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手洗い場にいたおばあさん


おばあさんから声をかけられやすい。出張先のホテルの大浴場で一緒に湯船に浸かっていたおばあちゃま。エレベーターに乗り合わせたおばあちゃま、などなど。まあ、私が声をかけられやすいというより、そもそも「おじいさん」「おばあさん」が他人に声をかけに行きやすい、という話かもしれないけれど。



福島市に出張中の夜、家庭的な雰囲気のごはん屋さんに行った。その日は昼食の時間を取れずとにかくお腹が空いていた。だからファミレスではなく自分でおかずを選べるタイプの、一皿の量がたくさんある、それでいてお財布に優しいそのごはん屋さんを選んだ。

会計を終え席にお盆を置き、手を洗うため一度離れる。トイレの扉の前に手洗い場が一つ。そこには先約がいた。小さな背中はゆっくりと手を洗っている。お腹減った。早く食べたい。おばあさんと出会ったのは、そんなタイミングだった。

「あら、ごめんなさいね」

後ろで待つ私に気付いたおばあさんはそう言って場所を空けてくれた。手を洗い始めた私の真隣で、手拭き用の紙を取っている。寒いねえ、とか何とか、話し出しはそんな言葉だったと思う。

おばあさんは、近くの山が綺麗に紅葉していたことを教えてくれた。相馬市からこちらまで温泉に来たのだという。1時間弱はかかる距離だけれど、一人で運転してきたそうだ。70代後半の祖母と変わらないくらいに見えるおばあさん。元気だなと思った。するとおばあさんは続けた。

「2週間前に旦那が亡くなったから、お世話になったお礼に来たの」

……通りすがりの人間への話題としては、ちょいと重量がありすぎやしないか。
2週間前にご夫婦は一緒にこちらの温泉に来たそうだ。温泉に入った後か前か、おじいさんが倒れ、緊急搬送された。そして福島市の病院でそのまま息を引き取ったのだと言う。持病持ちだったからね。私が先かあの人が先か、いつ来てもおかしくないなあとは思ってたのよ。でもそのときに温泉の方にとってもお世話になってねえ。お礼を言いに手土産を持ってこっちまで来たのに、今日は定休日だったの。仕方ないからご飯を食べて帰ろうと思って、ここに来てね、やっぱり二人で来てた場所に一人で来ると寂しいねえ。スーっとする、心がね。

まるで、今日学校で〇〇ちゃんが休みでさぁ、と母親に話すときのような温度感で、おばあさんはずっと話を続けた。私は「おじいさんが亡くなった」「しかもかなり最近の話」という情報が入った段階からどんな言葉を返せばいいのかわからなくなって、はぁ〜、へぇ〜、と、ちょっと音がついただけの息を発していた。


返事にも困っていたけれど場の状況にも少しずつ困り始めた。あ、鞄、財布も席に置いたままだな。ていうかお腹も空いてる。おばあさんは食後なのかな。一緒に食べますかって言う? いやあ、それはちょっとな……。

相槌を打ちながら考えを巡らせている間に、おじいさんの趣味の話から、帰り道の高速はトンネルが多くて怖いという話にまで話題は発展していた。福島市と相馬市を繋ぐ東北中央道は片道一車線で、確かにトンネルが多い。……いや、そうじゃなくて。結局私は「とりあえず外に出ますか?」と促した。もしおばあさんが食事前だったらどうしようか、と思いつつ。

心配は杞憂に終わった。おばあさんはあっさり「そうだね」とお手洗いから出て、こちらを振り向くことなくそのまま店を出て行った。え、もしかして私がついてきているつもりでどんどん歩いてる? と思うくらいにまっすぐに。おばあさんが振り返ったとき誰もいないのはさすがに良心が痛む、最後の挨拶くらいは、と思って、えっと、あの、とか言ってその場をワタワタしたけれど、そうしているうちに小さな背中は見えなくなった。


席に戻ると、置き去りにしていた肉野菜炒めからは湯気が消えていた。なんとも形容しがたい気分。途中から早く席に戻りたいと確かに思っていたはずなのに、いざおばあさんが行ってしまうと、もっと何かできたのではないかと罪悪感に襲われた。その店には電子レンジが置いてあって、一度立てば温かいごはんを食べられることはわかっていたけれど、何となく温めに行くのはやめた。冷めたごはんを食べるべきだと感じた。そうしないと、おばあさんが連れ添ったおじいさんの話を私にしたあの時間も、一緒に消えてしまう気がした。
……いや、文章書く用に少しかっこつけたかも。とにかく何となく、冷めたまま食べるべきだと感じたのだ。



そんな火曜日の出来事がずっと頭に残っていた影響で、今週は両方のばあちゃんに電話をかけた。大好きなばあちゃん。歳をとって、私が地元を離れたばっかりに年に数回しか会えなくなったばあちゃん。目を悪くして、病気が見つかって、それぞれ、もういいのにって思うけれど止まらず歳を積み重ねている。そんなばあちゃんは私が気まぐれに電話をした、ただそれだけで宝物を見つけたかのような声を上げる。放っておけば一生喋り続けるんじゃないかってくらい話が止まらなくなる。そうして、はるちゃんが電話してくれて嬉しいねえ、また暇なときでいいから声聞かせてね、気をつけて帰っておいでよ、年末楽しみにしてるね……そう言って電話を切る。電話をかけただけでこんなに喜んでくれる人、この世に二人だけだと思うよ。



あのおばあさんにも、こんな風におじいさんの話をできる相手はいるのだろうか。あのおばあさんが今度はこっちでちゃんと温泉に入れますように。仮に一年に数回だとしても、誰かに話したいことを遮られずに、好きなだけ話せる時間がありますように。私は私のばあちゃんたちをこれからも大切にする。それを思い出させてくれたおばあさん、ありがとう。あったかくしてね。

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