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「表舞台が好きで、そこにどうやって近づけるかと考えながら生きています」転職を経て、会社員&YouTuberになったぱるーかさんインタビュー(前編)

ーモーニング娘。を軸に、いかに自分が彼女らに近づくか、というのを幼い頃から日々考えて、人生の選択を続けてきました。

「受験以外の観点から進路を考える」ウェブマガジン「こんな生き方」。(ウェブマガジンの内容についてはこちらの記事をご覧ください→https://note.mu/harueigahon/n/n31b40c63fc96)

色んな人の生き方に注目し、インタビューを中心に掲載しています。今回は、現在C Channelに所属し、YouTuberとして活躍しているぱるーかさんにインタビューをしました。面白いエピソードが満載です。

アイドルになりたいという想いで体育祭で応援団長をやり優勝した高校時代から「モーニング娘。」について卒論を書いた大学時代、就職、転職、YouTuber発掘オーディションの合格まで。ぱるーかさんは「モーニング娘。」と「ミラーボール」への思いを軸に、どのように選択をしてきたのでしょうか。前編では、高校生活から大学卒業までのお話をお届けします(※インタビューは再構成済み)。


ー高校生活で印象に残っていることを教えてください

 高校で一番印象に残っているのは、体育祭で応援団長をやったことです。当時は赤白青の3組に分かれていました。コンサートとかをやるような大きな体育館を貸切って、開会式の後にパフォーマンスをする時間がありました。1階に競技用のフロア、2階に斜めに席があるライブスタジアムみたいな会場で、 ピンマイクをつけて踊りました。先生や保護者が良いと思ったチームに投票する「応援団賞」があり、そこで優勝できたことが良かったです。めっちゃ楽しかった!普通は、応援団長は男子の友達から学ランを借りるんだけど、私は男友達がいなさすぎて甚平を着て踊りました(笑)。それが史上初だったみたいで、その後もいないらしい!みんな普通に男友達がいて、借りて着るので。そういう暗黙の了解みたいなのがあったんだけど、それをぶち破ったと言うか(笑)。

なぜ優勝できたかというと、まずいかに盛り上げるかということを考えました。例年だと、スタート位置についてからパフォーマンスを始めるんだけど、私は全部をエンターテイメントにしたかったから、 移動するところからパフォーマンスを始めました。普通だったらどのチームも、定位置にぞろぞろ歩いて移動します。でも、そこに私は電車の音を入れて、ガタンゴトンみたいな感じで、各自の位置に移動する演出にしました。すると、まずそこで盛り上がりました。あと、他のチームは例年だと、高2が前、高1が2列目といった配列だったけど、私はみんなに楽しんでほしかったから、自分が一番後ろの列にいた時もありました。ダンスが得意な後輩がいたら、その子達を前に出すとか。「何年生だから前」という決まりはなく、ダンスが得意な子に「ここのパートはよろしくね」って振り付けを任せたところもあった。優勝できたのは、一人ひとりがやりがいを感じられるように考えていたからかもしれない。あとは、他の人が考えないような、移動すらもパフォーマンスにしてしまうところ。また、結構みんな流行りの曲をコピーするだけだけだったんだけど、客席から見てて楽しい方が良かったから、隊形移動を多くしました。人が交差したりハート形を作ったりとか、客席から見た時にどう見えるかを考えて作りました。ただ踊るだけじゃなくて、みんなでしゃがんで、リズムごとに立ち上がっていったり。

応援団長をやって、難しい振付をすればするほどお客さんは盛り上がらず、簡単な振付をすると盛り上がることが分かりました。例えば、リズムに合わせてただ バンと大の字に立つだけだと振付としては簡単で、ダンスをやっていない人でもできるけど、上から見た時に単純な動きだからとても綺麗。でも、難易度の高いダンスで有名なアーティストのダンスを踊った時はそんなには盛り上がらなかった。ダンスはとても難しいのに、ただ交差をするだけとか単純な振付の時に「おお」って なっていました。やっている方としてはただ歩いているだけとか、ただジャンプしただけなんだけど、客席から見ると違うんだっていうことをすごく学んだ。それが一番印象に残ってます。


大学に進学した理由

ー高校卒業後の進路はいつ頃から考え始めましたか。またどのような選択肢がありましたか。

 私は2、3歳の頃からモーニング娘。になりたかったから、 在学中からオーディションに応募していました(笑)。でも落ちて、高2の終わりくらいの時に「進路どうしよう」ってなって。中高一貫校のため、中3の時には指定校推薦の紙が壁に貼ってあったから、大体どういう大学から推薦があるかは分かってました。ずっと芸能界に行きたかったから、先生に「芸能界に行きたいんです」と言っていて、でも一方で大学に行かないといけないようなプレッシャーもあった。だからとりあえず大学には行くけれど、将来的には芸能界、みたいな感じでした。最初は指定校推薦を狙ってたけど、成績のいい子が推薦されたから受けられなくて、AO入試で受けました。指定校推薦の件で友達との仲が悪くなるって話は一般的にはよく聞くけど、私はそうならなかったな!だって、その子とは、中1から引退まで同じ部活で、クラスも中2から高3まで同じで、一緒に沢山笑ったり、人生相談もしてきたから、もしかしたら大学も一緒になれるかも!?って思って、実際私はワクワクしてました(笑)。AO入試で合格してる自分の姿が鮮明に想像できたから、そう思えたんだと思います!卒業して1年以上経つけど、その子とは今でも会うし、たくさん連絡するような仲です!
話は戻るけど、願書のところに「芸能界に行きたい」みたいなこと書いたな。そしたら先生に「大学はそんなことをしにいく場所じゃありません」と言われて、「えっ」て思った。だから「セルフプロデュースができるパフォーマーになりたいです」という風に、「芸能界」という言葉を出さないで書きました。先生の理解がないなと思いましたが、その先生のおかげでエッセイが書けたから、結果的には本当に本当に感謝していて、私の人生の恩人だと思っています!

 大学以外では専門学校とかも考えたけど、周りが基本的に大学にしか行かないから あんまりイメージがわかなくて、とりあえず大学みたいな感じでした。いろんな大学がある中で決め手は、専攻を入ってから選べる大学だったからです。やりたいことができそうな大学にしました。あと、勉強をしないで入学したかった(笑)その大学のAO 入試は学科試験がなかったからイケると思って(笑)。その大学のオープンキャンパスに行った時に、先輩方と Facebook を交換して、勉強の仕方や寮生活のことを聞いていました。

 私は昔ロンドンに住んでいたのですが、その時に習っていたピアノの先生がその大学の卒業生だと後から分かりました。大学を知る前から実は卒業生と濃く繋がっていた。だからもしかしたらあの時に、私はその大学に入る運命を授かったのかもしれないと思いました。そういうこともあってこの大学にしたんだな、気が付いたら導かれていたみたいな感じだと思います。

ー大学生活はどうでしたか?

寮生活と授業

 まず家から大学まで遠かったので、寮に入りました。そんなに乗り気ではなかったので、寮に入ってから一週間は"高校シック”でした! でも寮でのイベントが始まった瞬間、大学楽しいと思って、高校シックは終わりました。イベントではダンスリーダーをやりました。すごく楽しかった。

 授業は、最初は情報科学を取りました。専攻にしようと思っていたんだけど、授業の内容についていけず、その後は一度も取らなかった(笑)。でも、あとから専攻を変えられる仕組みがあったからよかったと思いました。 高校生の時のイメージで学部を決めて、例えば経営学とか文学部とか、固定のところに入ったら、その学部が合わなくても変えられない。専攻を変えられる大学で良かったです。

1年生の時は英語の授業もあり大変だったけれど、クラスの仲が良かったです。一度、クラス全員で空きコマに勉強のため集まったことがあるのですが、ちゃんと全員が来たのでびっくりしました。その時に 良いクラスだなと思いました。今でも仲が良く、この前の2月にも集まりました。

3年生の時はオルガンの授業も取っていました。教会にあるパイプオルガンに梯子で登ったことが楽しかったです!上から見た教会の景色が普段見ている側と逆だから「おー!」となりました。

英語開講の授業を30単位ぐらい取りました。英語ができなかったから、日本にいる状態でどうやって英語に触れるかと考えて、英語開講の授業を取りまくろうと思ったんです。確か9単位で卒業要件は満たしているのですが、30単位取りました。卒論も英語で書きました。

あとドイツに短期留学に行きました。卒業の単位が足りないと思って出稼ぎに(笑)。ドイツの大学ではクラブミュージックの授業があり、人生で初めてクラブに行ってフィールドワーク(※筆者注:研究していることがらについて、実際に現地へ行き観察をしたり、インタビューをしたりして調査を行うこと)をしました。クラブミュージックのような、一見アカデミックとはかけ離れた分野でも授業があるのは外国ならではだと思いました。

卒論は、モーニング娘。のヒットの変遷について書きました。よく「そのテーマで大丈夫なの!?」と周りから言われましたが、全然大丈夫で、担当教授にもオッケーを出されました。全く不思議がらずに「あなたはそのテーマね」、という感じで。私が通っていた大学では好きなことを学問や仕事にすることが普通でした。好きなことを追及するのを尊重してくれるのが良いなと思いました。自分が好きなアイドルについて英語で残せたのは良かったなと思います。

大学で出会った人々

 高校生の時から入りたいと思っていたダンスサークルにも入ったけれど、夏のイベントと学祭に出ただけで、そんなに参加はしませんでした(笑)。でも、高校生の時に学祭のステージやオープンキャンパスで見かけて、私が一方的に知っていた先輩達に、自分を認識してもらえて、一緒に踊れるような関係になれたのはすごく嬉しかったです。アメリカンレストランで踊るウェイトレスのアルバイトを始めてからは、そちらに専念するために退部しましたが、学内ですれ違えば変わらず絡んでくれたり、お店に来てくれた先輩方もいて、サークルでは良い人達に出会えたなと思いました。

オープンキャンパスのアルバイトで 出会った何人かが私のことを覚えてくれていて、入学した後に再会できたことが嬉しかったです。 また、外部で大学フェアがあってイベントスタッフとして参加したとき、昼休みに自分の大学のブースに遊びに行って喋っていたのですが、そこで会った子がオープンキャンパスに来て、私のことを覚えてくれていたことが嬉しかったです。

あと楽しかったのはオープンハウス。学長さんのような偉い人ともツーショットを撮りました(笑)。アドミッションズセンターの人にも入学する前から覚えられていました。高校生の時、大学に遊びに来た際に会った方と入学後再会した際、「高校生の時来てましたよね」と言ってくれて、「覚えてるんだ」って思いました。結構小さい大学だから一人一人を覚えている、お世話をしてくれる、そういうところがいいと思いました。 人と違うところを尊重してくれるところが良かったです。

ー大学で大変だったことはありますか。

 英語の授業が難しすぎました。教科書も何て書いてあるかわからなくて。一文につきわからない単語が3個ぐらいあり、さらに辞書を見ると一つの単語の中に意味が5個ぐらいあって、分からなくて困りました。エッセイのフォーマットの説明も英語でされるので、わけがわかりませんでした。日本語でもよくわからないのに、それを英語で説明されて...…。 あと、先生の字が汚いと筆記体が読めない(笑)。また、他の大学の人と比べて課題は多かったなと思います。でもみんな優しいから教えてくれるし、先生も教えてくれるのでやっていけました。

あと、学芸員課程を取っていたのですが、実習は大変でした。私は細かい作業を面倒くさいと思うタイプなので、芸術品を点検したりきれいにしたりする作業は大変でした。それが1日8時間、一週間ぐらい続いて結構しんどかったです。

寮生活では、部屋がキッチンから遠かったためちょっと面倒くさかったです(笑)使いたい時に洗濯機が空いていないこともあるし。シャワーも入りたい時に空いていない。そういうことはありました。でも、寮生活は好きでした。
あとは大学から駅までが遠く、スーパーが近くにないことが大変。そもそも、学校から出るまで15分近く歩かないといけないですし。

ー大学卒業後はどのような進路に進みたいと考えていましたか。当時考えていたことと実際に卒業してからどうだったか教えてください

 大学3年生の夏に、あるアイドルグループのオーディションを受けたのですが、最終オーディションで落ちてしまいました。それで芸能界は無理だと思い、芸能界に近いテレビ業界を目指しました。あらゆるネットワークを使って、アナウンサーやテレビ局に勤務している人にたくさん会いました。テレビ関係の仕事を受けたのですが落ちて、その後はベンチャー企業を中心に見ていました。広告、自己投資産業、 PR、IT など色々なところを見て30社ぐらい受けました。結果1社から内定を頂き、卒業年度の4月から9月まで働きました。この春からは別の業界でまた正社員をします。
                        (続く)


転職活動やYouTuberになるまでのお話は後編で!

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