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self introduction

はじめまして。初めてnoteに記します。
『自分に還るひとときを』をコンセプトに
『Still』という心のケアの場を創り、活動しております。
Harukaです。

今回は私の自己紹介とStillが生まれたきっかけや経緯を綴っていきたいと思います。


About me

改めまして、はじめまして。Harukaです。
私は今、24歳で社会人3年目になります。
生まれは兵庫県、2歳から小学6年生までは千葉県で過ごし、
中学生から現在までは大阪府で暮らしています。

幼少期から変わらないことは、自然と触れる時間が好きなこと。
小さい頃は、潮の満ち引きを見て、よく潮干狩りに連れて行ってもらい、
海辺で食べる母の作ったお弁当や、海に入り、足や手が土に触れている感覚がだいすきでした。

自分で好きな場所へいけるようになった今では、夕焼けを見に海へ行ったり、星を見たり、季節によって咲く花々と触れたりと。
その土地ごとで異なる自然の情景を見ることが楽しいと感じます。

兵庫県赤穂市 畳岩の夕日

自然に触れていると、変に力の入った自分の身体が緩んでいく。
私はそんな感覚が好きであり、自分にとって必要なんだと思っています。

必要だった心のケア

子どもの頃から、人の目を気にしやすい。
いい子でいなきゃ、周りにあわせなきゃ、と思うタイプでした。
けれど、不器用だった私は、自分の意見を無視してまで、周りに「合わせる」ということが上手くできない子でした。

世間一般で言われる「常識」や「あたりまえ」に違和感を感じてしまう。
例えば、小学生の頃は
「背の順の意味がわからない。大きい子はデカい、小さい子はチビと言われ少なくとも誰かが悲しんでいるのに、なんでそんな環境を作るんだろう。」
と悩んだり、
「みんながやってるよ!」と言われても、
「なんで私はやりたくないのに、誰なのかもわからない『みんな』という
存在にとらわれないといけないんだろう。」
と、おおよその人が『普通』としていることに違和感を抱いてしまう子でした。

そんな私は、小学生の頃「いじめ」にあいました。当時の私は首に膿が溜まり、腫れてしまう病気を持っていたこともあり、「変な子」という印象を持たれていました。

菌扱いをされたり、醜い言葉をたくさんかけられて、私の心はどんどん蝕まれていく。
最初はただただ泣いていました。
けれど、「慣れ」はすごく怖い。
ある日から泣けなくなり、無表情で、話すことも上手くできなくなり、顔を上げて歩くことが怖く、常に真下を向いて歩いて、完全に自分を見失い、心が壊れました。

自分が壊れていく感覚はあったのに、精神科に行くにも、カウンセラーさんに話しを聞いてもらうにも、当時私は小学生。
親を通してでないと行くことができなかったし、親にはいじめられている、と言いたくなかった。

私が心と向き合うきっかけとなったのは間違いなく、この「いじめ」だと思います。
「どうやったら心を修復できる?」
「精神科やカウンセラー以外で心をケアできる場所はないの?」
と自分に問いかけたこと。今でも覚えています。

幸いなことに私は小学校卒業後、転校することになりました。そして中学入学と同時に、環境を変えることができ、いじめから解放されました。

自分の心を取り戻すために、
•自分の好きなものを知る
•自分の嫌いなものも知る
•人と会うことを怖がらないようにする
•怖がらずに話してみる 
など。
とにかく自分と対話をし、自分が感じていることを「知る」ようにしました。
それは中学、高校、大学、そして今もなお続けています。

どうしてもできなかったこと

「良い高校」「良い大学」の「良い」とは何かで悩んだこともありました。
しかし、中学、高校、大学と多くの人に恵まれて
私の独特な意見も、「そういう考え方もあるよね」と受け入れてくれる環境に身を置くことができました。

けれど、どうしても私が上手くできなかったこと。
それは「就職活動」でした。
「会社に所属する」を選ばなくてはならない理由がわからなかったこと。
大学では「個性を大切に」と教わったのに、個性などないかのように、黒髪にスーツ、髪の毛は黒で肩についていたら結ぶ。
というような「就職活動」で当たり前に存在することに、私はまた、違和感を持ってしまいました。
疑問は抱いたまま、自分なりに就活セミナーなどにとにかく参加しましたが、自分が納得して進める場所を見つけることができませんでした。

当時の私が会社へ違和感を抱いていた理由としては
・1日8hも拘束されること
・拘束時間が長いのに、残業まで発生すること
・自分のやりたいことを言葉にはできなかったけど、まだ、世の中にないものなのではないかと感じていたこと
と、恐らく多くの人が「普通」にこなしていることに、疑問を持ってしまいました。
また、「お金を稼ぐこと」より「自分のやりたいこと」が軸にありました。

大学4年生、コロナ禍初めての就活生ということもあり、私の就職活動はさらに難航していきました。
当時、自分の心の健康のために、ヨガをしていました。
とりあえず、自分の生活のためにも就職しないといけない、という思いと、心の健康を支えていけるヨガインストラクターとして働きたい、となんとか就職先を見つけ、無事内定を頂きました。

ところが、問題が発生。入社式の日のこと。
あ、ここから離れた方がいい。と直感でしたが感じてしまうのです。
なんとか配属された店舗へ出勤しましたが、一度感じてしまった違和感。
無視することができませんでした。
その後、残業やマニュアル通りに進めなければ怒られる環境にいたこと。
心の健康をお伝えしたいのに、ヨガ=ダイエットと捉え、お客さまへ「痩せれますよ!」と言わなければいけないこと。

そのような生活を続けていたら、私の心は徐々に元気が無くなり、身体にも症状として現れたことをきっかけに、2ヶ月で新卒で入社した会社を辞める選択をしました。

私が選んだ働き方

「やりたいこと」は置いておき、とりあえず自分の心が安定して働ける場所を探しました。
前職がシフト制で時間が不規則だったこともあり、
土日祝休み、定時で帰れる会社を選び、なんとか転職することができました。
新しい会社では、仕事を覚えることはもちろん大変でしたが、周りの方に支えられ、私でも会社員として働けたことに嬉しさも感じました。

けれど、心のどこかで、私は会社に所属しない働き方が自分に合っている。
ただ、自分で何かしたい気持ちはあるのに、それを言語化できない。
と転職してからの約3年間悩み続けました。

自分のしたいことは何なのか、ひたすら自問自答し、ノートに書き出したり、友人や先輩に話を聞いてもらったり。
とにかく自分が興味を持ったことを学び、資格を取得したりしていました。

ある日、「Harukaは人の心の健康に、すごく興味があるんだね。」と言われました。
そこから、なぜ、心の健康に興味があるのかを深掘りしていきました。

1)心を壊すと、立ち直ることが完璧にはできないからこそ
ケアを大事にしていかないといけないと思っている。
2)自分のように心を壊したことがある人、今まさに心が壊れそうな人、心が疲れてしまった人を、一度心を壊した私だからこそ、支えられるかもしれない。
3)自分が欲しかった「心のケアの場」を創りたい

と自分のやりたいことの言語化ができました。
私が、私のためにしている心のケアは、もしかしたら誰かの心のケアにも繋がるかもしれない。

悩んだ約3年間の間に自分が興味を持ち、取得した資格は、
・ナチュラルビューティースタイリスト
・フィトライフコーディネーター
どちらも植物療法(自然のものを使用し、心と身体をケアしていこう、というもの)だったこと。
自分が幼少期から大好きだった自然。
多くの人に自分が得た知識、自分だからこそわかる、心が壊れた時の辛さ、そこから立ち上がるまで。それらを伝え、こころの健康、自分と向き合える場所を創ろう。

Stillができるまで

心のケアをする場所を創る。
そう決めてから、
アロマオイルを使用したセルフケアのワークショップを開催したり、
心の健康の大切さを、母校でお話しさせていただいたりと
「Haruka」として活動していました。

アロマバスソルトWS


WSの様子

ですが、お店みたいに、私の活動に「名前」をつけたい、とふと思い立ち。
当時読んでいた雑誌で、偶然目に止まった「Still」という言葉。
「穏やかさ」
「静けさ」
「それでも」という逆説の意味。
「それでも」立ち上がりたい、という自分の想い。
私がなるべく自分の心に持っていたい感情。
「穏やかさ」や「静けさ」
他にも色々と自分の表現したいものと繋がる言葉に感じ、
これだ!!!と思いました。

そして、「Still」が誕生しました。

Stillを創るまで、たくさんもがきました。
ですが、創って終わりではありません。
始まったばかりなのです。

これからも、私は悩み、迷い、学び、
Stillという場を育てて行きたいと思っています。

精神科やカウンセラーではない、新たな心のケアの場所として
心が壊れそうになったときに、駆けこめるひとつの選択肢に
Stillという場所が、誰かの支えとなれる場となることを願って。

Stillと関わっていただくひとときが
自分に還る時間となり
ご自身の心に意識を向けるきっかけとなりますように。















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