私が本気でほしいもの

補償じゃなくて、仕事だなぁ。いや、もちろん補償もほしいですよ、でもたとえ補償がたくさんあっても、この先何か月も演劇ができなかったら苦しい。それに気づく出来事があった。

『12人のやさしい日本人』という東京サンシャインボーイズの代表作を、たいへん豪華なキャストで読み合わせしたものが生配信された。演劇関係者は視聴した人も多いだろう。一流の俳優による読み合わせはクオリティが高く、非常に見ごたえがあった。同時に、これは大変なことになったとも思ってしまった。

先日の『未開の議場 オンライン版』もそうだけど、ZoomでやってYoutubeで配信する演劇というものが、十分に視聴者を楽しませてくれるという実例が出てきてしまった。「オンラインでの上演には限界がある」とか、「劇場での上演とは比べ物にならない」とか、そりゃそうだと思う一方で、純粋に面白かったと感じたし、価値ある時間を提供されたと思っている。オンライン上演が成立しやすい本であるかとか、俳優の力量だとか、いつの日か劇場で観られる日まで、という感覚だとか、いろいろな条件はあるとは思う。けれど、これはこれで楽しめるもので、俳優の表現の場になりうるということが分かった今、俳優と演出家と脚本家は工夫次第で仕事になっていく可能性がある。

けれど、そこには今までのスタッフはいない。

劇場という空間で活躍してきた舞台監督、照明、音響、美術、映像、衣裳、ヘアメイク、大道具、小道具、カメラマンなどのちからを借りなくても、オンライン演劇は成立してしまう。制作はもしかしたら仕事があるかもしれないけど、劇場公演とは違うスキルと発想が求められるだろう。もちろん、劇場そのものもそこには関わらない。

だからといって無理やり仕事を生み出すための演出をつけてほしいとか、スタッフも混ぜてくれとか、そういうことではないんだ。ただ、この事実を考えたときに、私は「一緒に仕事がしたいなぁ」と思ってしまった。それも、劇場公演をやるための仕事がしたいんだ、と思った。そのために働くひとたちと、また協働したいんだ。

休業には補償をセットで、という意見を否定するつもりはないんだけど、どこか乗り切れない気持ちがくすぶっていて、その正体が分かった気がする。私には、お金がもらえたら喜んでお休みする、という意見に、すんなり賛同しきれない気持ち、つまり、演劇制作の仕事がしたくて、演劇を作っているひとたちと一緒に公演を作りたくて、そのための活動がしたい、という気持ちがすごく強く存在している。今現在、収入がないから給付金はほしいけど、本当はお金よりもずっと、「興行ができる世の中」がほしい。どうなったら公演ができるようになるのか、そのために私にできることがあるのか、それが知りたいんだ。

このまま公演ができない状況が続いたら、劇場もスタッフも規模を縮小したり大切な機材を手放したり、最悪の場合は廃業したりが増えていくだろう。韓国の劇場事情やアメリカの映画館再開の話を耳にして、日本はどうなっていくのかな、と気をもんでいる。夏以降の公演はやるつもりで動いているけど、きっと今までと同じ条件ではできないだろう。ソーシャルディスタンスやマスク着用、検温、手洗い場の確保、消毒液の調達などなど、ちょっと考えただけでもコロナ前とは違う新しい準備は容易に予想できる。でも、今から準備を始めたところで公演ができなかったらペイできないし、かといってぎりぎりまでひっぱったら資材調達は間に合わないかもしれない。粛々と公演準備をしていこう、とは思ってるけど、心の中では結構な右往左往が続いている。

演劇に限らず休業中のどこの業界についても、休業中の補償はもちろんしてほしいけれども、一日も早く活動ができる世の中になってほしい。祈るような気持ち、というか、心の底から祈っている。

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