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感謝の気持ちで乗り越えた1年間

皆さん、こんにちは!
いつも私のnoteを見にきてくださりありがとうございます。
今回は私の壮絶な1年間についてお話できたらと思います。


1.キャリアにおいて欠点である転多に陥った

転職エージェントの仕事をしていると「転多」という言葉を耳にします。
これは、転職が多い求職者のことを意味します。
(嫌な言葉ですよね、、、)
皆さんの想像通り、転職回数が多いと転職に不利になりますが、業務内容、人間関係、家庭環境など様々な要因が絡み、転職せざるを得ないケースも多々あります。
しかし、今の時代は転職が当たり前の時代になってきたので、今後、転職回数はそこまで気にすることはないかもしれませんが、その風習はまだまだ根付いています。
私は現在、アスリートのキャリア相談や転職エージェントの仕事をしていますが、実は私、ここ2年で3回も転職している「転多」なんです。

私は、キャリアに迷ったのか?
そうではありません。
外的要因が重なり、転職せざるを得なくなってしまったのです。
とはいえ、私の履歴書には社名が増えてしまったのは事実です。
この1年、年収はピーク時より100万円以上落ちました。
急な引っ越しを強制され、引っ越し代で100万円かかりました。
生まれたばかりの娘がいたため、焦りや不安と毎日戦いました。
私は転多のため、後が無いと崖っぷちの想いで毎日戦いました。
そして、直近数ヶ月は最高月収を毎月叩き出しました。

これが、私がこの1年で経験したことです。

2.靴が履けない?

外的要因で転職せざるを得なくなってしまいましたが、私はポジティブに捉えようとしていました。
また新しい挑戦ができる!と思うとワクワクしますが、人間はそんな強い生き物ではないとそこで経験しました。
引き継ぎ業務でお付き合いしている社長に電話する日々が続きます。
私は当然怒られると思いビクビクしながら一人一人電話をかけていましたが、一人からも怒られることなく、逆にご飯に誘っていただきその月は会食の嵐でした笑笑
そこで、一人の社長から言われた言葉に涙が止まりませんでした。
「よく頑張ったね。篠田くんの今の笑顔を見ると逆に辛いよ。今しか泣くことができないんだから泣いてもいいんだよ」
おそらく、30年分は泣きました。

外的要因で転職をせざるを得なくなった際、家族にも友人にも平気な態度を取っていましたが、身体は素直でした。
まだ仕事が残っているため出勤しようとしますが、靴を履こうとすると手が震えるんです。こんな経験初めてです。
出勤しなかったら、アイツはサボっている、宗教にハマった、お金を盗んだ、色々言われました。

私はこれを乗り越えたんです。

3.娘の存在

私が今でも頑張れるのは、娘の存在があるからです。
初めてはいはいした時、初めて立った時、初めて喋った時、今までにない感動がありました。
無邪気な笑顔で今も「パパー」と抱きついてくれます。
娘がいなかったら、当時の壁を乗り越える自信がありません。

4.世界一の妻

私の人生で一番幸せなことは、妻と出会えたことです。
普通、こんなに家族を振り回していたら怒りますよね笑笑
どんな時もポジティブな言葉を私に投げかけてくれますし、何があっても美味しい料理を作って娘と家で待ってくれています。
あの時もそうでした。

妻の夢は、広い家に住むことです。
現在、湘南に家を建てる計画をしています。
早くて来年、おそらく再来年には広い家に住めると思います。
世界一の妻がいたから今の私がいます。
来世もずっと一緒にいたいな。

5.これから

ここ1~2年で、私はめちゃくちゃ強くなりました。
得体の知れない十字架を背負って生活してきました。
文句を言いたい、愚痴を言いたい、真実を話したい、けどそれを言っても何も解決しないと私はわかっています。
皆さんも経験があると思いますが、人に裏切られると本当に苦しいですよね。
私は、それを乗り越えるには『感謝』しかないと経験しました。
今の私のパワーの源は家族に対する『感謝』です。

これからも、人のキャリアに寄り添った仕事をしていきます。
これからの日本の伸び代は「人」だと思っています。
テクノロジーの進化より「人」だと思っています。

これからもたくさんの方にご迷惑をおかけしますが、それ以上にたくさんの方々を救っていきます。
これからも、ご指導ご助言ご愛好のほど、よろしくお願いいたします。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!!




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