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あやまらない電車


#北海道のここがえーぞ

汽車がゆっくりと走る。文字通り「ガタンゴトン」という規則的なリズムが眠気を誘う。駅によっては、停車してからなかなか出発しない。その間、車内は静かだ。

私が北海道で「えーぞ」と思うところは、特産品や観光スポットじゃない。美味しいものも綺麗なところもたくさんあるけれど、汽車の(電車ではなく汽車と言う)のんびりとしたところが好きだ。
これは北海道に限らないのかもしれないけれど、電車が「謝らない」。正確に言うと、「謝りアナウンス」がない。

都会(特に東京)の電車に乗っていて気になるのは、しょっちゅう謝罪のアナウンスがはいるところだ。「遅れまして申し訳ありません」「定刻より3分ほど遅れて運転しております、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」……。

しかも、たいていの場合運転手側に全く非がないところがすごい。天候のせいで遅れたり、何かトラブルがあったりと、どうしようもできない理由がほとんどだ。そんななか間に合わせようと走るのだから、むしろ、運転手は感謝されて当然だ。申し訳なくない。けど謝る。

北海道の汽車は(特に私がよく乗る路線は)よく遅れる。ひと駅ごとの停車時間が長いのだ。けれど、アナウンスは到着駅を知らせる自動音声のみ。一体なんで止まってるんだか分からない時もあるが、汽車は鷹揚にどっしりと駅から動かない。乗っていてふと、「そういえばなんでさっきから動かないんだ??」となる。
でも乗客の方も、「まあそのうち動くさ」というようなのんびり加減(旅行者は不安になっているかもしれない……)。これが大雪の日となるとなおさらだ。天候をどうすることもできないこと、冬の厳しさは北海道で生活する人の共通認識だと思う。

確かに都会、特に東京は忙しくて、1分の遅れがその後のスケジュールに影響してくるのかもしれない。天候がどうとか関係ないのかもしれない。

でも、謝りのアナウンスは必要なんだろうか。

運転手に謝る必要はないし、場合によっては乗客にも気まずい思いをさせるんじゃないか。例えば、自分がなんらかの理由で乗車に時間がかかり、発車が遅れた場合、「遅れて申し訳ありません」とアナウンスがかかったらどうだろう。私は妙な罪悪感を感じる。そう感じる必要なんてないのだけれど、「自分のせいですみません」と言いたくなりそうだ。
ベビーカーや大きな荷物を抱えている人が乗りにくそうにしているのも、車内の「絶対遅れるな」という雰囲気と無関係ではないと思う。(実際、スーツケースを持っているだけでも乗り辛い)。

だから、そんなアナウンスはほんとはなくてもいいんだよなあ、思っている。

私は北海道の汽車に乗って、ぼんやり外を見ているのが好き。特に夕方の汽車のなかは静かで、どんどん暗くなっていく空を見るとはなしに見ているのが楽しい。陽が沈むすこし前から、あたりが真っ暗になるまでのわずかな時間が一番きれいだ。それを見ていると、汽車がゆっくりなのも気にならない。日没の景色のさみしさと静かな汽車は不思議に調和していると思う。

日本の電車は時間に正確ですごいとか、「海外」はもっとテキトーなんだから日本もそうしたら良いという意見はよく聞くけれど、その「日本」ってどこを指しているんだろう。こうした日本スゴイあるいは日本ヤバイという話で言われる「日本」は、だいぶ偏っていると思う。ほとんどの場合において「東京」とその近辺が基準だ。その基準に当てはまらないものって日本各地に実はたくさんあるんじゃないかな。

北海道の謝らない汽車もその一つだ。他の県にもあるかもしれないけど、北海道の良いところだと思う。




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