何十年ぶりかに、母の手を握りながら眠る
「あけましておめでとう!」と言うことを思わずためらってしまう。そんな2024年の始まり。
今もなお家族や大切な人の安否がわからず、眠れぬ人たちが同じ時間を過ごしていらっしゃることを感じると、たった今、雨露しのげる場所で衣食にこまらぬ生活をしている自分に罪悪感を覚えてしまいそう…。
自分の言葉で何かを発信することもつい躊躇し、気づけば年が変わって一週間以上の時間が経っていました。
こういった、予期せぬ災害を前にするとき、立ちすくんでしまいたくなるのが正直なところなのですが、とはいえ今自分が生きているという事実をちゃんと認識しながら、小さいながらもできることを探して、集めて、そして行っていくことしかできないな、と気持ちを何とか切り替えています。
実家で経験した地震
年末から年始にかけては、実家の滋賀に帰っていました。近所の氏神さまへご挨拶を済ませ、子どもたちと公園遊びをし、さぁ帰ろうとしたときに地震が起こったようです。
ようです、というのは、私たち自身はその時外にいて、揺れをまったく感じなかったから。帰宅すると、家にいた両親や妹家族たちがバタバタと防災グッズの点検をしている様子に驚いたくらい。
幸い滋賀ではその後余震の影響もなく、テレビから流れる津波からの避難を訴える報道を、ただただ茫然と眺めていました。
娘たち、とくに長女は異様な雰囲気を感じ取ったよう。それまで元気だった様子が一変し、ごはんが食べられないといって泣いてしまいました。
大丈夫だよと声をかけつつ励ますと、次第に気持ちも落ち着いていきましたが…。
被災地から距離があるとはいえ、何かを感じ取って心は疲弊していきます。
現地で、さらに大きな衝撃を体験した方々は、いったいどれほど神経をすり減らし、そのいっときいっときを過ごしてらっしゃるか。
影響はほとんどないとは言え、その日はなるべく家族みんな、ひとところに集まることに。両親、娘ふたりと私とが、実に何十年ぶりかでひとつの部屋で眠ることになりました。
ひとつの部屋で眠ったお正月
両親と娘たちと、布団を寄せて眠る。特に私自身が、自分の両親と同じ部屋で寝るという、こんな時間はもう長い間、なかったことに気づきました。おそらく数十年ぶりのこと。そのくらい、稀有なことでした。
「地震はかなんけど、せいことこうして寝れるんは、幸せやなぁ。」
なんて言いながら、私の手をさする母の言葉がじんわり心に染みていくようで。
母の手から伝わる母の温かさを感じ、父親の寝息を聴きながら、その時私は自分がいかに尊い時間を過ごしているのかを感じていました。朝起きて、ごはん食べて一日が過ぎ、また眠る。大事に思える人が今日も生きていてくれる。
そんなささやかな日常であっても、この世に当たり前のことなど何ひとつとしてないことを、こんなときでもないと思い返せないのが、私自身の愚かさです。
近くの人の手を握りたい
だからこそ、今年、私は「近くの人の手を、握りしめるような生き方」をしたいと強く思います。
今、自分の手の内にあるものを大切にする。
大切なものがここにあると知る。
言葉にすればシンプルで、当然のこと。
ですが、改めて自分がどうあるかを問われるような、年の始まりだったと思っています。
皆さまの過ごす1年が、どうぞ心穏やかな時間で満たされますよう。
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