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思考を再起動させるのって結構大変だよね

研究をしていると、当然だが考える時間が必要になる。

深く考えずに手を動かせばいい事務的な作業も少なくないが、論文を読んだり次の実験のネタを検証したりといった、「考える」ことの比重が非常に大きい。

もちろん研究者以外でも、事業企画を考えたり、営業先にアプローチするための戦略を練るなど、考える時間はあるはずだ。

このような知的生産と呼ばれる活動を行う中で、時間は総量が多いことよりも、塊として存在することが重要だ、と考えている。

例えば、職場や大学にいくと、机の上で実験のアイディアを練っているときに、唐突に他の人に声をかけられることがある。雑談も大切な時間だし、話をすること自体は好きなので良いのだが、一度思考が途切れると元の調子に戻るまで非常に時間がかかるのも事実だ。

さっきまでの思考の経緯を辿り、自分の視点と視座を揃え直し、集中力を取り戻し、再度アイディアを俯瞰する・・・ここに戻るだけでも一苦労だ。

このような理由で、いろんな人と一瞬でも交流する必要があるオープンなオフィスで研究を進めることはなかなか大変なのだ。

特に電話対応が必要な仕事はきつい。集中が途切れ途切れになってしまい、同じテンションで同じ物事に向かい続けることが困難になる。

ブツ切れになった時間は、総量がいくら多くても知的生産には使いにくい。

タスクは分割できる。思考は一気にやる。

僕の場合、じっくりと思考する時は人に声をかけられない状況を作るようにしている。知り合いがいないカフェに行ったり、部屋に籠ったり、外を散歩したりと、自分の世界に入りやすい環境を作る。どうしても同室で考える必要がある場合には、イヤホンをつけている。

どれも思考に邪魔が入らない、まとまった時間を作るためだ。

対象的に、思考を追えてタスクレベルまで落とした作業については、細切れの時間を有効活用しやすい。TODOレベルまで落とし込めているタスクであれば、隙間時間に適した分量のものを選んで、淡々とこなせばいい。

まとまった時間で一気に進められるに越したことはないが、思考を終えた上で作業の記録を残していれば、ある程度は分割しても問題ない。


もちろん、人と議論する時間も大切だ。自分の中でしか回せない思考のループが他者に繋がり、一気に思考に広がりが出ることも少なくない。

他者と交わる時間と、ひとりで熟考する時間は、どちらも大切だ。

しかし、この二つは混ぜるな注意だ。知的生産のためには、ひとりで深く深く考える時間が絶対的に必要だ。まとまった時間を作って、一気に考える。こちらも大切にしたい。


大学の先生たちを見ていると、会議や来室で時間がかなり細切れになっていて、思考を深めるのは大変そうだな、と思う。

自分は教員ではないから主観でしかないのだが、無駄な会議を連発するよりも、知的生産を行う人たちにはまとまった時間を渡すべきじゃないかな。

知的生産に関わる一個人として、せめて自分自身でマネジメントできる範囲だけでも「考える」時間を大切にしていきたい。

今後の研究活動と美味しいご飯に使わせていただきます!