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noteをする理由。その時、私の心は学生時代の研究室の片隅にいる

私がnoteを書いたり読んだりする理由。

何故なのだろうと、ふと思ったので考えてみました。

有名どころのSNSは正直疲れる。私は距離を置いて使っている。でもnoteでは、読み書きの義務感も、いいねボタンを押すに当たっての変なプレッシャーも感じない。読みたければ読むし、書きたければ書く。共感したければする。

前回noteのアプリを開いてから、数ヶ月経っていたとしても、noteの中では淡々と時間が進んでいて、別に流行り廃りを気にすることもない。(私のフォローしている方々がトレンドを追いかけていないだけかもしれないけれど)

noteで見知らぬ方の記事を読んでいる時、昔懐かしい空間にいる気持ちになる。好きな議題で好きに議論ができる雰囲気。

そこは、大学時代の研究室。
もしくは、体育会系サークルの溜まり場。

私は工学系の研究室に所属していたのだけれど、ドクターから大学4年生までの6学年(留年や浪人を含めればそれ+αの年代)、さらには教授や助教授も含めて、結構な年齢層の人間が同じ空間を24時間共有していた。(今はどうか知らないけれど、私の時代の実験系の工学部なんて昼夜はなかった)

今になって思い出されるのは、研究室でやった勉強や実験よりも、徹夜で語り明かした意味のあるような無いような山々話ばかり。(勉強のできない学生ですみません、恩師)

サークルの溜まり場でも意味のあるような無いような話ばかりしていた。(実際は実のある話をしていたと思いたいが、私のなけなしの記憶では本業の話は吹っ飛んでいる)

なぜかは知らないけれど、noteでは、その当時の雰囲気にどっぷり浸かり、ノスタルジックなひと時を過ごせる。

学生時代は、社会の不条理さも、男女不平等も、何もかもが遠い世界のことだった。重い責任もなかった。

今の生活が重圧に満ちている訳ではないのだけれど、無性にあの頃が懐かしく感じる。
その雰囲気を愛おしいと思うから、noteを細々と続けているのかもしれない。

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