はるちゃん
西成の新年の餅つき大会がおこなわれる三角公園の横で、毎年知り合いと集まり路上で交流イベントみたいなものをやっている。毎年1月2日でわたしたちの集まりは今回が3回目だ。今回は、わたしがファンからもらったコーヒーとお茶を持ってきて路上カフェをした。 路上など不特定多数さまざまな人が行き交う公共空間で集まったり交流すると思わぬ出会いやイベントがおこる。そこから学びもある。路上に来れない人にも楽しめるようにも書いてみたい。ポイントは以下の3点。 ①話しかけたら勝ち ②交流が経
最近は路上で人との交流が多くなったり、ヒッチハイク旅行したり、飯を奢ってもらったり楽しいことが多い。調子がいいと気分が浮つく。 しかし、人との出会いがある反面、関係がすぐ終わったり、自分が疎んじられることもあり、不安定ではある。そういう浮き沈みのある状況なので、一人でいる時や何もしない時はいろいろと不安になったりする。気力がないときは布団の中で寝込んでいる。これはいけないとヤケクソになって路上に出ていくことを繰り返している。今はヤケクソのパワーでやっているが、このパワー
働かない/働けないとなぜ身動きが取りにくくなり生きづらくなるのかを突っ込んで書いてみたい。競争社会への批判、労働が苦痛だという認識が広がる中、働かないのも一つの選択だと思う人も増えてきた。最低限生きていく金は生活保護で支給される。しかし、働かないで暮らすと人生バラ色になるのかと言われるとそれは難しいのが現実だ。 今回、問題として指摘していくのは、①経済的自立ができない人は社会的信用を得にくく、人間関係の広がりに制限がかかり、孤立しやすく生きづらくなること。 さらに、
自分のやっていることは、あまり働けない半引きこもりとして、社会から孤立せず、人と関わりながら文化的な楽しみを得る活動だと言えそうだ。収入や社会との関わりを持ちにくい分、交流や文化活動を作り出すことを意識してあれやこれやしている。さらに、各地で気の合う人と会ったりオフ会のようなものをやってきた。今あるもので一時的な解放区(アジール)をつくる。 さて、そうこうしてるうちに、自分たちの集まりに国会議員を招くことになり、生存権の話や地域での居場所つくりについて話す機会もできた。
これまでも、野原や河原で自生してるエゴマをとって食糧として活用してることをブログで書いたりしてきた。エゴマは紫蘇の仲間で繁殖力が強く毎年同じところで群生する。韓国では焼肉に包んで食べられる。鉄分やビタミンもあり栄養になる。食べられる野草の場所を見つけると暮らしの強い味方になる。友人のミニマリストも近所の河原にクレソンが生えてるのを見つけて、節約と栄養源として活用している。野草などを近くで見つけて食べれば究極の地産地消だし、オルタナティブ性がある。 とにかく、近所でエゴマがた
1.お金とつながり:二つの格差 資本主義社会とはつまり格差社会だ。いろんな格差があるが、格差と言えばまずお金の格差のことを指す。資本主義では一部の人たちに膨大な富が集まり、残り大多数は大した富を得られない。べき状の分布になる。 つながりにおいても、一部の有力者やセレブ、イケイケな人にはどんどん人が集まる。資本主義社会ではお金と同じようにつながりも一部の人にどんどん偏ってしまう。 つながりとは他者からの承認で生まれる。つまり、孤独・孤立問題とは承認の格差の問題である
最近、ご飯を奢られることが増えてきた。路上で絵を売ったり投げ銭をもらう活動でSNSをフォローしてもらった人に、再びアポをとって奢ってもらうことが多い。この前、大阪に行った時は2日連続で奢ってもらうなどつなぎ技もできる。思い切ってDMを送っちゃえ! わたしのようにあまり働けずお金がないと外食がしにくい。しかし、他人に奢ってもらうといろんなお店に行けるようになる。世の中の人はこういう食事をするんだと社会経験になる(あと、奢られたら間接的に経済回してるやん)。 わたしのよ
京都の春の景色を描いた。主に梅と桜です。地元の梅や桜をたくさん見てめぐるのはここ最近のことだ。時間のある暇人は風流を楽しめる。イラストの一枚は海外の絵画好きな人に5000円で買われた。 ●梅 ●桜 ●桜並木でポストカード配り 桜並木の続く北山の河原で、桜を描いたポストカードで投げ銭をもらった。陶芸家の人や地元の元気なおばちゃんと交流できてよかった。投げ銭は2500円ほどだった。
わたしの地元京都をブラブラして描いたイラスト。ポストカードでも人気がある。 自分の絵はメルカリでも出品してます。 メルカリ出品者名→ HARU
中部地方のイラスト。中には20000円で売れた犬山城もあります。また、郡上八幡には祭りの時に行ってイラストになる風景を見つけてきたい。 自分の絵はメルカリでも出品してます。 メルカリ出品者名→ HARU
わたしの放浪の絵が多くなってきた。各地を回って自分の目に飛び込んだ風景を自分で描いてみる。前まで絵を描こうなんて思ってもなかったけど、自分の絵を人に見せてみたらいい言葉を投げてもらったり、買ってもらうこともある。自分にとって絵は人からの好意を引き寄せたり交流するためのツールになっている。 自分で手間暇かけて行ったところや、目に飛びこんできたものを描かなきゃなと負債の感覚にも突き動かされたりする。ヒッチハイクや投げ銭によってわたしの放浪はできていて、色んな人との触れ合いを
健康で文化的な最低限度の生活。生活保護を利用すると最低限度の生活や医療は保障されるけど、生活費のやりくりにお金を消失し、趣味や文化活動、レジャーなどにお金を費やしにくい。ワーキンブプアーや引きこもりなどもお金がないため同じ問題がある。文化を享受しにくくなる。 でも、働けないからといって文化を享受できないのは、ただ生かされてるだけという監獄の囚人のようになってしまう。もう21世紀で社会は高度に発展してるのに、稼げないと個人の自由は著しく制限され何もできなくなる。文字通りの
会ったらご飯を食べさせてくれるお姉さんに別れられた。 最後にご飯を食べた翌日に、「結婚することになってて、今まで流れでご飯に行ってしまったけど、もう行かないからね」とLINEが入ってきてて、そのままLINEはブロックされちゃったようだ。 一緒にショッピング行きたいねとか話してたのに、突然の別れでちょっと悲しくなった。 婚活をしていると言っていて、でも結婚するのに後ろ向きな気持ちもあったようで、そのへんの心のモヤモヤをわたしが埋めてたのかもしれないな。 そのお
新年は西成の路上で居場所つくりをした。みかんを配ったり生活用品を激安で売ったりした。京都の路上で「西成でみかんを配ったりしたいんです」と通行人に声をかけてみかん代2500円を集めた。それを原資にみかん10kgを箱で買って、西成の路上でみんなで食べたり配ったりしながら交流した。自分でお金や人を引っ張ってきて活動できた事がよい自信になった。この日は、活動応援でたくさん投げ銭をもらった。お年玉だね! 前に奈良の路上で話しかけてくれたおばちゃんがむかし西成で物資配布のボランティ
2022年の最後の遠出の旅だ。叔母に会いに岐阜県の下呂温泉に行ったついでに、ヒッチハイクで高山に行き、上高地を超えて長野県に。諏訪大社や山下清の原画展示を見て、塩尻から中山道を通り名古屋に。名古屋ではサンサロサロンの人たちと話したり、岡崎ではTwitterの友人に味噌蔵などを案内してもらった。 1.高山で山下清の原画展を見る 親戚に会いに下呂温泉に行く。出発前に京都で電車代をためた。今回は急ぎで新幹線を使ったので全額はまかなえなかった。久しぶりに新幹線に乗って名古屋へ
友人の車で紅葉めぐりに行くことに。奈良県の少し山の方にある談山神社である。その後は、橿原に住む知り合いのおばちゃんを訪ねて韓国料理を食べた。その翌日は、さらにヒッチハイクをして洞川温泉めぐりに同行させてもらった。 友人とは大阪市内で待ち合わせ。それまで時間があったので、環状線扇町駅の前で絵を飾ってたら、九州ローカル線の絵が売れた。絵が好きなおばちゃんに買ってもらった。旅の資金稼ぎだ。この日は、友人の家に泊めてもらった。この家は空き家だそうで、たまに人を泊めたり地域活動の