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今日もあの子の夢を見た


今日も夢にあの子が出てきた。起きてからすぐ夢だと分かり、もう会えないんだってことに気がついて絶望した。そんな朝を何度も繰り返す。夢の中では何でもなかったかのように許してくれる。可能性を見せてくれる。そして起床の度に現実に断罪される。そんな悪夢だって数ヶ月すれば収まる。毎日それでは耐えきれないし何事にも終わりはある。でもしばらくして、別のあの人が夢に出てくる。また繰り返される。別の人で同じ夢をみる。似たようなシチュエーションで上書きされる。また悪夢だ。それは突然に始まる。


ふとした瞬間に名前を口にしてしまう。あの子の名前は呼びやすいから癖になる。もう会うこともないし連絡する手段もないし未練もない。でも、頭の中にどうしても住み着いて離れない名前だけが。何度あの子に向かって呼んだだろう。いつでも応じてくれたあの時の喜びだけが忘れられない。


こんなこと話したって明らかに気持ち悪いのだけどこれが事実だから許してほしい。何度もTwitterでその名前を検索してしまう。鍵がついていて言葉は見えないのに何故か。暇になってしまったとき衝動的にやってしまう。ああ、あの人は鍵が付いていなかった。次はあの子を検索してみるか…。見るたびに心が抉られるならもう触れなければ良いのに。今となってはイイねすら送れないのに何をやっているんだ。


生まれたその瞬間から死ぬまでの間にある出会いの数が別れの数が全く同数になるという恐ろしい事実について思いを巡らす。出会いは喜びの前借りだ。突然負わされる理不尽な借金はやめてほしい。借金には利子がある。いつまでも返済できない夢と名前という負の遺産が。どこまでも縛られている。墓場までずっと呪われたままなのか。早く忘れたい。

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