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「分人主義」とMBTIは仲良くできるか⊂(:3)s

前置き

 この記事では、平野啓一郎氏の提唱する「分人主義」MBTIの考え方について、この両者が共存しうるのか。もしくは矛盾する考え方なのか。それを中心に自分の考えていることを書いていこうと思います。

結論から言うと、私はこの2つの考え方は両立しうると考えています。

 なお、分人主義については彼の著書「私とは何か」の内容についての私なりの理解と解釈に則って進めることとします。また、分人主義についての詳しい説明は他の方の記事を参考にしていただければと思います。あくまでもMBTIとの関係を本記事の中心とさせていただきます。

 本題に入る前に、まず両者の基本的な考え方について説明させてください。

 ざっくりと説明すると、分人主義とは『一般に「キャラ」や「ペルソナ」と表現されるような、人が対人関係において作り出す複数の人格を偽りの自分として認識するのではなく、それら1つひとつが本当の自分であるとする』考え方です。
 これは、ただ1つの「本当の自分」があるとする「個人主義」に相対する概念であり、環境に応じて様々な立ち振舞いが要求される現代社会の中で、本当の自分を見失っているのではないかという不安に苛まれる人の救済に役立ちます。

 一方でMBTI(Myers–Briggs Type Indicator)は人間を4つの心理機能の働きに応じて16タイプに分類し、主に思考や行動の癖を理解することで、自分の心の意識化を狙いとする性格検査です。

前者は1人の人間に複数の人格を想定し、後者は1人の人間を1つのタイプにカテゴライズする枠組みであり、一見すると両者は相容れないように思えます。

 ですが、果たして本当にそうでしょうか。

1.MBTIのタイプは変わる?

 分人主義とMBTIを同居させるにあたって、最も単純な方法は次のような考え方を認めることです。

「MBTIのタイプは相手によって変化する」

 この考えを受け入れるとすれば、分人主義と矛盾することはないと直感的にわかります。

 そしてMBTI界隈をさまよっているとき、次のような発言を目にすることは珍しくありません。 
 「私はAさんと接するときはENFP、1人でいるときはINFPになる」
 「私は普段はINTJだが、あの人といるときはINFJのようになる」
 同様に「昔とタイプが変わった」「こういうときだけ〇〇〇〇になる」などという意見もよく目の当たりにします。
 一言で言えば、タイプ変化現象です。

 このような考え方が許されるのであれば、この時点で議論は終了してしまいます。分人主義のそれぞれの分人にMBTIのタイプを割り当ててしまえばそれで終わりだからです。

 しかし、これらの発言をする方に対しては「タイプは変わらない、相手によって、また状況によって意識される心理機能が変化しているだけだ」という趣旨のものが投げつけられることも多いです。
 先程の例で言えば「Aさんと接するときにはNe(外向直観)、Bさんと接するときにはSe(外向知覚)、一人でいるときにはFi(内向感情)が働く」、「基本的に他者と接するときにはTe(外向思考)、1人でいるときにはNi(内向直観)が働くが、あの人といるときはいつもFe(外向感情)が働く」と表現するのが正しいということです(1人でいるときには内向の心理機能が、誰かといるときには外向の心理機能が働くと考えます)。
 多くのタイプ変化現象は、一時的もしくは対象限定的な心理機能の相違で片付けられる場合が多いです。 


ところで、ここまでの内容を踏まえて、私はあることに気づきました。

 MBTIにおける「16タイプ」と「心理機能」の関係性
 分人主義における「本当の自分」と「分人」の関係性

 この両者には構造的な類似性がないでしょうか?

※ タイプ変化現象について(読み飛ばしていただいて結構です)

 私は、タイプ変化現象は、そのほとんどが①MBTIについての誤った理解、そして②ミスタイプによるものだと考えています。
 そして①は「16タイプが心理機能に先立つ」という誤認に由来しているように思います。例えば「私はINTJだから、対人関係ではTeを、1人のときにはNiを使うはずなのだ。あの子といるときにFeを使ったということはそのときの私はINFJ!?」などとというものです。そして、その勘違いに対する答えは「いえ、違います。INTJがそのとき珍しくFeを使っただけです」となります。
 MBTIの16タイプは、自分の複数の対人関係および自分1人のときの心理機能を考え、意識的に使用される機能の順番によって決定されます。すなわち「心理機能は16タイプに先立つ」ということです。
 例えば私(INFJ)は「Ni>Fe>Ti>Se」という順で心理機能を意識化しやすいからINFJと診断されるのであって、私がINFJだから「Ni>Fe>Ti>Se」の順番で意識しなければならないわけではありません。当たり前のことを言っているようでこれは結構重要です。要は「因果関係」の問題です。そして、心理機能の意識順というのはその一瞬一瞬の話ではなく、平時での話です。つまり、ある程度の時間の幅を考慮して、自分の思考や行動の癖を振り返る余裕が必要になります。精神的な余裕がないときにMBTI診断をするとミスタイプの原因となるのはこれが理由でしょう。
 なお、タイプ変化自体は起こりうるというのが私の考えです。タイプの判定方法の仕組みから考えて、心理機能の意識順が変われば、タイプも必然的に変わると考えるのが妥当でしょうから(ただし、それはかなりのレアケースで基本的には上述の①、②に由来する勘違いでしょうね)。


2.そもそも人格・性格とは?

 構造が類似しているという私の直観を確かめるべく、ここでは2つの構造を比べてみます。

A.分人主義の構造

 まず、平野氏のいう「分人」は各人格が「本当の自分」から演繹的に導かれることを否定した上で、つまり、関係A、関係B、関係C、関係Dで現れる傾向の1つひとつを独立した人格とみなすものです。

分人は本当の自分から分かれたものではないし、反対に分人から本当の自分が得られるわけでもない。
「対人関係で現れる分人自体が本当の自分なのだ」

B.MBTIの構造

 一方、MBTIの16タイプは、上記で言う関係A~Dから帰納的に考えた際に、どの心理機能が意識的に働きやすいのかという観点から人格を1つのタイプに分類するというものです。

一方でMBTIではその人において意識される①心理機能から②16タイプが決定される。
しかし、これは再び③心理機能の成長へとフィードバックされるための過程に過ぎない。

C.両者の比較

 上記の構造を比較すると、分人の立ち位置にそのままMBTIの16タイプを当てはめることはナンセンスだと一目でわかっていただけるのではないかと思います。しかし、だからといって、直ちにMBTIと分人主義が相容れないものであるという結論に達する訳ではありません(何とか粘ろうとしてます)


3.MBTIに分人主義の枠組みを当てはめる

 平野氏の分人主義は対人関係ごとに異なる人格――つまり、分人を想定し、これら1つひとつを本当の自分として認める考え方です。

 私はこの分人はMBTIにおいては「16タイプ」ではなく「8つの心理機能」に相当すると考えます(他者との関わりでは外向機能、自分1人のときには内向機能)。

それぞれの関係A~Dで意識される判断機能と知覚機能の組み合わせが分人に相当すると考える。
MBTIの枠組みに分人を入れることで、各分人をより分析的に理解し、その肯定に役立てる。

 そうすると、MBTIの16タイプは、自己の分人を包括する――どのような分人として自分が生きていることが1番しっくり来るのかということを考えた際に初めて浮かび上がる存在だと私は考えます。

 ここで注意しなければならないのは、こうして決定された「16タイプ」は「本当の自分」になるわけではないということです。16タイプの決定はあくまで心理機能の成長、そして分人の肯定と尊重に繋げる通過地点であり、自分を枠にはめて縛り付けるものであってはなりません。

 また、この2つの枠組みの統合は、自分の中で働くそれぞれの分人の分析と理解を助けるでしょう。特定の人間との関係で働いている心理機能(=分人)、そしてそのときに感じる快不快、それを改めて反省することで、自己の苦手とする心理機能の分析に役立つかもしれません。そしてその分人を肯定できることは、苦手とする心理機能の成長にもつながるのではないでしょうか。

4.MBTIは個人主義ではないのか

 読者の中には、「各分人に心理機能を当てはめ、それらを包括することで16タイプが得られる」という私の主張から、それでは平野氏が否定した個人主義になるのではないか、と疑問をいだいた方もいるかもしれません。

 これは「16タイプ」こそがただ一つの「本当の自分」に相当するのではないかという疑問です。

 しかし、MBTIの概念に立ち返っていただければ、その疑問が誤りであると気づいていただけるのではないでしょうか。

 そもそも、MBTIは人を16タイプに当てはめ、性格を決定することを目的とするものではありません。自分の思考や判断の癖を認識し、自己分析・他者理解に寄与すること、また、それによって自己の成長や他者とのコミュニケーションを円滑化するためのツールです。
 ここでいう思考や判断の癖は心理機能、そして、自他との関係で現れやすい分人の傾向に相当するでしょう。MBTIの考え方は、自分の中で未発達な心理機能を否定するものではなく、むしろ未発達であることを認識してそれを涵養することに役立つものです。それはつまり、自分の対人関係の中で現れにくいが確かに存在する分人の特徴を認識して、それを肯定することにも役立つはずです。

5.結論

 以上から、私は冒頭の結論に達しました。
 つまり、「分人主義とMBTIの考え方は両立しうる」ということです。

 そして、分人主義とMBTIの2つの考え方の融和を図ることで、自己の分人(心理機能)を認め、それを発展させていく助けになると考えています。

 自分の意識していない心理機能や劣等機能については、なかなか好きになれない方も多いのではないかと思います、しかし、それぞれの分人を自分自身として肯定するのと同様に、意識化が難しく苦手な心理機能が働いている自分を認識して肯定することで、それらの心理機能の成長、そして自己存在の発展に寄与できるのではないかと私は思います。

 本記事で私が伝えたいことは以上です。拙いながらも、少しでも新しい視点を皆様に提供できたのであれば、幸いです。「そもそも論理が破綻している」、「こうしたほうが整合性が合う」、「理解がおかしい」などのご意見があればコメントいただけると幸いです(正直自分でも思いついた当初は面白いと思ったのですが話をまとめようとするうちに何か違う感が込み上げています)。


6.蛇足

 自分は本日生まれた分人主義とMBTIを組み合わせて自己の分人の肯定化を図る考え方を

 「分人主義:改(アルター)」

 と名付けることにした……⊂(:3)s



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