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好きなものを「好き」と言えること

自分の好きなものが何なのか、随分言いやすい時代になったと思う。

日本がある種の社会主義的なパッケージとして機能していた頃、僕らに触れる情報はマスメディアの発信と身近なコミュニティがほぼ全てだった。

「これが好き」

「この人は面白い」

「これが正義だ」

国民の殆どがテレビという同じメディアを見ていたころは、個人の意思は自由なように見えて、実は情報の流れによってある程度コントロールされていたように思う。

しかし、インターネットが出現して、どんどん個人同士が繋がれるようになってから、みんなが薄っすらと感じていた違和感が顕在化した。

マスが個に情報を提供する時代から、個から個と、個からマスへと相互的に情報を行き来させられるようになったからだ。

そして、仮にコントロール出来ない環境要因と自分が合わなくても、外の世界に気の会う仲間を探すことが以前より容易になった。

昔であれば均質的なコミュニティにそぐわなければ排除されていた人たちが、居場所を見つけられるようになってきた。

「まわりと違う」ことへの嫌悪と恐れが、緩やかに和らいでいるように感じる。


僕自身のことを言えば、音楽のことはどれだけ考えていても飽きないし、研究のことも常に頭の中を巡っている。

点と点が繋がる瞬間がたまらなく好きだから、アイディアを生み出すプロセスも、着想の瞬間も、最高に気持ちがいい。

何より、人間に対する興味は尽きることがない。経験と環境と遺伝子の掛け合わせが生み出した他者の知覚や行動の因果関係を探ること。これがたまらなく楽しい。作業療法士として人と関わる時は、その瞬間を同じように楽しむことができる。

幸いにも生きていれば嫌でも人と会うことになるので、僕にとっては人生はとても良く出来たフィールドだと思う。

ただ、僕はディープに物事を考えハマるタイプだから、個人的に話したい内容が一般的な日常会話にそぐわない場合がある。

たしかに、楽しく世間話をしたいときに人間と動物の視覚認知の違いについて熱く語られても困ると思う。時々やってしまう。申し訳ない。

それでも、自分に合うコミュニティを見つけ、繋がれるようになったおかげで、「また遥がなんか難しいことを言ってる」と思われずに済むようになった。

軽い話題を話すコミュニティだけではなくディープな特化した話題を共有できる仲間も増えたからだ。これはコミュニティに優劣をつけたいのではなくて、僕だって興味のない話を人に強いるのは嫌だから、ニッチなことは聞きたい人にだけ話せばいいということ。

当たり前のことなんだけど、楽しいコミュケーションをするには、そもそも興味関心の近い好きな人を見つけることがとても大切なんだよね。

結局、誰もがそれぞれの「好き」を持ち、表明し、形にする自由を大事にしたいのだと思う。お互いの好きを知ることで、先日書いた「違い」を認めるという話にも繋がっていくのかな。僕はそれぞれが自身の「好き」を大切にできるような世の中を求めているんだなって。このnoteを書きながら気づいた。 



最後に。

写真は植松電機の自社内にある微小重力実験装置。

僕の地元は北海道だから、移動中には時々この近くを通っていた。

社長の植松さんは、民間の宇宙開発事業なんて無理だと言われても諦めず、ロケットや実験装置の開発を続けてきた。

微小重力実験装置は世界に3つしかない。
それを自社で作って低コストで実験可能にしたことで、様々な宇宙開発関連の人が赤平市という北海道の片田舎に集まるようになったとのこと。すごすぎる。

まさに情熱の人だ。

https://www.youtube.com/watch?v=gBumdOWWMhY

だから、この装置は誰よりも自分の好きを大切に貫いてきた植松さんの努力の結晶だ。

小学生の頃、この施設を見学させてもらう機会があった。植松さんの話も聞くことができた。当時は小さかった僕も、自分の大事なものを大切にしたいと心から思ったのを覚えている。

去年の冬、凍りつくような寒い日。

車の窓ガラス越しに見える会社の敷地に僕の姿が薄っすら映り込むのをみて、そんなことを思い出したのだった。

今後の研究活動と美味しいご飯に使わせていただきます!