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#112 忘れないように。




僕達が今、生きていることは奇跡です。



今の僕は、21歳です。



現段階で21歳まで生きれた人は何人?




僕よりも若くして亡くなった人



それは、自ら手放してしまった人も


予期せぬことで旅立っていった人も



何人の若い子供たち
これからの世界を担う希望が



途絶えていっているか。


今日も、どこかで希望が途絶えたかもしれない。




なんでこの日に、こんな事を言うか




僕にとってこの日は忘れてならない日




確か前にもこんなことを書いたね


その時もそんな日がいくつかあるって言った

今日もその内の1つだ。




僕の憧れの先輩の命日だ。


その人は、地元のソフトボールチームの先輩で
僕は1年生の時、向こうは5年生。


先にやっていた兄の練習を
初めて見に行った時から凄かった。


誰よりも汚れているユニホーム。

同じ練習をしているのに、
全然動きが違うのが小さいながら分かった。


ほんとにプロ選手のようだった。


打っても守っても走っても凄かった。



あとから分かったのはその先輩は、
他のクラブチームにも行っていて
午前中は、そっちで練習をして
午後からは、こっちの練習をしていた。



そのクラブチームでは、
上がいるにも関わらず背番号10番をつけていた


要は、キャプテンだ。



それだけ、上手いかったんだろう。




実を言うと、後に僕もそのクラブに入る。

そして、同じ10番をつけることができた。


だから分かるのは、そのチームでは
礼儀や挨拶、感謝を凄く重んじる。


どんなミスプレーよりも
その3つを疎かにすることに厳しかった
平気で1時間の説教が飛んでくる。
上手くても、それができない子は試合に出れない



そんな中で、10番をつけていた先輩は
そこもしっかりしていたということだ。



地元のチームの練習でも
誰よりも大きな声を出していた。



自然と上手いプレーが続く。
小学生で、あそこまで再現性を高めるのは
中々至難の技だし、練習と言えどできることじゃない。



今でも、プロ野球選手になっていたと思う。



そんな先輩が亡くなった時は
すごくショックだった。



偶然と偶然が重なった事故だった。


いつも通りなら絶対起きない事故。



どれほど悔しかっただろうか……



夢も目標も沢山あったはずだ。
やりたいことも全然できてなかったはず。



そんな人の人生が一瞬にして途絶えた。




それからこの日になると
地元にいる時は、家に行って手を合わせてきた。


会いに行って、挨拶をして。
同じクラブチームに入って10番をつけた時は
見てて下さい!と誓っていた。



一緒にソフトをした時間も
言葉を交わした回数も少なかったけど
何回か褒めらたことが凄く記憶に残っている。



嬉しかった。



誰よりも才能があって努力家で
大きな夢に向かって情熱を持っていた。




そう周りに伝わる行動や言葉ばっかり



誰よりも「上手くなりたい」気持ちがあった。




僕達は、そんな人達が喉から手が出るほど
生きたかった、欲しかった時間を生きる。


そんな時間を、世界を
僕は1度、自ら手放そうとしていた。


やっぱり救ってくれたのはソフトボールだった。



そして、、そのクラブチームの繋がりだった。



凄く特別な縁を感じた。




もう一度、思い出せ!と言われた気分だった。




本当に良かった。
今があるのは、全部繋がってできている。




そんなことをこの日で、思い出せる。



人間ならずっと意識するのは難しいこともある


でも、1年に何日か思い出す日があるだけで
本当に大事な忘れてならないことを
見失わずにいられる気がするんだ。




だから、今日も思い出して。


遠い所が、天に祈りを捧げ。
今日を生き抜けたことを感謝する。



𝓡𝓮𝓼𝓽 𝓘𝓷 𝓟𝓮𝓪𝓬𝓮




また明日も強く生きよう。




以上!それでは👋

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