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ハンバーグ記念日

「今日はハンバーグよ」の声が聞きたくて、幼き日の僕は、昼ご飯の時にもう「今日の晩御飯、何?」と聞いていたんじゃないだろうか。もちろん、ハンバーグ宣告がキッチンの母からされるのは、多くて1週間に1度か、ひと月に1度かそんなものだったのではないかな。

ハンバーグは作れるようになったからが、さらに美味しい食べ物だ。ハンバーグ、僕らにとってはあんなに特別な食べ物だったのに、僕はもう、それを自分の手で生み出すことができるようになってしまった。ああ、僕はもう、いつでも自分でハンバーグを食べることができるようになったのだな、と思った時、僕は大人の階段を振り返る。

僕が自分でハンバーグを作ったのは、はじめての一人暮らしを始めた大学二年生の冬でした。高校生の頃にフランス料理屋さんのキッチンとサービスでアルバイトをしていたから料理をすること自体は好きだし、それなりに料理の心得があった。その上シェアハウスに住んでいたから、調理器具はたくさんあった。

広いキッチンを前に、さあ何を作ろうと考え付いたのがハンバーグ。自分で自分の好きな献立を決められるなら、作ろうハンバーグを、と考えたのだ。

今までは母によってハンバーグが食卓に並ぶことを告げられていたが、僕は初めて、ハンバーグ宣告を己が身をもって告げたのである。静かな革命である。
俵万智はサラダ記念日(実際はサラダでは無かったんですよね。なんだったっけな)を設けたが、その日は僕のハンバーグ記念日だった。いいねといってくれるのは、他でもない自分だけれど。

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さあ、献立が決まったならば、買い物に行こう。自転車をスーパーまで走らせます。ハンバーグの食材は割とシンプルで、あんなに丸くて美味しいのに信じられない。タネはひき肉と玉ねぎと卵、あとは丸くするためのパン粉と牛乳、そして調味料があれば、それなりのハンバーグが出来上がる。はず。

キッチンに立つ。フードプロセッサーがあったので、玉ねぎをブーンと回す。安かったので長ネギもついでにブーンする。大体は玉ねぎだけだが、僕は長ネギを入れることにしました。そういうレシピがあってもいいなと思ったから。多分問題ない。根拠は…玉ねぎと長ネギは、容姿は違えど、名前が似てるから。ひき肉と卵をボールに落とし、塩を振りこねる。この時には手ではなくヘラを使うといい。体温で温かくなりすぎてしまわないように。しかしこれが結構疲れる。粘り気がやっと出てきた。前腕はじんわりとした疲労感を抱えている。結構力作業だけど、ハンバーグって何となく力属性って感じですから仕方がない。

さてここまできたら、成形をします。ハンバーグの形にする。大きくしすぎると火が通らないから、適度なサイズにしよう。一度欲張ってジャンボサイズにしようとしたら結構困ったことになりました。途中で半分に割って肉汁を代償にしないように、まだ理性を保っているべきです。

手のひらに納まるサイズで、パンパン、と手のひらから手のひらから投げて、空気を抜きます。ここがですね、ハンバーグの「あーハンバーグ作ってんなー」って感じでマックスの場面ですね。ドラマでハンバーグつくるシーンとか大体手のひらでハンバーグパンパンしてませんかね。いや、そうでも
ねえですかね。

バットの上に並んだハンバーグ候補生を眺める。大抵最後の方が大きくなったり小さくなったりしますがご愛嬌。お腹が減っているので、一番大きいやつを今晩のご飯にしようかな。あとは後日ロコモコ丼とかにして食べよう。なんてことを火を入れる前に考える。フライパンも温まったので、フライパンにハンバーグを並べていく。じゅわあと音を立てて、ハンバーグからにじむ脂がぱちぱちと跳ねる。しばらくたって片面の火がとおったなら、ひっくり返す。こんがりと美味しそうなキツネ色が現れる。ハンバーグです。あのハンバーグを僕は作っている。という実感が湧く瞬間です。

芯まで火を入れるために、蓋をして蒸し焼きにします。ふくふくとハンバーグが膨らんでいくのを感じながら待つ。見えないけど、蓋をされたその先のハンバーグのことを考える。想像力は何事においても、生きるにおいてそれを豊かにするために大事だと思いますが、ハンバーグ作りにおいてこそ、発揮されるべきである。肉汁を感じろ。
ここだ、、!というタイミングで蓋をあける。(実際は様子見を何度かしている)ふくふくの肉の塊がお目見えする。美味しそうである。鉄串かなんかを指して、温度を確認して完成です。今晩のご飯はハンバーグです。

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味の記憶というものは、とても深く脳と記憶に刻まれるものである。生まれた故郷の景色を見たときにはやはり感慨深い気持ちになるが、懐かしい味を口にしたときにも、強い懐かしさを感じるものである。幼い頃の繊細な舌の衝撃を脳は覚えているものだ。


さて、ハンバーグを口にすると、当たり前だけど、全然懐かしくない。美味しくないわけではない。でも母の作ったハンバーグはこんなものではなかったし、やっぱり母のハンバーグの方が美味しかったと思う。

景色が美化されるのと同じように、味も時間を通じて美化されるものなのかもしれない。近く食べに帰ろう。そしてこのハンバーグもいつかの日か誰かの懐かしい味になるのなら、もっと上手に作れるように頑張ろうかなあ。


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