見出し画像

#4「”純粋さ”あってこその技術」

ステージの上に立つ初々しい新卒メンバーの姿をみながら、月日が経つ早さをしみじみと感じていた。

自分が入社したのは3年前のことである。
当時の自分にはなくて今の自分にあるものはきっとたくさんある。仕事のスキルや社会人としての心構え等々。逆に、あの頃の自分にあって今の自分にないものはあるだろうかと考えてみる。

まず浮かんだのは、このnoteの存在だった。
当時は一日1000字の投稿を日課としていた。質よりも量を意識していて、日々記事のネタを探そうと必死にアンテナを張って生活していたけれども、今は仕事やサッカーを理由に毎日は愚か、数ヶ月も更新できていなかった。

それに、いざ投稿しようとしても、質を追求してしまい、気軽に投稿できなくなってしまっていた。その背景には、”社会人は結果がすべて”という概念が自分のなかに生まれたからなのかもしれない。

中途半端なものは世の中に出せない。
時間が足りないだけで、もっと時間をかければ良い文章が書ける気がする。
そんなことを自然と考えている自分がいる。

最近、入社してきた一人の新卒社員が毎日noteを始めた。私が以前伝えたことをまず実践しようと、毎日1000字の投稿にチャレンジしていた。そんな彼の文章を読んでいると、なぜだか自分も気持ちを整理し、言語化して綴りたいという衝動に駆られてしまった。

彼の文章はお世辞にも上手いとは言えない。
一日の感想文みたいに思ったことを書いているけれど、それが今の自分にはものすごく響くのだ。確かに彼の文章は表現力に乏しいし、深い洞察も書かれていないのかもしれない。だけどとても真っ直ぐな文章なのだ。
自分が汚れているのではないかと思うくらいに真っ直ぐで素直な文章。
飾らずありのままの自分の思いを書き連ねている。

じゃあ私はどうか。
彼の文章を読んでから自分の過去の作品を読み返してみる。文章に優劣というものはつけたくないけれど、技術でいったら私の方が上だと思うが、純粋さでいったら彼の文章に勝てるとは到底思えなかった。

もしかしたら、知らないうちに技術やスキルばかりを追い求めていたのかもしれない。本当に人の心を打つのはいつだって真正面からくる素直で純粋な気持ちであるにも関わらず。

サッカーだってそうだ。
もちろん上手いプレーには惹かれるけれど、高校サッカー選手権みたいに純粋に目の前の相手に勝とうと必死になってプレーしている姿に心打たれることは非常に多い。

いつからか、他人から見られてかっこいい文章を創ることに躍起になっていたのかもしれない。

技術だけの文章なんて、人の心に響かない。
大切なのはいつだって、真っ直ぐな想いを飾らずにストレートにそのまま伝えることだと思う。

初々しい仲間から、自分自身と向き合う機会を作ってもらえた。
感謝の気持ちを忘れず、彼らのように真っ直ぐな思いを続ける表現者でありたいと強く思うのであった。


この記事が参加している募集

note感想文

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?