもしれない。職員室から出てきて泣いている自分を偶然見てしまった友達が励ましてくれたのも覚えている。いや偶然ではなく着いてきてくれたのかもしれない。そこまではちょっと覚えていない。自分が望んでいたバスケを中心とした学校生活はどこにもないのだと期待を裏切られたような気分で悔しかったから涙が出てきたのだと思う。

トイレですれ違ったバスケ部員に辞めることを伝えたら、既に知っているようで「あっそ」とひと言だけ放って不機嫌そうにしていた。別に退部することを止めてほしかったとは全く思わないのだけれど、どうしたの?とか少し惜しんだり気にかけてもらいたかった。苦言を呈するような対応をとるのは想像通りだったけれどもその対応が悲しかった。自分自身が部活動を辞める原因の1人だったとはいえ、一緒に小学校から中学に進学してバスケを続けたのは思い返せば彼くらいだったと思う。Sコーチに伝えたのも彼なのか?だとしたらまた印象が大きく変わるのだけれど。まあ今更そんなことどうでも良いのだけど。

それから数日たった頃だと思う。小学校のクラブチームでバスケを教えてくれたSコーチから自宅に電話が来た。どんな会話がなされたのかもう覚えていないけれど、話しているうちに辛そうな声に変わっていくのが分かった。そしてSコーチは急に黙り込んでしまって泣いているようで、そのまま電話が切れてしまった。1分後くらいにまた電話が掛かってきた。ちょっと辛くて電話を切ってしまったということだった。「泣きながら電話をかける」なんてよほどないシチュエーションだと思う。何でもない時にふと思い出してしまう瞬間の1つである。教え子がバスケを辞めることを説得しようと思っても、自分の手を離れた状況で何もできないのだ。でも、とりあえず電話をせずにはいられないし様子を知りたくて仕方がない。そんな気持ちは理解できるけれど実際にそこまでする人はなかなかいない。泣いて電話までしてくれる人がいたという事実はそれだけで尊いものだと今では思う。「楽しくプレーするだけじゃダメだ。勝たなきゃ意味がない。君たちは勝ちたくないのか?もしそうなのだとしたら自分は教えるつもりがない。」と突き放して情熱を持って関わってくれた。それに応じようと一生懸命になる小学生たちもすごい。色々と奇跡的なチームだったのだろうと思わざるを得ない。当時の校長先生がバスケの試合を見にきてくれたとき「いつも大人しそうな君が生き生きとしているのを始めて見たよ」と言われたくらいだから、よほどバスケを楽しくプレーしていたのだろう。Sコーチは当時、生徒の介助員をしていたが確か正式に教員になったのだと何処かで聞いたことがある。それ以降は会う機会はなかったし今となっては連絡先も知らない。いつかまた機会があれば、あの電話のことを懐かしいねと笑いながら話すのかもしれない。

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