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自分を愛するということ

自分を愛する、と決めた。
だけど、自分を愛するって、どういうことだろう。

先日、自分に感謝する、というボディワークを体験させてもらう機会があった。


自分が生きてきた中で、私が今まで経験してきたことと、出会った人たちへの感謝の気持ちは、持てるようになってきていた。

だけど、ワーク中に自分の身体に対して感謝の気持ちを持とうとしたとき、私の中に違和感が芽生えた。
ワークの間中、感謝の気持ちを感じることができなかった。

それでももう一度ちゃんとやってみようと思い、ワークを受けたその日、湯船に浸かっている最中に自分の身体を抱きしめるようにして、自分の身体に感謝の気持ちを持とうとした。

いろんなことを経験できたのも、こうして感情が湧くのも、湯に浸かって温かいと感じられるのも、今、こうして私の身体があるから。
だから、私の身体へ感謝する。

理屈は、わかる。
でも、どうしても納得がいかなかった。

そもそも私が生まれなかったら、一連の全ての出来事が起こる必要はなかったわけで。
生まれることがなかったら、私はこの世界でなにかを感じることも望まなかったはずで。

私は、望んでこの世に生まれてきたわけではない。それなのにどうして自分の身体に感謝する必要があるのだろう。

そもそも、生まれなかったら存在しなかったこの身体。
なくてもいいなら、ないほうがよかった。
生まれなかったら感じる必要もなかったことに、感謝する必要が果たしてあるのだろうか。

自分の身体に感謝したら、この世に私が生まれてきたことを肯定し、感謝するのと同じだ、と直感的に感じた私は、自分の身体に感謝することにすごく違和感をおぼえてしまったのだ。

私は基本的に、自分が生まれてきて良かったなどとは全く思えず、むしろ、なんで生まれてきたんだろう。生まれなくても良かったなら、生まれたくなかった、という思いが根底にありながら生きてきた。

こうして、自分の身体に感謝するというワークを通して、私は、自分のことを愛すると決めた今もまだ尚、自分が生まれてきたことを祝福できていない、ということを否が応でも実感させられた。

自分の身体へ感謝することの違和感が大きく、生まれてきたことを祝福できていない自分がいることをあらためて実感したことで、その日の私は精神的にけっこうダメージを受けた。

落ち込んで、もやもやして、どうしようもない気持ちに支配された。

私は私を愛するって決めたのに、なんにもわかっていなかった。

自分を愛するって、自分自身の持っている感情や想い、思考を愛することだって、どこかで勝手に思っていた。
自分の身体そのものを愛するなんて、完全に私の思考の外側で忘れ去られてしまっていた。


私の中になぜか頑固に居坐っている、私がこの世に生まれたことへの不服感。
本当は、生まれてなんかきたくなかったのに…。
そして私自身が、その不服感を大事に護っているようだった。

だから、それに感謝しよう、と言われたときに、嫌だ!なんで私が今までずっと不服に思っていたことに対して、感謝の気持ちなんて持たなくちゃいけないんだよ!
と反発心が生まれたのかもしれない、と、今振り返りながら書くことで、そう思った。

だからまずは、生まれたことに対する不服感を解放してあげよう。 
大丈夫、もうその気持ちは、そんなに大事に護る必要はないからね、手放してもいいからね、と自分に言い聞かせよう。


そして、自然と自分の身体に感謝の気持ちを持てるようになれたなら、それは自分を愛するということに、まっすぐつながってくると思うんだ。

実をいうと、湯船に浸かりながら自分の身体に感謝することに違和感を感じた次の日と、その次の日も、神社に行って、お祈りの最後に、自分自身の身体が今ここにあることに、感謝の気持ちを伝えるようにしたの。

そうしたら、感謝のワークから3日目にして、1日目のときよりも違和感なく、感謝の気持ちを唱えられている自分がいた。

湯船の中とはシチュエーションも違うし、感謝の気持ちを自分の身体に巡らせる、というよりも、神社ではただ感謝の言葉を言う、ということにフォーカスしていたから、より受け入れやすかったのかもしれない。

でもこれを続けていけば、いつか本当に、自分の身体に心から感謝の気持ちを持てる日が来るかもしれない。

だから今は、いつか心から自分の身体の存在そのものに感謝できる日が来ることを願って、まずは自分の身体への感謝の気持ちを心の中で言葉にして、唱える、ということを続けてみようと思う。


ーーーーーー 追記 ーーーーーー

この文章を書き終えたあとに少し冷静になって気がついた。
私は、"自分の身体に感謝する"ということを、"私がこの世に存在することに感謝する"、という捉え方をしていたことに。(ボディワークではそのような流れだった、というのが大きいけれど)

でもよく考えると、自分の身体に感謝する、というのは、別の視点からみることもできそうだと気がついた。
身体を使ったあと(例えば運動したり、立ち仕事をしたあと)に、自分の身体、つまり自分の肉体に対して、「お疲れ様、ありがとう」と労うこともあり得るシチュエーションなのではないだろうか。

後者の場合は、私はわりと素直に自分の身体に感謝の気持ちを伝えることができるように感じる。(少なくとも、前者よりは違和感なく感謝することができる。)

この気づきのおかげで、自分の中で引っかかる部分がどこにあるのか、より明確になったと思う。

最終的な理想は、"自分の存在そのものに感謝できる"ようになることなんだろうなとは思うけど、まずは自分の肉体に感謝するところからはじめてみよう。


はる
2024.2.10

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