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22歳、中学生から夢見た東京に住みIT系StartUpの創業メンバーになった話。

実家千葉県の、東京湾沿いに位置する自分の部屋の窓からは、東京のキラキラした光がよく見えていた。

「大人になったらきっと、あの光の中に行くんだ」

その頃からピアノで音大に行きたいと考えていた私は、学校から帰り、窓の外をボーっと眺め、よくそんな事を思っていた。

ただの音大生だった私がいかにしてIT産業に足を踏み入れる事になったのか、「HARU」というサービスを知ってもらうべく、3回に分けて投稿していきたい。

夢にみた東京へ。

数年後、晴れて音大生となり、上京。実家の窓から輝かしく見えていた東京は、案外小さかったが、想像していたよりはるかに世界が大きく見え、可能性と面白い人で満ち溢れていた。ずーっと夢に見ていたこの環境が幸せで、1秒たりとも無駄にしまいと毎日を必死に過ごした。

ただ、苦労して音大に入ったものの、入学当初から、卒業後は就職希望だった。音楽を仕事にすることは現実的ではないと考えていたからだ。

もしかすると「音大生」と聞けば、卒業後は誰もが音楽関係の仕事につくと思われる方が多いかもしれない。実際は50:50と言って過言ではないと思う。法学部の学生が必ずしも法曹界にいくとは限らないのと同じで。

しかし、音大生の方は少し事情が違うかもしれない。

音楽で食べていけるのはほんの一握り。演奏家でなくたって、ピアノ講師もそれ一本として1人で生きていくのは至難の技だ。日本で活動しようとするなら尚更、この国における音楽文化の立ち位置は決して優位なものとされていないし、きっとそれは昔から変わっていない。グローバル化が進み情報の行き来が便利になった今でも、音楽人口は減る一方。一人前になるのに大金を掛けなければならない割に、演奏一回に貰える報酬は少なく、音楽を仕事にする代償の重みは計り知れない。このような背景で、音大生が一般就職を選択することは、至って現実的で妥当なことなのだ。

だけど音大という環境下にいて、私の好奇心は増す一方。これまでの人生で唯一の夢であった「音大生になること」が叶うと、苦難な道であると知っていながら自分の居場所は音楽なんだと、またそうでありたいと強く思うようになっていった。

なんとしても音楽の仕事がしたくて、少しでも為になりそうだと思ったらどこにでも飛び込んだ。

思いの外すぐに人脈が広がって、4年生のときには学校の外で、絶えずアンサンブルや伴奏、教える仕事に出会えた。時には1ヶ月ほど休みが取れずやることに終われ、睡眠もまともに取れない日が続くこともあったけど、辛いと感じたことはなかった。

東京で見つけた素敵な人たち。

この年に出会った人たちは皆、素敵な生き方をしていた。

歌手、合唱団員、伴奏者、講師。出会ったほとんどの方が別に仕事を持ちつつ、休日を返上して音楽をしていたり、家庭があり子育てと両立しているお母さんやお父さんもいたりした。

そのいずれの人にも共通していたのは、音楽を単なる趣味としてやっているのではないということ。人それぞれに合った向き合い方で音楽に対してとても誠実だった。皆自分の生き方に誇りを持っていて、大好きな音楽をしている姿が美しく、自分も嬉しくなった。

数ある素敵な出会いの中で、特別心に残っているエピソードがある。

それは、とあるお洋服屋さんでのこと。お店を経営しているのは80歳を過ぎた元シャンソン歌手だというおばあちゃん。お店にはグランドピアノが置いてあり、毎月初めの金曜18時からライブが行われ、小さな店内は満員になる。

店主であるおばあちゃんが歌う「涙そうそう」に涙が零れた。

使い込まれた声帯で声はガラガラ、上手く発声ができないと言いながらも、その歌にこの方のあったかい人生が見えて、この人の人生だから成せるこの音楽なんだと、心を打たれ感動した。

そして観客は、そんなおばあちゃんと音楽を通して繋がっていたいと思い、こうして毎月集まるのだと分かった。

同時に世の中に憤りを感じた。東京という狭い土地で、こんなにも素敵な人と音楽が溢れているのに、誰も知らないなんて。

「いい音楽」ってなんだろう?

一方大学では、競争することに疲れ、音楽に失望した、とピアノから距離を置く同期がでてきた。音大というのは、試験やオーディションでいい点数をとることに目的が変わってしまう風潮が少なからず存在している。名前の通る先生について、審査員受けする曲をそつなく弾いて、競争の中で勝ち抜くこと。これが今のクラシック音楽業界で成功する一番の方法だから。

ただ点数を取るための均されたものではなく、その人にしかできない唯一無二の演奏を、それを聴いてくれる方々と共有することで音楽と共にあり続けたいと考えるのは、「いい音楽」をしているとは言えないのだろうか?

この現状に失望した同期の気持ちはよく理解できた。私が中学生の時に音大に行くと決断した理由は、「音楽に囲まれた環境にいたいから」だった。音大に来てみると、音楽に囲まれるどころか呑まれてしまいそうで、想像していた理想と現実のギャップは私も常に感じていた。

そんな同期と私との違いは音楽の向き合い方にあったと思う。

音大に来ておいてこんな事を言うと頭の中お花畑と言われてしまいそうだが、私は演奏を評価される場でピアノを弾くのが幼い頃から苦手だ。興味がない、といった方が正しいかもしれない。コンクールや試験は、良い音楽を育む為に絶対に必要な機会だと分かっているものの、聴衆(=審査員)が、自分の演奏を聴きたいと思ってくれていないと会場の空気から感じ取れてしまって、どうしても気持ちが萎えてしまう。心が弱いと言われればそれまでなのだが、小学生の頃に初めてコンクールに出場した時から、その気持ちは変わらない。上手く弾けても弾けなくても、また、賞を貰っても貰わなくても私にとってはどちらでも良くて、ソロのコンクールや試験となるとどうしてもやる気が起きない。良い結果を残しても楽しいと感じた事が一度もない。

反対に、聴衆、時には共演者とその場限りの音楽を、一緒に共有できる演奏会やコンサートは大好きだ。好きな事と向き合うってそういうものだと思う。おかげで私の経歴は薄っぺらいし、その事が、与えられる演奏機会に影響し悩むこともあったけど、自分の音を好きだと言ってくれる人がいる。経歴でなく、私の音楽を本当にいいと思ってくれた人たちと、またそういった場所で演奏ができる。その事が私にとってはとても重要で、音楽のあり方は人それぞれでいいと思っている。

小さい頃からブレないこの信念のおかげで音大へ進学でき、他の同期たちは知らない小さな洋服店のおばあちゃんのような、素敵な人たちと知り合えたのだから。

平日は教師、休日は仲間と集まり演奏活動をする人。
昼間は工事現場で働き、夜はステージで歌を歌う人。
子供を学校に送り出している間に合唱の稽古に励む人。

素敵な感性が至るところに溢れている。そんな人たちと出会うまで私も、クラシック音楽の世界では誰もが認める演奏技術を持ち合わせるか、輝かしい経歴がある者だけしか生きられないと思い込んでいた。自分も然り、音楽を仕事になど恐れ多い気がしていたが、私の思う「いい音楽」はここに存在していると確信できた。見かけは狭き門でも、中に入ると実は無限の可能性が広がるこの世界を知って、ようやく一歩が踏み出せた。

ただしその世界を見ることができるのは運よく出会えた人だけ。自分が多くの人に影響を与えたいと考えても、才能ある音楽家の下に埋れて声は届かないだろう。

そんな事を考えていた4年生の12月、もう一つ印象的だった出会いがあった。

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続きはvol.2で。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。






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