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「テレコム2の新人時代にお世話になった先輩たちに会いました!」(@居酒屋しゅん・赤坂)

「テレコム2の新人時代にお世話になった先輩たちに会いました!」(@居酒屋しゅん・赤坂)

 
私が、大学を卒業してTVCMの業界に入ったのが1985年4月。テレコムジャパン(現在は番組制作スタッフが別会社を創設して「テレコムスタッフ」として営業中)という会社に入社しました!1か月の社内研修を経て、どこに行きたいか?希望を聴かれ、当時は様々な部署があったテレコムジャパンの中で「テレコム2」に行きたいと希望を出しました!同期の森本と二人で5月から働き始めました!
理由はテレコムジャパンのプロデューサーの人たちの雰囲気がかたぎやないんとちゃうか?という雰囲気を醸し出していたこと。前歯がない先輩がそこに煙草をはさんで吸っておられたり。なんだか独特の雰囲気があり、私は果たしてここでやっていけるのだろうか?と不安に駆られました!
テレコム2に研修時に見学に行った時にはそれとは逆に会議室の本棚にたくさん本が置かれており、武部さんや市岡さんのお話がとても知的な雰囲気だったように思いました!
テレコム2は電通・博報堂対応で出来た部署でテレコムジャパンは当時の第一企画(のちに旭通信社と合併して現在はADK)をメインに仕事をする部署でした。ちょうどエリマキとかげのTVCMがテレコムジャパンの制作で、その翌年に私を含めて16名の同期が入社しました!

そしてテレコム2で最初にアシスタントについた先輩が村井敏雄さんでした!村井さんは私の7つ上で現在67歳!いまも現役のCMプロデューサーをされています。
2015年のACCでフィルムクラフトのプロデューサー賞を受賞されました!TUGBOATの岡康道さんと当時は博報堂におられた黒須美彦さん(のち「シンガタ」に移籍されます)の仕事を同時に引き受けている唯一のプロデューサーとして私たちの業界では有名です!そんな方の下に居たとはつゆ知らず、大阪からやってきた世間知らずの私は、いろんなことを教えていただき、一緒にいろんなところでご飯を食べて、お酒を飲みました!テレコム2は赤坂五丁目交番の向かいにありました!現在はLIVEMAX HOTELとなっています。
そんな村井さんが山下は映画が好きだって言っていたから映画予告編の仕事を一緒にやろうと声をかけてくれました。
松竹の「新・喜びも悲しみも幾年月」(1986年6月28日公開)という作品です!今から37年前のお話でした。
そのディレクターをされたのが宮崎祐治さんでした。
宮﨑さんはイラストが上手で現在もキネマ旬報などにイラストを描かれていたり、池袋の新・文芸座に行くと宮崎さんのイラストがたくさん描かれた壁を見ることができます!
フィルムセンターでの展覧会のWEBサイト記事をここに記します!

そして、この仕事を出していただいたのが元博報堂で、映画評論家でもある尾形敏朗さんでした!尾形さんは高校時代からものすごい数の映画を見ておられ、愛媛から東京の大学に入られ、映画を見る本数が爆発していかれました!現在もキネマ旬報の年間ベスト10の選者をされています。博報堂でクリエイティブの仕事をされながら映画評論を執筆されるという二足のわらじを履いておられました。尾形さんが黒澤明監督が映画で女性をどのように描いたのか?という「巨人と少年」の出版記念パーティに呼んでいただいたのは今も懐かしい記憶として覚えています。村井さんたちが世話役をされていたのではないでしょうか?映画監督でありCMディレクターだった市川準さんがお祝いの挨拶をされていたことを思い出します。
その「巨人と少年」を尾形さんは「完本」として新たに出版されました!
追加で100頁ほど追記され、標記を「僕」を「私」に変えたとおっしゃっていたのはとても共感できました!その本のサイトは以下です!

 
テレコム2を贔屓にしていただいた博報堂の高橋千尋さんと言う方も当時は良く会社に来られていました。高橋さんも尾形さんと同じく博報堂で制作職をされながら映画の本を出されていました。当時テレコム2時代に出されたのが「ジョンフォード伝」の翻訳でした。

これもとても印象に残っています。
そんな3人の下で、「僕、大学時代、けっこう映画を見てました!」と言ったのが運の尽きでした!
大阪の大学に入ってからアルバイトでためたお金を持って名画座に通いだしました!毎年大体100本くらいの映画を見て4年で約400本。そんなレベルでいい気になっていたことをこの3人との仕事で思い知らされました!
映画予告編の作業のあと、雑談をしたりするのですが、尾形さん、宮崎さん、村井さんが話している映画の話にまったくついていけず知識もなく、聞けば聞くほど自分のふがいなさを実感したのでした。
そんな経験もあり、まだレンタルビデオ屋さんが出来る前に土日が休みの日は高田馬場や大井町や目黒の名画座、銀座の並木座、池袋の文芸座などでいろんな映画を見るようになりました。

今回、私が会社を辞めて大阪に帰ることになったので、久しぶりに3人のすごい先輩に会うことが出来ました!しかもその集まる場所が赤坂五丁目のある居酒屋「しゅん」!
テレコムの面々が当時、仕事終わりにここに来てみんなでお酒を飲みました!私も残業後に来いと言われ晩御飯を食べに行ったものです!
和田協子さんという女性のPMの先輩が酔っぱらうと座布団回しをされていたのを今でも良く覚えています。

3人の先輩と久しぶりにお会いしてお話すると、37年のブランクはふっとび普通の会話でお話が出来るんだと驚きました。
61歳になっても一番年下の新人のようで、黒霧島のお湯割りを先輩に作らせていただきました。
18時~22時過ぎまでがあっという間に過ぎて行きました!
村井さんからはDVDを尾形さんからはその「完本 巨人と少年 黒澤明の女性たち」のサイン本を宮崎さんは私の似顔絵イラストを描いてくれました!

37年経ってもこうしてお話出来ることに本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

左から 村井さん 尾形さん 宮崎さん と私


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