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“Instant”ではなく“Installation”がしっくりくるInstagramについて #卒論の息抜き

坂本龍一のドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto : CODA』を観たときに、あまりの興奮に、映画館で売っていたパンフレットに加えて、「美術手帖」を買ってしまった。坂本龍一特集が組まれたバックナンバーが置いてあったのだ。

今年の春に坂本龍一が出したアルバムに合わせて、設置音楽展「async」に合わせて組まれた、坂本龍一特集だったようで、残念ながらその展覧会には行けなかったけれど。

そのインタビューを読んでいると、頻繁に「インスタレーション」と出てくる。この展示、asyncは「サウンド・インスタレーション」だということから始まり、数ページ読み進めても「インスタレーション」が前提で、何の話か分からないのでググった。

インスタレーション (英語: Installation art) とは、1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。ビデオ映像を上映して空間を構成することもあれば(ビデオ・インスタレーション)、音響などを用いて空間を構成する(サウンド・インスタレーション)こともある。

空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。鑑賞者がその空間を体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどのように変化させるかを要点とする芸術手法である。(Wikipedia

Instagramは「場所や空間全体を作品として体験」させている

このWikipediaの最初を読んだとき、私が最初に思い浮かんだのは、Instagramの世界観だ。

今改めてWikipediaを読むと、まあこれをInstagramの世界と解釈するのは、あまりにも飛躍しすぎているのだけど、そう思ったので書いておく。

Instagramに投稿するとき、おしゃれな人たちが考えているのは「この1枚が、わたしがつくる世界の中にどう映るか」みたいなことらしい。

たしかに私も数枚、旅行中の写真をちょこっと自分が好きなように加工して載せると、もうなんだか、数行下のプリクラみたいな「友達と遊びました★」みたいな写真はその流れにそぐわないので消したくなるのだ。(実際、アカウントを変える子、写真全消しする子結構いる)

もっと言うと、その「個」が「全体」にそぐわない感覚、その1枚がアルバム的にそぐわない感覚だけではなくて、1枚1枚がどう連続するか、というバランス感覚におしゃれが出てくるように私は感じている。

黄色・黄色・黄色、って続いたらもうそれは黄色のインスタってなっちゃってちょっと違う、それであればどうせなら、ここからあと2行くらいは黄色にしたい、とか、顔の次は服、風景、コーヒーやさん、と撮る対象をバラけさせたりとか。

りゅうちぇるのぺこちゃんは「全体的に雑誌っぽくなるように考えて投稿してる」みたいなことブログで言ってたし、おしゃれな子は「こういうインスタにしたい、ってのが先にあって、つぎ何載せるか、どんな加工するか決める」って言ってたし、いやまぁもはや、みんながいう当たり前なんだけど。

つまり、Instagram はまさに、その空間全体でなにかを伝えるためのもの。

インスタレーション→「インスタ」じゃん!

そう思ったときに、Instagram のインスタ、って実はインスタレーションなの?!って、インスタの真の目的、みたいなものを感じ取ったような気がして、うわー!ってなったけど、

調べてみたらInstagramの“Insta”は、“Instant”が由来で、全然違った(笑)。みんなが「手軽に」写真を撮ってシェアするためのプラットホーム、というのが目指すところであり、由来のよう。

でもいまや、「手軽に」「Instant」に、写真をインスタに載せるひとなんてあんまりいないけどね。

全体の中でこれは「なぜ在るのか」

Instagram から離れた余談だけど。

インスタレーションってつまり、その一つのものが何か、ではなくて「なぜそこに、これが在るのか」という意味をキャッチする・キャッチしたい、という感覚からくるものじゃないかなと想像して(ちなみにWikipediaを読んだだけで、アート作品はひとつも見たことがない)

それって、一つの、個のなかに意味を見出そうとしてもそれは難しくて、集団の中にいる意味や、その周辺のつながりという視点からものを読み取るっていう姿勢であって。

これって、個人主義が無理をきたしてきたから「自然とのつながり」を見つめ直す流れだったり、シェアリングエコノミーが生み出そうとしている、ひととひとが繋がる「ちいさな経済圏」みたいなものに立ち返る動きというか、さういう流れに繋がるものだなぁと、考えたのでした。


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