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自立ってなんだろう?

こんにちは、りょーさんです。 

こうは子育てや教育の一つの目的となる「自立」っていうことについて考えてみたいと思います。


自立した状態にある人って?


おそらく子育ての目的に「自立して生きる」というのもあるのではないかと思います。

では、自立とはなんでしょうか?
以下にも論じてみますが、関心がある方はぜひじっくり味わい考えてみてくれたら嬉しいです。

たとえば知的障害があり、福祉制度を利用していて十分な収入を期待できていないとしても、制度をうまく活用することで、働くことに生きがいを感じたり、余暇を楽しく過ごせていて、精神的にも生活的にも自立をしている場合があります。
これはその人なりに「自立している」と言っていいと思います。

あるいは、精神疾患(うつ病など)があり今は働けない、一時的に生活保護を受けている人がいるとします。その人が、治療のために積極的にお休みをとっている、あるいはいずれ働くためにできることを始めている。自分がすべきこと(たとえば子育て)に注力するためにいろんな人たちの支えを借りながら生きている。
誰かの助けを借りながら、自分ができる範囲でできることをしながら生きていたら、その人は自分が置かれた状況に応じながら「自立に向かっている」と言っていいと思います。

逆に、お金は十分に稼いでいて生活に困ることはないけど、孤独でしんどくて抱え込んでいる人がいるとします。お金はありつつも、常に何かのせいにしたり、自分を責めたりしながら日々苦しんでいるけど、そこに対して何かをしているわけでもない。果たしてその人は、自立しているのでしょうか?
経済的自立という一側面を見るとこの人は自立しているのかもしれないけど、これは目指すべき自立ではない、そんな直感があるのではないでしょうか。


自立とは経済的な自立のことだけではない


子どもたちに対して「いずれ自立する必要があるんだから」という眼差しを向ける時、私たちは、この「経済的自立」という狭い視点で子どもを囲っている可能性があります。これは十分に気をつけるべきことです。

経済的な自立の眼差しで見た時に「勉強させないと」「学校行かせないと」「塾に通わせないと」「偏差値を上げさせないと」
…そんなふうにとらわれてしまう。
それ自体が精神的な自立を阻むことにだってなりえます。

「自立とは依存先を増やすこと」という言葉もあります。いい感じに誰か何かを頼りながら生きていくことも自立ってことだと思います。そもそも誰もが誰かと共に生きているわけです。

これらを踏まえて、自立とはなんでしょうか。

では自立とは?


自分なりにまとめてみると「自分の人生に対するコントロール感を持っていて、必要な時に必要な方法で人や社会資源を頼る(援助要請する)ことができる」そのようなものを「自立」と呼んでみます。
(そしてその援助要請に手を差し伸べられる社会であることもとっても大事なことです)

本人の中でこのような「自立していると言う実感」がある時、その人は人生をそれなりに充実しているものと感じられているのではないか。;
そして、その「あり方」はその人それぞれの形があり、多様なのです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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