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甘くない果物の話

季節はいつだっただろうか。
あの頃は確か、私はまだ小学生の高学年だったと思う。

百貨店の青果コーナーへ家族全員で出かけた。

「今日は、今まで使ったことがない食材を買って料理をしよう。特別な日だから」と父が言う。

特別な日。
そういわれても、子供の私には何が特別なのかわからなかった。

今から思うと、父の再就職が決まった日だったような気がする。

◇・・◆・・◇

父は、洋食のコックさんだった。独身の頃は、東京の有名なホテルで働いていたらしい。

ところがある日のこと。先輩のしつこい嫌がらせに父はブチ切れて包丁を持ってその人を追いかけ回した。

「おまえ、いい加減にしろ!ぶっ殺すぞ!」と叫びながら。

本気で相手を傷つけるつもりはなかったとはいえ、調理師の商売道具をそんなことに使うなんてけしからん!

そう料理長に咎められホテルの調理場を去ることになった。

警察沙汰にならなかったのは、度を越えていた嫌がらせを知っていながら、長い間黙認していたことを料理長が負い目に感じていたからだろう。

実際、嫌がらせの内容は、一歩間違えば大やけどをしそうなことや指を切り落としてしまいかねないような酷いものだったそうだ。

嫌がらせのせいで、小さな傷とやけどは絶えなかったとか・・。

「運がよかったから大ケガはしなかったと思う。でも、どうしても我慢できなかった」と、当時のことを母にぽつりと言ったそうだ。

退職した父は、知り合いの紹介で関西のレストランで働いたのち、自分で店を構えた。

ところが、贔屓にしてくれるお客さんも増え店が軌道に乗ったころに、また不幸な出来事に遭遇する。

家主の都合で立ち退きせざるを得なくなったのだ。

移転先は決まったが、オープンを待たずに今度は難病と診断され長期入院を余儀なくされた。

数年間の入院の間、足が不自由になりしばらく厨房に立つことができなかった。

「もう、歩けるようになることはないでしょう」

母は医者からそう聞き、車いす生活になるかもしれない父のことを思って涙をこぼした。

「いや、絶対、歩けるようになってやる」

負けず嫌いの父は医者にそう言い、自己流のリハビリを続けた数年後、足を引きずりながらも杖に頼らなくても歩けるようになった。

だが、足が不自由な障碍者となった父は、飲食店の調理師として正規採用されることはなかった。

その後プライドを捨て、「とにかく調理の仕事がしたい」という気持ちで就職活動を続けた結果、小さな社員食堂の料理長として働くことが決まったのだ。

◇・・◆・・◇

さて、百貨店の青果コーナーに並べられたきれいな野菜や果物たち。

普段食べているのと同じ種類の野菜なのに、育ちが良いお嬢様やお坊ちゃまのように見える。

「果物も買おう」

父が手に取ったのは、生まれて初めて見る濃緑色の皮がゴツゴツとした、たまご型の果物だった。

リンゴの4倍くらいの値札が付いたレモンほどの大きさのそれは、どんな味がするのだろう。

「え?それはほんとに果物なの」と私。

「おいしくなさそう・・」と、思春期の兄がぼそっと言う。

「こんなに高いのだから美味しくないわけないだろう」と、父は自信たっぷりだ。

「それもそうだね。楽しみだわ」と、母が家族の会話をしめる。

家に帰ると、父は早速台所に立った。

皮をむき大きな種を取り出し4等分にする。

さらにスライスし盛り付ける父の手元を、家族全員でワクワクしながら見つめる。名前も知らないゴツゴツとした果物の中身はきれいな緑色をしていた。

「いただきます」
同時に口に運び・・・家族全員が無言になった。

「なんだ、甘くないぞ」 父がぽつりと言った。

「硬くて、ゴムみたいだ」とも。

◇・・◆・・◇

その後、大人になるまで2度と口にする機会がなかったアボカドは、いつの間にかとても身近な人気食材となった。

健康にも良いとされ、好んで食べる人も多いだろう。レシピも豊富にある。今は、皮が茶色くなったら食べ頃だということを誰もが知っている。

りんごよりも安い値段で買えるようになったアボカドを、私はサラダにするために半分に切って種をスプーンで取り出す。

やわらかい緑色を口に少し含んでみると、ほんの少し甘みを感じる。

「あの時、皮が緑色のものはまだ熟れていないって知らなかったものね」と父へ話しかける。

もう一緒に台所へ立てなくなってしまった父は、私の横にも後ろにもいない。隣の部屋にもいない。あ、ここは実家じゃなかったし。

今の父も、アボカドを食べると「やっぱり、甘くないぞ」っていうのだろうか。うん、言いそうな気がする。

(終わり)

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■あとがき
今でもアボカドを見るとあの時のがっかりした気持ちを思い出します。

果物だったから甘いと思っていたのに、甘くないどころか美味しくもない。家族全員が予想外の味に黙ってしまった、果物の想い出話に、父のことも少し織り交ぜてみました。

アボカドの美味しい食べ方を知っている今、父に教えてあげたとしても、素直にアボカドを口にすることはないだろう‥なんて、思ってます。


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