見出し画像

【ショート小説】今夜、何食べたい?

「今夜、何食べたい?」

母親に、そう訊かれるのが嫌いだった。

「肉じゃが」
と答えれば、
「この前、食べたばかりじゃない」
と言われ、
「じゃあ、ハンバーグ」
と言っても、
「今、家にひき肉がない」
と断じられ、
「じゃあ、スパゲッティ」
とでも言おうものなら、
「夕食にスパゲッティ食べる家なんかないでしょう」
と、なぜか叱られる始末。

前をずんずん歩く父や兄には、母はなぜかその質問をしない。
娘である、私にだけ訊くのだ。

信号が赤になる。
父も兄も足を止めたので、思い切って母に言ってみる。

「お父さんとか、お兄ちゃんにも訊いてみたら」
母は「ふん」と鼻を鳴らし、
「あの人たち、『なんでもいい』しか言わないんだもの。
訊いたってしょうがないわよ」
とイラついて足踏みしている。

私だって、正直、夕食なんか「なんでもいい」。なんなら、どうでもいい。

夕食のことなんかより、もっと楽しいことを考えていたい。

日曜日。スーパーからの、家族4人での帰り道。

家に帰ったら観る、夕方のアニメが今から楽しみだった。
それから、スーパーで買ってもらった食玩の「セボンスター」。
中にどんな宝石が入っているか。考えるだけで、胸がワクワクしてはちきれそうだった。

そんな時に、「今夜、何食べたい?」なんて訊かれたって、
「どうでもいい」としか思えない。
そんなことより、セボンスターのことを考えていたい。

『何が入ってるだろうね。この前は、赤い宝石が入ったハート型のネックレスだったから、今日は青い宝石が入った鍵の形のネックレスだといいね』

そんな話を、母としたかった。

母はまだ一人で、
「ああ、どうしようね。何食べようね」
とブツブツ繰り返している。

この人、いつもご飯のことばかり考えているな。
母の、すっかりほどけてしまったパーマ頭を見上げながら、考える。

朝ごはんを食べ終わった瞬間、「お昼は何食べたい?」と訊いてくるし、お昼なんか、まだ食べ終わらないうちに「夕食どうしようね」と、一人でため息をついている。

他に、考えること、ないのかな。
他に、楽しいこと、ないのかな。

セボンスターの箱を開ける瞬間みたいな、ワクワクすること、ドキドキすること。
この人には、ないのかな。

母の疲れた顔を見上げながら、そんなことを考えてしまう。

「ひき肉はないし。豚肉はまだあったかな」
まだそんなことを一人、呟いている。

勝手にしてくれよ、と思いつつも、同じ「女」であるからか、
母だけがこの問題に苦しめられているのを、気の毒に思い、脳みそをふり絞る。

小さな声で、
「カレー」
と言ってみる。

母の表情がパッと明るくなる。
「そうね、カレーでいいね。みっちゃんが食べたいっていうのなら、カレーでもいいわね」

ちょうどいいタイミングで、信号が緑色に変わる。
母は私の手をぎゅっと握り直し、足取り軽く、信号を渡り始める。

カレーは先週末も食べたばかりだったから、そんなには食べたくなかった。

でも、「カレーが食べたい」と言えば、母が、何かの重荷から解放されたかのように、
「そうね、カレーでいいね」
と明るい表情になるのを、これまで経験で知っていたのだ。

信号を渡りながら、「カレーかあ」と思いつつも、
「カレー。楽しみ!」
などと言って、スキップしてみせる。母の手も、一緒になって上下に揺れる。

手の中ではセボンスターの箱がカタカタ言っている。
それを思い出して、別に夕食なんかなんでもいいじゃん。カレーでもいいじゃん、と思い始める。

母の機嫌が良くなり、鼻歌を歌いながらカレーを準備し、
私はその間、「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」を観ながら、セボンスターのアクセサリーを身につけて自分の世界に浸れるのだと思えば、幸福の予感しかしなかった。


あの時と同じ信号の前に、私は立っている。
分厚く、野暮ったかった緑色の信号は、薄型のLEDで、スタイリッシュなものに変わっている。
あの頃にはなかった、残りの時間を知らせるライトも光っている。

私は、ベビーカーのハンドルを握りしめたまま、一人考えている。
あの頃、母が繰り返した言葉を、延々、頭の中でブツブツと呪文のように唱え続けている。

今日の夕食、どうしよう。
明日の、朝食、なんにしよう。
明日の昼は、何食べさせよう。
夜はどうしよう。
その次は、その次は。

夜は、ハンバーグにして、朝はパンにして、昼は麺?
炭水化物ばかりじゃない? お米が足りてない? 魚も食べさせなきゃ。
でもどうせ魚なんか作ったって食べないし。野菜はどうやって食べさせる?
そもそも肉だって、ハンバーグか餃子じゃなきゃ食べないし。
っていうか今から帰って、玉ねぎみじん切りして肉捏ねるハンバーグなんか無理じゃない?
この子、絶対泣いて「抱っこ抱っこ」でしょう。子供抱っこしたまま、肉、捏ねられなくない?
包む餃子なんかもっと無理だ。っていうか豚ひき肉も餃子の皮もない。冷凍餃子は最近、食べてくれなくなったし。シュウマイも食べない。もう頭痛い。
そうだ、肉じゃがは? でも牛肉って高いしな。
でも夫は豚肉の肉じゃがなんか認めないとか言ってるし。

あれこれ考えていると、ベビーカーの中で子供が、

「しゅーしゅーしゃ! しゅーしゅーしゃ!」

と車道を指差す。ゴミ収集車が、道路を走っていく。

「そうだねえ。ゴミ収集車、いたねえ」

と答えたら、もう、先ほどまで何を考えていたか、忘れてしまっている。

なんだっけ。何を考えていたんだっけ。
おむつ、まだあるかな。今日、何曜日だっけ。ゴミって出したっけ。雨が降るのって明日? 洗濯物って外に干したっけ。明日はどの公園に行こう。支援センターの「ぴょんぴょんダンスの日」って明日だっけ。

頭が混乱する。まとまった思考ができない。頭の中で、数えきれないほどのタスクが胡散霧消していく。

「今夜、何食べたい?」

不意に、母の声が耳に蘇る。

繰り返し繰り返し、そう尋ねてきた母のことを、思い出す。

誰かが答えてくれたなら。
今はまだご飯のことを「ごあん」としか言えないベビーカーの中のこの子が、元気よく、
「カレーが食べたい!」
と叫んでくれたのなら、どれだけ救われるだろう。

「またカレー?」とぼやく夫に、「だって、この子が食べたいって言ったんだもん」と言えたら、どれだけ楽だろう。

変わらない信号で立ち止まったまま、ベビーカーのハンドルを前後に動かし、私は考える。
今日の夕食のことを。明日の朝食のことを。その後の、お昼ご飯と、夜ご飯のことを。

母のことを、どこか馬鹿にしていた。
ご飯のことしか考えていない人。
他に考えることのない、つまらない人。
他に楽しみのない、哀しい人。

でも今の私には、わかる。
なぜ母が、ご飯のことばかり言ったのか。

それしか考えることがない、のではない。
それを考える人が、母しかいないからだ。

誰も、あの家庭の中で誰も、たった一人も、今日の夕食何にしよう? なんて、考える人が、いなかったからだ。
待っていれば、時間になれば夕食が勝手に出てくると、家族みんなが思っていたからだ。
そうやって呑気に待っていられたことが、どれだけ幸せだったのか、母になった今、ようやく理解している。

私はベビーカーを揺らしながら、まだ「しゅーしゅーしゃ!」と叫んでいる子供の、丸い頭を見下ろしている。ふわふわした薄い毛が、風に揺れている。
きっとこの子の頭の中には、大好きな車のことしか詰まっていない。
でもそれって、どんなに幸せなことだろう。

ご飯のことなんか考えずに、大好きな自動車や電車のことや、砂場遊びや滑り台のことだけを考えていられるこの子は、きっと今、とてつもない幸せの真っ只中にいる。

信号が青になる。

だから、私は問いかけない。
「今夜、何食べたい?」と、問いかけない。

ベビーカーを押す両手に、力を込める。

ねえ、今夜、何食べたい?

私は、私のなかの小さな私に向かって、問いかける。


(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?