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『朝、起き上がれなかった。それがすべての始まりだった』 小説

 朝、起き上がれなかった。
 ぼくは天井を見つめたまま、ベッドから起き上がることができなかった。
 2021年大学院2年生の4月、春の訪れを存分に感じさせる暖かい日差しが降り注ぐ部屋の中で、ぼくの身体は言うことをきかなくなった。天井を見つめたまま2時間が経った。いつもなら家を出て学校に向かう時間だ。ぼくの身体は動かなかった。
 頭だけが焦っていた。脳からの信号が、身体にうまく伝わらない。どうなっているんだ。動けないまま、天井を見つめるぼくの中で、もうひとりのぼくが言う。「動かなきゃ」そんな声を無視するかのように、聞こえないふりをするぼくの身体。授業の開始時間が少しずつ迫っていた。

 振り返ると、ぼくの身体は数日前、いや数週間前からおかしかった。対面授業ではなくオンライン授業が開始される日でも、4時に起床して研究や課題、資格の勉強や読書をこなしていた。毎朝欠かさず筋力トレーニングも行っていた。そんなぼくが、オンライン授業開始数分前までベッドから動かなくなっていたのは、いつからだったのだろう。
 ぼくは文系の大学院生なのだが、どの学生もそうであるように最終学年になる前の3月は就職活動に追われる。それが大学院生は博士課程前期、2年生に上がる前の3月にあたる。大学院が春休みに入った2月からキャリアセンターに週5で通っていた。ぼくはどうしても大手企業に入りたかったのだ。大学院1年生の9月から始めていた就職活動は、早期選考に乗っていた。大学受験の失敗の二の舞はごめんだった。
 今は4月の後半だが、就職活動のオンライン説明会に参加していた記憶が4月の初めの方までしかない。2週目には授業が開始されるため、多くの時間を研究に割いていたから仕方のないことかもしれないが、よく思い出せない。ぼくの記憶は4月の中旬から曖昧になっていた。きっとこのあたりからぼくの身体と脳はおかしくなっていたのだろう。今まで通りの生活が送れなくなっていたのだろう。
 いや、きっともっと前から始まっていた。

『朝、起き上がれなかった。それがすべての始まりだった』
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