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Jan.2023② Touching Your Feeling

人の気持ちを、考えを、完全に理解するなんてことはできないのかもしれないけど
日々、その限界は感じているけれど
繰り返し繰り返し、話を聞けば聞くほど、言っていることの解像度がクリアになっていくんだな。

何に喜んで、何を楽しんで
どういう理由で怒って、悲しんでいるのか
少しずつ、少しずつ、腑に落ちていく感じ。

他の人の気持ちや考えを、テキトーに扱わずに、なるほどと思えるまで、聞いて聞いて、少しでもクリアに知ることができたその時、やっと自分の世界が少し開けていくんだな。

あまりに当たり前な話だけど、自分の感じ方や考え方が全てではない。
人それぞれ違うし、他のたくさんのことを見聞きしたり、経験してきたり、自分とは違ういろんなことを感じてきた人たちとの交わりで、生きている。
自分に近いものから、遠いものまで、いろいろある。
かといって、すぐには腑に落ちなくても、交わらない、届かないわけではない。知ろうとすること。少しずつ、手を伸ばすこと。


こんなに根気強く、、というほど忍耐や根性を駆使しているわけでは決してないな、こんなに繰り返し繰り返し話をするということが今まであんまりなかったのかもなーと、ぼんやり考える。なんですぐにわかってくれないの?まだわからんのか?というような幻滅や話すことへの疲労感を伝えられることの方が多かった。それくらい、人が言っていることをすぐに理解するのは苦手な方だと思う。だから、今までは、そういう幻滅や疲労感を受け取るのが怖くて、早合点して理解の浅い返答をしたり浅はかなことを言ったり、してしまっていたような気がする。わからない、と言うことへの怖さ。というか、「わからない」と伝えた時の反応が怖かったんだろう。知ろうとすることを放棄したわけでは決してなかったとしても、すぐにはわからなかったという時の相手の反応が。その結果として、相手にとって適切な答えを頭の中で探そうとしたり、わかった気になった返答をしたり……でも大抵それは、無駄なエネルギーを割いたり、さらなるすれ違いを招いたりしていたんだと思う。


繰り返し話すことによって初めて、他の人の考え方を知ったり、悲しみや怒りの源を感じたりできるのかもしれない、と最近思う。

そんなふうに、素直なコミュニケーションを、少しずつ少しずつ、し始めているのだろうか。だといいな。
心から向き合いたいと思える人と何の恐れもなく会話できることの充実感を、最近、感じている。
正確にわかってはいなかったとしても、その気持ち、その考え方と、ともにいる、ということ。

そんな感じ、かな。


言葉にできないような、いろんなことを想う。

その中で、少しずつ、相手の何かに触れているんだと思う。

自分とは違う経験や感情の源や考えは、丁寧に接したい。


スピッツ - 雪風

(2番の歌詞がさらに素晴らしいんだけど、この映像短いな)


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