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Jan.2023① Diary

世界の動きが早いなぁと、呆けたことを思いながら、TLをぼーっと眺めている。

年が明けて、新年三ヶ日の、人も少なくて街もまだ目が覚める前みたいな空気は良かった。都会に住んでいながらこれくらいゆっくりとした時間の流れの中を生きていられたら、などと思っていたけど、そんな夢みたいな話は叶わぬままに通常営業の世界に戻った。

昨年末数ヶ月の色々な変化は僕としては喜ばしいものばかりだったけど、自分自身はまだ目が覚めずにぼーっとしているようなもので、趣味や娯楽に精を出すことも満足にはできずにいる。何をするにも腰が重い。新しい音楽を聴く、雑誌を読む、映画を見る、少し長文の記事や本を読んでみる、などなど、未だにろくすっぽできていない。集中力も続かないのを感じる。

精神的なダメージ故なのかもしれないし、数ヶ月前までの、仕事や実生活、人間関係の色々な面で我慢を積み重ねてしまった結果なのかもしれない。やりたいことをやるというただそれだけのシンプルなことに異常に時間がかかる。エネルギーを消耗する。どうしてこんなにめんどくさがっているのか、自分でもわからない。

などということをいちいち考えたくもなかったので、自分では気づかずにそれなりに元気かのように思っていたけど、いざ履歴書を作ろうとかスーツを着て写真を撮ろうとかいう段階になると全く動き出せずに1週間くらい経過していた。

どうやら、しなきゃいけないと思うとダメみたいで、まだやりたいこと以外何もしなくていいか、そのための環境だけ整えるか、というふうに落ち着いた。何かをしたいと思う、そういう自然な欲求ですら、まだ弱いのかもしれない。

「虐待された子供(abused child)みたいだ」と、以前言われたのをときどき思い出す。自分自身の素直な欲求や好奇心より、他人がどう思うかを優先するような仕草は子どもの頃からのもので、結婚生活ですらそういう振る舞いをしてしまっていたので、心の内側深くに眠っていた欲求や好奇心を呼び起こす、スムーズに行動に結びつけるにはまだまだ至っていない。10年前くらいに、自主的に休んでいた頃でもそういう意味での元気が戻るには半年くらいかかった。

好奇心の希薄さはある種のコンプレックスでもあって、みんないいな、語れることがたくさんあるんだなーとSNSであれ実生活の人付き合いであれぼんやり羨ましく思うことがあった。最近はそうでもなかったけど、でもユニットの相方を見てるとそうだな。いいな、楽しそうに話せることがたくさんあるって。そんなふうに、眩しく見えている。

音楽も最近はもっぱら自分のライブラリやプレイリストからシャッフル再生して気分に合うものを探していて、「そんなに聴きたい音楽ないの!?」ってビックリされたのを思い出す。なくはないのよ、思い出せんのよ。って何言ってるんだろうなおれは。でもときどき本当に聴きたい音楽が見つからない時があって、そういう時はやっぱりちょっと寂しくもなる。


世界の移り変わりの早さに圧倒されて、ぼーっと立ち尽くしている。今の冴えない頭では、何もかもの情報が早すぎる。むしろ僕には、何もない田舎町にポツンと一人、くらいの方が…いや、でもずっといるのは嫌だな。孤独感に押しつぶされそう。でも、もう少し、情報が少なくてもいいんだけどな。みんな何に騒いでるんだろう?と毎日ビックリする。気持ちとしては、もうちょっと、何もなくていいんだ。


音楽をする機会に恵まれていること、ユニットの相方がいることに、多分とても、救われている。おかげでちょっと、元気でいられている。心が生きていることを実感できている。相変わらずそこら中に溢れている悪意の渦にも、腐らずにいられる。自分自身が楽しむということはできる。これはずっと続けたいなと心から思っている。楽しいことができていて、良かった。

相方にとっても、そうだったらいいなと思う。お互い楽しい時間を過ごせていたり、何か支えになっていたりしたらいいなと。


こういう、都会の喧騒から離れた世界の歌、おれも作りたいな。
できる限りピュアでいたい。

THE BOOM - 釣りに行こう


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