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  • 日常と理想を繋ぐものと、その方法論

    2018年~2020年頃までの哲学的成果をまとめたもの。

最近の記事

4. ウィトゲンシュタインの記憶懐疑論と、「真実」の不変不滅

序  この文章は、研究計画書としていくつかの大学に提出されたものに、暫定的な解答を付したものだ。その主題は「どのようにして哲学は語られうるのか?」というものだった。だが、かつての私は、この問題についてまともに語るための方法に見当がついておらず、誰の理解も得ることができなかった。  日常言語で哲学をするというのは、古典的な言葉で哲学をするのと同程度に難しい。古典的な言葉を適切に使うのと同様に、古典的な言葉をどのような日常言語に置換したらいいのか、その都度考えなければならない

    • 2. ウィトゲンシュタインの「沈黙」と「哲学的問題の解決」との関係

      序  以下にあるのは、かつてある大学に提出された論文の解題だ。その論文は「ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』において「沈黙」と「哲学的問題の解決」はどのような関係を持っているのか?」という問題を扱っていた。これは構想段階で評価できないとする旨が伝えられたため、後の機会に改めて提出されたが、やはり評価できないとする旨だった。後学のためにここにその解題を公開しておくことにした。  『論理哲学論考』において、ウィトゲンシュタインは哲学的問題が「その本質において最終的に解決さ

      • 3. ウィトゲンシュタインの方法

        序  以下にあるのは、私が数年前に大学に提出した論文の解題だ。その論文は「20世紀前半の哲学者、ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインは、青年期と老年期の間になぜその文体を変えたのか?」という問題を扱っていた。後学のため、ここに公開しておく。元の論文は読みにくく、誰の理解も得られなかったため、もう誰にも見せないことにした。  そのメモの膨大さに比べて、ウィトゲンシュタインが出版を意図して書いた文章は2つだけだった。『論理哲学論考』と『哲学探究』だ。これら2つの著作の文体には

        • 1. 哲学の擁護

          序  哲学には取り組まれるきっかけがなかった。というのも、哲学は一見して当たり前のことを扱っていたからだ。哲学が扱っているものは、「世界」、「私」、「真実」等の、説明するまでもないようなもので、普通の会話の中には出てこないようなものだったのだ。そういうわけで、私は哲学者としてまず哲学それ自体を弁護しなければならなかったのだ。  ところで、この世界のあらゆるものは自然法則に従う運動の過程に組み込まれていた。そして、学問もまたこうした過程を免れてはいなかった。学問はすでに何

        4. ウィトゲンシュタインの記憶懐疑論と、「真実」の不変不滅

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