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4. ウィトゲンシュタインの記憶懐疑論と、「真実」の不変不滅


 この文章は、研究計画書としていくつかの大学に提出されたものに、暫定的な解答を付したものだ。その主題は「どのようにして哲学は語られうるのか?」というものだった。だが、かつての私は、この問題についてまともに語るための方法に見当がついておらず、誰の理解も得ることができなかった。
 日常言語で哲学をするというのは、古典的な言葉で哲学をするのと同程度に難しい。古典的な言葉を適切に使うのと同様に、古典的な言葉をどのような日常言語に置換したらいいのか、その都度考えなければならないからだ。

1. 私の問題提起

(A)
 私にはずっと気になっていた問題があった。「万物流転の問題」、すなわち、この世界に不変不滅のものはあるのか否かという問題だ。そもそもはるか昔の哲学者たちはこの問題に向き合うところからその思索を始めた。それに付随して存在や認識の問題が語られてきた。ところが、存在や認識に関係する理論があまりにも壮大すぎたために、その端緒となっていたはずのこの問題は誰からも忘れ去られてしまったのだ。
 何か漠然とした空虚感のようなもの、侘しさがいつも私を悩ませてきた。私にはあらゆるものが現れては消え去っていくかのように思われていたからだ。ずっとそこにあると思われるようなものも、いつも消失と現象をくりかえしているかのようだった。何より、私自身もまた、一瞬一瞬、消失と現象を繰り返しているかのようだった。だから、私には自らがずっと生まれ続けているとも、ずっと死に続けているとも思われていたし、いつも自らの生と死に向き合い続けているようにも思われていたのだ。
 そんな世界に生きていたから、私はいつも侘しさに襲われ、あらゆるものへの関心を失くしていた。そこで、私は自らが思い描いた理想的な自己像への尊敬から、それに近づこうと自らに義務を課し、それに従うことで何とか生きていた。これは私がいついかなるときも良く生きられるようにするための実践だった。
 ところが、その一方で、私は頻繁にある不思議な感情に包まれていた。それは世界が存在するということへの驚きのような感情、いわば「あわれ」と呼びたくなるような感情だった。この感情は私にこの世界への関心を与え、侘しさをも払いのけてくれた。この感情こそが、私が義務に従い、良い人生を送ることの動機になっていたのだ。また、この感情を見失えば、この世界についての関心を再びなくしてしまい、侘しさに包まれたままになってしまうだろう。だから、私は自分と自分に似たように考える人々のために、忘れたとしても、再び思い出せるように、これについての覚書を書いておくことにした。
(B)
 さて、私が自分の世界を書きつけてみようとするたびに、あることがどうしても気になって、ずっと書き始めることができずにいた。それは「私はそもそもいったいなぜ、万物流転の問題を抱くに至ったのか?」ということだった。というのも、万物流転の問題は日常で抱かれるはずのない問題だったからだ。読書や勉強も伝達や教示の一種と考えれば、人々は日常のやりとりの中で言葉の使い方を学んだはずだった。そして、世界全体に関するあれこれは、私にとって当たり前のものであって、日常の中にあえて語られる場所を持たないはずだったのだ。
 このことは言葉の意味についての私の意見と深く関係していた。言葉の意味というのは、その言葉が現れる事柄のことだ。この「言葉の意味」という言葉の意味は、「意味」という言葉の意味から明らかだった。人々を観察してみると、ある言葉の意味を尋ねられたとき、大抵、その言葉の会話の中での使われ方を答えていた。だから、「言葉の意味とはその使われ方である」とも言えた。だが、言葉の意味として、その言葉が叙述しているものを答えているような場合も確かにあった。「言葉の意味」という言葉がこのように二つの意味を持っているということは、長年にわたって私を混乱させていた。だが、私はやがて「あらゆる言葉の意味は会話の中での使われ方でもあり、また、それが叙述しているものでもある」という結論に至り、これらの二通りの意味は結びついていると考えるようになった。とはいえ、これはまた別の話だ。
 そういうわけで、万物流転の問題を扱うためには、まずはその問題を抱くに至るきっかけを探さなければならなかった。

2. この世界

(A’)
 情緒が不安定だった私を助けてくれたのは、過去の人々、とりわけ哲学者だった。
 私たちの生きた時代に最も影響を与えていた哲学者を一人だけ挙げるとすれば、それはイマヌエル・カントだろうと、私は思っていた。浅田彰はこのことを当意即妙に表現していた。彼は『構造と力』の中で、カント以来の哲学史を説明した後、こう結論付けていた。「こうした理論的進展にもかかわらず、基本的な構図はカントのそれとさして変わっていない」。「構造主義が象徴秩序に注意を集中し、その外部について語るのを拒否するとき、そこに観念論の現代的形態をみてとることができる」。ここで言われている「カントのそれ」というのを、彼は次のように説明していた。「カントは、主観に対して現象する対象はすでに人間主観にア・プリオリに備わった形式によって構成されたものであり、そのような構成に先立つ『物自体』について語ることはできない、と論じた」。ただ、現代の哲学者に特有のこのような言い回しは、私たちの日常的な言い回しから乖離した、古典的な言葉を多用していて、とてもわかりづらかった。だから、私はこれを日常的な言い回しで語りなおさなければならなかった。
 哲学者のカントは、人々の能力、「純粋理性」が、「感性」、「知性」、「理性」の三つに分割されると考えた。人々はまず、純粋理性の思弁的な側面、「思弁理性」を用いている。感性によって現象を生み出し、それを知性に渡して概念を生み出し、更にそれを理性に渡して観念を生み出すのだ。ところが、カントは、観念は必ず2項対立に陥り、思弁理性はその対立を打破できないと考えた。だが、人々は自然に、また自由に、あらゆるもの、とりわけ自分の、最も合目的的な姿、理想像を構想する力、「判断力」をも持っている。このとき、自分が有限な存在者であることを知っている人々は、自分の崇高な理想像に対する尊敬の感情を抱き、その有限性を打破したいという思いに駆られる。そこで、人々は次に、純粋理性の実践的な側面、「実践理性」へと導かれる。理性によって命法を生み出し、それを知性に渡して行動原理を生み出し、更にそれを感性に渡して行為を生み出す。行為によって人々はその有限性を打破し、自分の理想像へと近づいていく。思弁理性、判断力、実践理性を経て思弁理性へと戻ってくるこの円環が人生を形成しているとカントは考えたのだ。
 このカントの哲学は「超越論的観念論」とも呼ばれ、「ドイツ観念論」という潮流と多くの継承者を生んだ。更に、カント以降の哲学自体が「ポストカント哲学」とも呼ばれ、なお絶大な影響力を持っていた。これらドイツ観念論への反応は2つの軸を境に、それぞれに分かれていった。一つは本質主義と実存主義という軸、もう一つは現象学と分析哲学という軸だった。
 そのドイツ観念論の大成者とされていたのがゲオルグ・ヘーゲルだった。彼は、カントが人間の理想像を示した点に着目し、人々には本来あるべき姿があると考えた。彼はカントの示した円環に着目し、世界を精神、ないし「絶対者」の展開として捉えた。初めに意識があり、意識はその限界を見極めて自己意識となり、自己意識は自由を求めて絶対者へと至る。このような、意識が自分と自分でないものを区別し、その対立を実践によって止め、自分を高みに引き揚げることは「止揚」と呼ばれた。この止揚を繰り返すことによって、人々はやがて自分を絶対者として完成させようとしているとヘーゲルは考えたのだ。ところが、ヘーゲルは、世界が自分の精神の展開であるのに、自分と自分でないものの両方を含んでいるということを訝しんだ。そこで、自分というのは世界という全体の一部で、世界全体がその完成形、絶対者に向かって動いていると考えた。
 カントやヘーゲルと、彼らの後の人々、とりわけハイデガーから、私が多くのことを学んだのは間違いない。

3. ウィトゲンシュタインの問題提起

(B')
 ところが、その後、私に大きな衝撃を与えたのは、ウィトゲンシュタインの意見だった。ウィトゲンシュタインの最後の思索は記述の可能性を問うものだった。そして、彼はそれについて「不可能」と結論付けたのだ。
 ウィトゲンシュタインは言葉が法則に従うことによって意味を持っていると主張した。ところで、法則というのは本来、繰り返されるものだ。すると、繰り返されないようなもの、ただ一度だけ現れるようなものは意味を持たないということになる。そして、あらゆるものがただ一つの世界に属している以上、ただ一度だけ起こる事柄として書かれたもの、「記述」は意味を持たないということになる。
 確かに、一見して記述と思われるものは、報告や伝達という日常の会話の中にも現れていた。人々はこれらの会話と単なる記述を混同しているかのように思われていた。いわば私たちは反射的に言葉を発しているだけであって、ただ単に何かを記述するということをしてはいないように思われていたのだ。ウィトゲンシュタインもまた、幾度となくこのことを主張していた。とはいえ、人々はよく、心の中で何の気なしに言葉をつぶやくことがある。「おいしい!」、「なんていい天気なんだろう!」、等々。あらゆる言葉が日常の会話に由来しているとするならば、ウィトゲンシュタインはこれらの言葉の由来を言い当てなければならなかった。そのために彼が着目したのは、「アスペクト転換」という心の働きだった。
 アスペクト転換というのは、ものの見方が変わるという心の働きのことだった。ウィトゲンシュタインは有名な「ウサギとアヒルの騙し絵」を用いてこの出来事を説明していた。この絵はある観点からはウサギに見え、また別の観点からはアヒルにも見えた。そして、ウサギからアヒルへと見え方が転換するのを、アスペクト転換の一例として説明していた。一見して、これであらゆる言葉が日常の会話に由来していることが説明されたかのように思えた。
 ところが、ウィトゲンシュタインの著作を読んだとき、私には最後まで納得のいかない点があった。それは、彼の意見に従えば、当たり前の事柄について表現することができなくなってしまうからだ。
 当たり前の事柄はあえて会話される必要がない以上、記述に属している。ところが、当たり前の事柄が不変である以上、それについての心の働きは起こり得ない。当たり前の事柄は、そもそも心の働きによって表現できるものではなく、思惑の延長ではなかったのだ。とはいえ、これらの言葉は実際に何かを意味している。それはどのようにして可能になっているのか、私にはそれがわからなかった。

4. 私の方法

(A)
 私はこれらの意味不明な言葉の意味を明らかにしようと試みた。これらの言葉が有意味であるということは、どこかで人々がそれらを使用しているはずだった。だが、どこで使用しているのかは曖昧なままだった。
 ある言葉が使われているような事実を探し出すというこの行動は、思い出すという行動によく似ていると思った。この類似に気が付いたとき、ものに触れると、それに関連した記憶が私の心に浮かぶということに気が付いた。例えば、ペンを見ると、それに関連する多くの記憶が浮かび、その中で「ペン」という音も浮かんでいた。これに基づいて、私はペンを「ペン」と記述することができた。当たり前の事柄について記述している言葉は、会話の中に現れるような言葉ではなく、記憶の中に現れるような音だったのだ。
 この方法は私の哲学の方法となるかのように思われた。何か物事が現れたとき、それに伴う記憶を収集し、その記憶の音を聞き、その音を記録した。これによって、世界を記述することが可能になったように思えた。
(B)
 ところが、しばらくして、私はある疑問に突き当たった。それは「記憶はどれほど信頼できるのか?」というものだった。日常で特定の記憶の正しさを疑う瞬間は確かにあった。だが、記憶全体に対する懐疑は日常で抱かれるようなものではありえなかった。というのも、記憶全体には絶対に疑われえないもの、世界像が含まれていたからだ。世界像は思考の土台のような働きをしている。例えば、「世界がある」、「私がいる」、等々、これらを疑いながら何かを考えることなどできはしないだろう。そして、実際、あらゆる記憶について懐疑し続けるような人は、思考そのものができなくなってしまうだろう。
 ここで私はウィトゲンシュタインのように記憶全体についての疑問は無意味であると考えてみた。それは日常のどこにも現れない疑問であるかのように思われていたからだ。だが、そうすると、記憶全体の真偽に疑問を挟む余地はないということになり、それ以上の探究ができなくなってしまう。すると、それは夢や幻と大差ないものになってしまうだろう。実際、ウィトゲンシュタインは「それを一抹の夢と呼べ!」と、私たちに言ったのだった。
 ところが、私が予感していたのは、そんなことはあり得ないということだった。夢や幻と記憶との間には、それらをはっきりと分ける基準が確かにあったのだ。というのも、私はどこかで確かに記憶全体を疑ったことがあったし、記憶全体が虚偽であるわけがないと確かめたことがあったからだ。そのときというのが、まさにあの不思議な感情、「あわれ」を感じる瞬間だった。
 そういうわけで、私の最初の主題は「記憶そのもの」になった。記憶の正しさが確認できるようになって初めて私の方法が使えるようになるからだ。この主題は疑問として「私の記憶が全体として語られるのは、一体いつなのか?」とも表現できた。また、もしもこの方法が使えれば、私は私の世界を確かに表現することができるようになる。そのとき、それは時間的な差異のない「記述」ではなく、物語のように時間的な差異を含む「叙述」になるだろうと、私は思った。

 もしも記憶そのものの正誤を判定できるなら、人々はこの世界について語ることができるということになる。そして、その言葉の意味が変わらない以上、その言葉が叙述しているもの、不変不滅のものが存在するということになる。そのようなものこそが「事実」という名前にふさわしい。
 さて、ここからは単なる比喩を用いた寓話になるかもしれない。だが、簡単のために、それをぜひとも書き留めておきたい。すなわち、すべての根源にあるものは「事実」で、これが虚偽と対比されるとき、「真実」と呼ばれている。
 人々は記憶を通して歴史というこの事実の世界を見ることができる。この歴史という場所は、私たちがこれまで存在し続けてきたところであり、これからも永遠に存在し続けるようなところなのだ。ただし、その世界をはっきりと見ることができるのは、研究を通して法則を見出し、その法則を用いて、あらゆるものの記憶という痕跡から思い込みを取り除き、事実を見出すことのできる者だけではある。
 また、私はずっとこのように予感してきた。「魂」という古典的な言葉は、私の生きているこの時代では、私が生きているという事実、すなわち人生全体を意味している。そして、あらゆる事実と同様に、私の人生もまた、未来永劫にわたって変りも消えもしない。
 賢明な者はこれをよくわかっているから、悪に手を染めず、善いことだけをし、納得のいく人生を送ろうと精一杯の努力をしている。というのも、私たちの人生のあらゆる瞬間は、歴史の一部として永遠にそこに残り続けることになるのだろうから。


エピグラフ
「--, and I half-closed my eyes and imagined this was the spot
where everything I'd ever lost since my childhood had washed up,
 and I was now standing here in front of it, and if I waited long enough,
a tiny figure would appear on the horizon acrooss the field, -- --」
(Kazuo Ishiguro)

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