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おかーさんの1年目の命日

 今朝、隣の布団から手を伸ばして娘の体を触ってみるとだいぶ体の感じが元気になっていて、ひょっとして計画通り横浜へ出発できるのではないかと思った。
けれど、電気をつけて顔を見たら、そんなお気軽なことじゃないと分かって、娘に今回は家で二人で過ごそうと伝えた。
「行きたかったー」と顔をくちゃくちゃにして泣いてる娘を見て一緒にちょっと泣いた。
計画していたことを諦めなくちゃいけないということに、素直になれなくて。

 約束をしていた方々にメールを書いているのを娘が隣で見ていて、
「まま ごめんね」と言うので
いいよいいよ。きっと、今回は二人で家で過ごすことに何か大切なことがあるのかもよ。
ばぁばが、お墓に来なくていいからって、
電車賃で、二人で何かいいものを食べてって言ってるのかもよ。
と話した。
今日はお墓参りいけないけど、また今度行こうね。
昨年の今頃、雪が降る横浜に着いて、病院に行ったねぇ。

 日中、娘は起きて本を読んだりして、疲れたら布団に入って。
熱は上がったり下がったりだけど、からだの感じは大丈夫と思ったので、今勉強している整体で教えてもらった輸氣をして、どんなふうに体が回復するのか、からだの声を聴く旅をするように過ごしている。

いつも、ほぼ野菜の食卓なので、毎日養生食みたいな雰囲気だから、いつもと変わらない食事と暮らし。

いつもと違うのは
静かだということ。
踊ったりはしゃいだり、鼻歌を歌ったりドシンドシンと歩いたり走ったりがない。
家の中が落ち着いている。

娘の様子に心が向いているということもあるけれど、
ほんの少しの物音や仕草や表情に心が向く。
すると。
心が向いた娘のことを入り口に、ふと気づいたら私自身のこれまでのことを思い出したり、考えたりしている。

娘の隣に添い寝して、一緒に体を休めている時、娘の咳や息遣いの気配を感じていたらふと浮かんできたことがあった。
「どうして私はあんなことしたんだろう」

弟が0歳の時、私は階段から弟を押して落としてしまった。
幸い何事にもならなかったけれど。
その時のことは覚えていない。
覚えていないと思っているだけなのかもしれないけれど、わからない。
私は2歳だった。
今覚えてはいないけれど、2歳の私は思うことがあって、私自身の意思で行動したはずだ。
それは、していいこといけないことという分別も2歳なりにあったと思う。

私は覚えていなかったけれど、そういうことがあったと知ったのは、小学生になってから。
近所の友達の家に赤ちゃんが生まれた時だった。
歳が近いと赤ちゃん返りするという話になって、
私が弟を階段から落とした ということを聞いた。

隣に寝ている娘に背を向けて横になりながら、そのことを思い出して
その時の私に会いたいと思った。
どうしたの。何があったの。

その後から今に至る私の行動の癖の、もう手放したいと思っているいくつかの種が、その出来事にあるような気がしてきて、思い出せないかもしれないけど、感じることはできるんじゃないかと思って、胸に手を当ててみた。
どうしたの?何があったの?

どうしたの?何があったの?って聞いてほしかった、とすぐに思った。

どうしたの?何があったの?って、聞いてほしかった。
どうしたのか、何があったのかを話したかったんだ。
お母さんに。

お母さんのことが大好きだったから、お母さんに私のことを話したかった。

そう思ったらポロポロ涙が出てきた。

娘が目を覚まして、「まま?起きてる?」と聞くので
うん、起きてるけどもう少し寝とく〜と返事をして、そのまま私の中に入っていった。

日々のいろいろ、「どうしたのか、何があったのか」を、おかーさんにありのままの私で話して暮らしてきたかというと、
随分小さい頃に諦めてしまったような気がする。
私が覚えている私は
良い子の私、おかーさんの満足する答えを考えて作る私。

でも、
どうしたのか、何があったのか本当の気持ちを話したかったんだ。
お母さんに。
お母さんのことが大好きだったから、お母さんに私のことを話したかった。

話したかったんだよお母さん。寂しかったんだよ私。
大好きだったから。

私とお母さんの1周忌は、娘に添い寝しながら、
本当の気持ちに気づいて、そのままおかーさんに伝える日になったなぁ。

夕方、娘と少しだけ外に出た。
明石の海から見る夕陽は美しい。
大好き。

「まま ままは横浜に帰りたいんじゃない?」と娘に聞かれた。
いやぁ、そういうわけではないよ。明石大好きよ。
でもどうして?
「横浜に行くって決まったら、あっという間に色々な人と会う約束ができて、たくさん友達がいるし、アカデミアにも行けるし。」
うんうん。
横浜では本気で生きてたからね。

そう答えてハッとした。 
今 私、横浜では本気で生きてたからね。って言った。

今も
いつも
本気で生きている。

でも「本気」のニュアンスの違いが、自分でよく分かった。
子育てや何やらいろいろあるけど、やれることを真剣にやっていないような、出し惜しみしているような今の自分を感じて、今「本気」ではないように私自身が思っているんだと思った。
「本気」で生きたい。
「本気」で生きよう。

あぁーあ
なんだか 色々な気づきがあった1日になった。

さすが おかーさん。
肉体手放して1年目。
使わなかった電車賃で、たらとタコとじゃがりこを買いました。
どうもありがと。




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