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映画『トップガン:マーヴェリック』と死んでしまった叔父のこと

「八朔ちゃん、うちに来なよ。いつ来てもいいよ」
そう言ってくれた叔父は数年前に亡くなった。55歳か、54歳か、それくらいだったと思う。どのみちちょっと早すぎる年齢だった。
癌だった。診断が下ったところからあっという間だった。

トップガン:マーヴェリック(以下TGM)を観て、ぼんやりと思い出したのは叔父と、叔父の死のことだった。
親しかったのかといえばそうでもない。自分でも何故思い出すのか分からない。分からないまま2022年に劇場で観てからこっち、ずっと澱のように引っかかっている。

ところで、「私は間違っていない」から離れられない人間は結構いる。
私は間違っていないので、ここから一歩も離れない。お前が歩み寄らない限り和解はない。驚くことに、そう振舞えば相手が自分の非を認め、歩み寄って頭を下げ、和解できると思っている人間は結構いる。

私は間違っていない、私は正しい。
母は絶対に頭を下げない人だった。残念なことに生きているので"人である"が相応しい表現だ。
私は間違っていない、私は正しい。お前にいくらかかったと思っているんだ。私は間違っていない。お前など生まなければよかった。私は正しい。何故私の言うことを聞かないのか。お前は何も分かっていない。お前は何もできない。私に持ち物を全部見せて管理させなさい。付き合う友達は私が決めます。進路はこうしなさい。私は間違っていない、私は正しい……

そういうわけで、僕はいつも憂鬱だった。じっとりとしていて昼も夜も関係なくどんよりと曇っており、伸び放題の雑草の間を羽虫が耳元で煩く飛び交う、六月の庭みたいな家だった。一年中そうだった。

頭がおかしくなりそうだった。

叔父との思い出は先述の通り、そんなに多くない。
僕が幼い子どもで母方の実家によく遊びに行っていた頃は、叔父は従兄弟家族を養う大黒柱で働き盛りだった。日中一緒に過ごすことはほぼなく、夜になって帰宅した叔父と、リビングで少し話をしたり、夏には庭先で花火を一緒にやったな、くらい。痩せてるのによく食べる人だった。
最後に会った時もサンドイッチの弁当を一人だけ二人前食べてた。俺は食った分だけ太るので羨ましかった。

よく覚えているのは、僕が初めて映画館で映画を観た時、連れて行ってくれた大人は叔父だったということだ。千と千尋の神隠し。夏休みだったはずだ。
だから僕は映画の話をする時、自分の映画の原体験の話をする時いつも、子どもだらけの騒々しい満席のシアターで、右隣に叔父が座っていたことを思い出す。

その叔父が「八朔ちゃん、うちに来なよ」と言ったのはどうしてだったのか僕は覚えていない。僕は十代後半に手入れのされてない終わった庭みたいな家族や親族の間で起きたことをほとんど覚えていない。

その頃、叔父と会うことになったのは母方の祖母が亡くなりそうだったからのはずだ。母の実家に戻る機会が増え、あれこれと親族で話し合っているのをよく目にした。孫である僕と、入り婿の叔父はその話し合いに真剣に参加を求められることはなく、部屋の外で時間つぶしをしているようなこともあった。

僕は叔父に何か言ったのだろうか。そうとは思えない。僕はとにかく、この腐った家庭内の問題について、外の人間に迷惑をかけてはいけないと思っていた。だから僕の知らないうちに、叔父は何かを耳にしたり、目にしたのかもしれなかった。
そうして、叔父は僕に言った。
――八朔ちゃん、うちに来なよ。いつ来てもいいよ。
夕方、灯りをつけるタイミングを見失って半分薄暗い洋間でのことだった。

十代の僕は、その、中途半端で無責任に見える大人の同情を嫌った。中学校の先生も、他の親戚の伯母さんも、みんな最後には困ったような曖昧な笑い顔で俺のほうを見た。そういう経験を何度もした。
だから、叔父の「うちに来なよ」に面食らいはしたものの、最初から真に受けていなかったし、半笑いで「何それ」と聞き流したはずだ。大人の言葉は信ずるに値しなかった。

それをずっと後悔している。

TGMの物語のキーワードの一つは和解だ。
マーヴェリックは苦悩と葛藤と、そして予想外の戦闘の果てに長年疎遠になっていたルースター(前作で亡くなった相棒グースの息子)と和解する。
互いに自分が間違っていたと認められなかった二人が、歩み寄ることで和解が実現する。
僕にはそれこそがTGMという物語に起きた、もっとも大きな"ミラクル"に思える。

僕には和解すべき人はいない。現実において、奇跡は起きない。
実母は永遠に、僕が地べたに頭を擦り付けて泣いて謝罪する日を待っているだろうし、僕はそんなことをしない。あの薄暗くて湿っぽい六月の夕方の庭みたいな家の記憶とともに、ひとりで生きていく。

だから、本当に叔父宅に世話にならないまでもせめて「ありがとう」と何故言えなかったのだろうと、二年前の初夏、シアターを出たときからずっと思っている。
ありがとうと言えばよかった。信じればよかった。
どうせ誰も信じられなかった。十代の僕に他人を信じるという経験ができる瞬間があるとすれば、あの時の叔父しかいなかったのに。それが永遠ではなくても、一瞬でも分かってくれる大人がいたという経験になったかもしれないのに。

そういう小さな後悔が積み重なっていくのが人生なのだと、このTGMという作品は突きつけてくる。エンドロールを眺めながら、いつも侘しい気持ちになる。

コロナ禍で足が遠のいていた映画館、奥まった暗い座席で光るスクリーンを眺めながら、初めてそうやってスクリーンを観た叔父と過ごしたあの時を思い出したのは何故か、今でもうまく説明出来る気はしないけれど。


先日、実母とまた母方の実家を訪れた。その帰り際だった。

「八朔ちゃん、いつでもうちに泊まりに来ていいんだからね」

叔父があの時言ったように、叔母が言った。

「――ありがとう。きっと大丈夫」

そう。僕はきっと大丈夫。
人生に寄り添う映画たちと、これからも生きていく。

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