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感覚処理感受性について HSS型HSPの模索

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)
というワードが出回っている。

なんぞや?と思って調べてみたら、簡単に言うと感覚が敏感な人、ということらしい。

ある程度の会話ができるようになり、自力で歩行できる年齢の頃つまり物心ついた頃から保育士さんたちに『はるかれーらいすはデリケート』だと日々言われていた。
毎日泣いていたし、特定の保育士さんでないと心の安定が保てなかった。
小学校に入ってからは常に何時間もの間(授業)周りに人がたくさんいて、特に子供が苦手だったので辛すぎて死にそうだった(決して休ませてらもらえない)。
今思うと、学校制度がある理由や世の中の仕組みを教えてもらえていたら、違ったと思う。
通知表には中学まで『非常に消極的です』と必ず書かれていた。
誰とも関わりたくなかったので。
終業後は即帰宅していた(誰もいない家に)。

特に家庭環境にも原因があったのだけれど、それはまた別の要素として置いておく。

洋服の着心地にもとても敏感で着られる服がものすごく限られていた。
小中は体操着ならなんとか着られた、というか体操着しか着ていなかった。
今も買い物には苦労していると思うけど、ストレッチが効いたオーバーサイズならだいたいなんとかなるので、ほぼオーバーサイズかもしれない。
標準的な体型でよかった。

HSPというワードが登場するまで、自分は人より匂いとか音に敏感でいろいろ感じやすい性格なんだな……くらいに思っていたのだけれど、わかりやすい言葉が出てきて整理しやすくなった(自分の中で)。

HSPを別の言葉にすると感覚処理感受性という人格の特性に使用される言葉も使えるらしい。
個人差がある特性なので、一括りにはできないけれど。

さらにHSPには種類があり、内向型と外向型、さらに細かく分類できるらしい。
簡単に言うと内向型なら一人の時間で英気を養える、外向型なら他者から英気を養える、というような事らしい。

私は完全に一人の時間がないとダメなのだが、子供の頃は寂しかった。
でも、一人にならないとダウンしてしまう。
矛盾……

何かしらの特性があるからと言って、生育環境も含めるとさらに複雑になってくるので、どこかを少しづつ解していくと、全体的に変わってくる、というお話をカウンセラーさんから聞いた。

確かに、肩凝りも目の疲れからなのか、肉体的な疲労からなのか、はたまた心臓の病気でも肩凝りになるらしいので、さまざまなパターンがある。
人格特性や何かしらの発達障害のような場合も、簡単には分類ができないのも頷ける。

人生経験による変化もある。
人は何を見て何を学ぶかで変わっていく。
決めつけるのではなく、自分の1面として理解して受け入れる。

受け入れることで行動が変わり、人生が変わっていくこともある。
そう思うと、自分の世界が変わってくる。

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