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ドストエフスキーが好きって話①


 私はドストエフスキーの作品が好きだ。

 彼の作品には、思想の押し付けがない。
 ミハイル・バフチンが「ポリフォニー」と表現した彼の小説の特徴、それは、登場人物一人ひとりが生きた思想を表現しており、なおかつ作者が各思想に優劣をつけることなくその全てを平等に尊重することで成り立つ。

 それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。

「ドストエフスキーの詩学」 ミハイル・バフチン ちくま学芸文庫P15より

 人間には誰しもその人しか歩むことのない物語がある。その人の現在の思想は、その物語から生まれ、一分一秒、日々の生活の中で幾重にも折り重ねられていくものだ。万人に当てはまる普遍的な正義など存在しない。
 その場的ではない、その人の切実な思いがこもった思想であれば、それが自分と異なるものであったとしても、そこにある種の芸術性を感じる。

 彼の作品にはそうした「切実な思い」による思想がいくつも渦巻いている。
いくつもの対立した思想をもつ登場人物が、一進一退の攻防を繰り広げる。
 登場人物たちは、ときにグロテスクに感じるほどに自分の激情を相手にぶつける。
 そして作者は、彼らの戦いに決着をつけることはない。多くの場合、登場人物たちは討論相手に説得されることはなく、自分を貫き通す。たとえ破滅の道を歩むとしても。

 多くの作品は、その作者の思想が強ければ強いほど、読者への押し付けが生じる。
 もっとも、私はそのことを否定する気はない。誰しも自分の表現したいものがあり、そのために小説を書くのだろうから。伝えたいもの(思想)が弱い小説は薄っぺらいだろう。
 けれども、登場人物が作者の指人形と化してしまう様には私は拭えない違和感をおぼえてしまう。

 言い方を変えれば、彼の作品には基本的に結論がない。
 読み終わったとしても、「貴方はこう考えなさい」などという教訓めいた思想は得られないだろう。
 しかし、その代わりに複数の、現実よりも切実な思想たちが、「単純な言葉の羅列」ではなく「鮮烈な印象」として、読者の心に刻まれることとなるだろう(これこそが小説と哲学の一番の差異だと私は思っている。哲学は普遍性と厳密性に優れる。小説は言葉で表現できない思想を言葉で表現することができる)。

 しばしば、彼の作品は冗長だと批判されることがある。
 この批判についても、私は否定する気はない。
 つらつらと本題にはあまり関係のない情景描写や心理描写が書き連ねられている(「罪と罰」などは特に強い印象がある)のだから、そう感じる読者がいるのは当然だろう。そのような思考に慣れていない読者にとっては尚更だと思う(私の場合は自分の日常自体がだらだらとした心理描写みたいなものなのであまり違和感をおぼえないのだが)。

 彼の作品を読み切ったとしても、言葉で簡単に言い表せるような知識的な思想は身につかないかもしれない。私はそういった教養を求める目的で彼の小説を読むことはあまりおすすめしない。
 しかし、読み終わった後に「鮮烈な印象」が残ることは間違いないだろう。

 ドストエフスキーの小説から、彼自身が内にいくつもの対立する思想を内包していたことが容易に想像できる。分裂性、ヒステリー性、そして過度な純粋さ、作者自身が抱える大きな矛盾からこのような作品が生まれているのだろう。

 私が彼の作品が好きなもう1つの理由として、彼の作品に共通して「共苦」というテーマがみられる(と私が考えている)ことが挙げられる。
 このことについては、そのうち別に記事を書きたいと考えている(いつになるかはわからない)。

おすすめは「虐げられた人びと」


 個人的には「虐げられた人びと」を読んでみてほしい。
 少女ネリーの気高くいじらしい言動・やるせない運命とワルコフスキー公爵のアイロニックな台詞回しが印象的な作品だ。

 ドストエフスキーと聞くと、「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「白痴」「悪霊」「未成年」の五大長編が有名かと思う。けれども、これらの作品は長編故に少しとっつきにくいだろう。また、テーマとして宗教的要素が絡んでくるため、慣れていないと理解しにくいところがあるかもしれない。

 いずれにしても「虐げられた人びと」を読んでからそういった作品を読んでも遅くはないだろう。思想的・文学的な価値は上記の五大長編よりも劣るという意見もあるようだが、私個人の考えとしては後の作品に通じるドストエフスキーのエッセンスの詰まったような作品だと考えている。むしろ、五大長編よりも彼の作品の根底にある思いを感じ取りやすいのではないだろうか。

 最後に、「虐げられた人びと」から私の印象に残っている台詞を1つずつ紹介して終わりたい。 

「辛抱する。叱られたら、わざと黙っててやるの。ぶたれても黙ってる。どんなにぶたれたって絶対に泣かないの。私が泣かないから、むこうは余計いらいらしちゃうの」

 ネリーの台詞 
「虐げられた人びと」 新潮文庫P256より

「……こうして、人間の寛大さが声高く叫ばれれば叫ばれるだけ、そこに含まれる醜悪なエゴイズムもまた増大するという私の理論は、完全に証明されたことになる……」

ワルコフスキー公爵の台詞 
「虐げられた人びと」 新潮文庫P407より


 言葉を尽くしても、自分の好きなものについて自分の思っている全てを表現することはできないのだろう。それでも、言葉にしてみることに価値はきっとあるだろう。そう思ってこの記事を書いてみた。

 ドストエフスキーについては「有名な作家」という認識はあっても彼の作品の特徴がどういうものなのかについては結構誤解されているような印象がある。同時に、過度に難しくとっつきにくいイメージを持たれている気もする(決して読みやすいとは言えないが)。

 私は、現在の私という人間に大きな影響を与えた彼の作品を、もっと多くの人に読んでもらいたい。
 もちろん、そんなことを言う必要がないほど彼の作品は知名度があり、その価値が認められていることは百も承知なのだが。

 ただ、私の周りでドストエフスキーを実際に読んだことがある人間に出会うことはあまり多くはないし、読んだことのある方と話しても彼の作品に茫然としたまま終わってしまっている人も多い印象があるのだ。

 この記事、あるいは今後書くかもしれない記事がほんの少しでも彼の作品を読むきっかけを持っていただけるものになればと切に願っている。


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