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をかしとあはれの和歌草子「天照る月と京の街」

 5月は木々の葉がいっせいに息吹きだす。
ついこの間まで色豊かな花を咲かせていた木々は、すっかりと花が散り、華やかな様子を目にすることはなくなってしまった。季節は春から夏に移ったのである。
のびのびと手足を伸ばしたように広がりを見せる新緑の初夏は、木の葉が生い茂るため、今まで見えていた景色が葉に隠れて見えにくくなる頃でもある。

  花散りし庭の木の葉も茂りあひて天照る月の影ぞまれなる
   『新古今和歌集』巻第三 夏歌  186  題知らず  曾禰好忠

 花が散り、庭の木々の緑葉が茂りあう頃。空に見える月の光がその重なり合った葉の隙間から少ししか見えないことを詠んだ夏の和歌である。
 『新古今和歌集』に編まれている和歌は、「新古今調」と言われ、妖艶な情調象徴、技巧の豊かさが特徴である。けれどこの和歌は、現存最古の歌集とされる『万葉集』にも歌われている「天照る月」という古風な表現を用いている。
 派手さはないが葉が茂ることで夏の風景を表したどこか涼し気な感じ。そして遠い昔に例がある「天照る月」という言葉を使った「天照る月の影」という表現が遠く幽玄の世界へと誘ってくれる。
ちなみに、『新古今和歌集』の成立は『万葉集』のそれのおよそ550年後とされる。

 5月の初め、私は京都の山科区に位置する日向大神宮へ初参拝した。この宮は京都最古であり、社殿は伊勢神宮と同じ神明造、内宮、外宮が奉斎されている。そのため「京の伊勢」として高名である。また、周囲の山は神体山で日御山(ひのみやま)、神明山と称される。さらに、御祭神は内宮の天照大御神を主とし、数多くの神様が御祭されている。
 この日はお天気が心配されていたのだけれど、当日は見事に晴れとなった。
 あまたの神様にご挨拶をし、日向大神宮の山登る道中を歩む。その先には遥拝所がある。黙々と進み到着すると、視界は明るくなり、清涼な風がひとつ吹き抜ける。遥拝所でお参りをすませ、振り返る。遠くの一直線上には平安神宮の鳥居。その左のには大文字山。京都の街が広がる。
 さて、この京の街。山の木々が茂りあってわさわさし、その葉から洩れるようにしか見ることができない。葉の少ない頃だと眼下に広く見えたことだろう。「天照る月」と京の街との違いはあるけれど、この時の心情はまさに前述の曾禰好忠の和歌そのもの。葉が茂り、迫りくる新緑の生命力は清々しく、美しい。この時期ならではの風景である。さらに、御祭神「天照大御神」の文字に「天照る月」の言葉が重なる。
 是非また異なる季節にも参拝したい。そして、その時に脳裏にまた浮かぶ和歌もどのようなものか楽しみである。


参考資料
『新古今和歌集 上』久保田淳 訳注 (角川文庫)


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